無縁ではない介護の問題 「ロストケア」感想(ネタバレあり) | のんびりいきたいです

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本ネタです。
 

こちら先月読んだ3冊から、「ロストケア」です。

(「ロストケア」の原作本は、映画を観たあとその足で本屋に寄って購入し、途中まで読んだあとずっと止まっていたので、最初から読み直しました)

映画の原作ばかり。近年こんなんばっかです😅

 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
この3冊、みんな良かったです。
親の認知症と介護の問題。子供のネグレクト。
多少多々共通する点がある。
「良かった」と言うには重いものばかりでした。
 

「ロストケア」は1年以上前に映画が公開されたので、ネタバレします。

原作本を含めて、今後観る(読む)予定の方はご注意ください。

 

 

 

映画を観に行った時にブログを書いています。

 

 

↓(映画.comより)

ある早朝、民家で老人と訪問介護センター所長の死体が発見された。死んだ所長が勤める介護センターの介護士・斯波宗典が犯人として浮上するが、彼は介護家族からも慕われる心優しい青年だった。検事の大友秀美は、斯波が働く介護センターで老人の死亡率が異様に高いことを突き止める。取調室で斯波は多くの老人の命を奪ったことを認めるが、自分がした行為は「殺人」ではなく「救い」であると主張。大友は事件の真相に迫る中で、心を激しく揺さぶられる。

 

 

 

 

 

キラキラキラキラキラキラ

 

キャッチコピーは

「彼はなぜ42人を殺したのか」

 

 

 

戦後犯罪史に残る凶悪犯に降された死刑判決。-介護現場に溢れる悲鳴、社会システムがもたらす歪み、善悪の意味…。

(文庫カバー裏表紙より)

 

キラキラキラキラキラキラ

 

 

 

優しく面倒見の良い介護士の斯波は、父親の壮絶な介護経験から、42人もの殺人事件を起こした犯人だった。

訪問介護先の高齢者の中から、家族が介護に苦しんでいる家庭を選び、自然死に見せかけて殺していた。

ターゲット先の家のスペアキーをつくり、盗聴器をしかけ、入念に計画して実行した。

 

彼の目的は、対象となる高齢者を殺すことだけではなく、一大事件としてマスコミに取り上げられ、死刑判決を受けるところまで、世間に知れ渡ることだった。

 

 

 

検事は斯波に言う。

「お前の本当の目的は、お前の起こした事件が、広く世に知られることだ!実の親への嘱託殺人から始まる哀しき殺人鬼の物語を、この国の人々に突きつけることだ!(略)この社会に綺麗事では片付けられない歪みがあり、穴が空いていることを知らしめる物語を。豊かな先進国で暮らしていると思い込んでいる人々の目を覚まさせる物語を。お前は公開の法廷という場を利用して、そんな物語を語った。(略)だが、お前が本当に望んでいるのは、人が人の死を、まして家族の死を願う事のないような世の中だ!(略)違うか!?」と。

 

 

斯波は言う。

「もしそうだとして…ええ、これは仮定の話です。検事さんが言う通り、僕がたくさんの人を犠牲にして、自分の命すら賭してそんな物語を人々に語ったとしても、何も変えることができないかもしれない。(略)もしかしたら、今はまだ全然ましで、十年後、二十年後にはもっと酷いことになっているのかもしれない。いや、きっとそうなんだ。ひどく分の悪い。絶望的な戦いですよ」

斯波は続ける。

「それでも、せめて一矢。僕と父を追い詰めたものに、せめて一矢報いることができるなら。わずかでも未来に何かを残せるなら。戦う価値はあったのかもしれません」

 

 

キラキラキラキラキラキラ

 

 

 

「親の認知症」「親の介護」について、現在関係がないと思っている人でも、決して無縁ではないと思います。

仮に、もう実父母や義両親を見送った人であっても、自分が対象となる可能性もあるからです。

 

でもいまは、「うちは関係ない」「大変そうね」「頑張っていてえらいね」と思ってしまう。いつの間にか「高い場所」から見ているから、です。

(これ【高い場所から】は次に書く「52ヘルツのクジラたち」の感想で、子供への「ネグレクト」でも触れさせてください)

 

 

私は幸運にも、この年齢になるまで、一度も飢えたことがないです。

寂しい食生活の時代はあったとしても、「三食は食べられない」などという経験はここまで無かったです。

これを当たり前と思い、安穏に過ごしてきました(いや、自分にとってはいろいろあったつもりだけど)

 

実父は70になるやならずで倒れて要介護状態になりました。

私も多少は手伝ったことがあります。

とても「介護をしていた」とは言えない「多少」レベルですが。

実母は認知症にもなりました。

施設の方や多くの人に長年お世話になりました。

 

私がそれでも穏やかに過ごせたのは、実父母が反発することなく入所してくれたからだと思います。

(もちろんそれだけではありませんが)

施設入所は、家庭によっては難しい場合があります。

(身内にも知人にも何人もいます)

家族だけではどうにもならない状態で過ごしている家庭がどれほどいるのでしょうか?想像つかないです。

 

 

これは障碍者のいる家庭にも言えますが、しんどい時、自分たちでなんとかしないでまず声をあげることだと思います(自分も心しなくては)

声をあげられるように育っていたいし、あげられる環境であってほしいです。

(願いばかり)

声をあげたとき、どのように届くか、響くかがとても大事なのですが。

 

映画「護られなかった者たちへ」もまさに「あげた声が届かなかった」ために起きた事件です(「悲劇」とは言いたくない)

 

 

 

どうしようか、どうしたらいいか、困っている時に、困り果てる前に、「助けて」と、「どうしたらいい?」と、声をあげられるようにでありたいです。

そしてその声が届く先進国であって欲しいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

沢山の負を抱えた日本ですが、ひとりひとりが希望をもって暮らしていけるように願いたいます。

 

 

(壮大なまとめになってしまった…)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

映画「ロストケア」主題歌

 

森山直太朗「さもありなん」

 

映画予告バージョン

 

 

 

 

 

 

殿堂入り推し俳優・松山ケンイチさんが出ていなかったら、この映画に辿りつかなかったかもしれないです。

 

 

 

 

 

 

松ケン、いつもありがとうお団子お茶

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 



 

 


 

 

デリケートな問題です。

私の不勉強もあり、気になる点、失礼な点などがありましたらお詫び申し上げます。