静岡に住み、仕事の休みは基本日曜のみという僕には、「名古屋」「金曜」という単語は大いに悩ませるものだった。が、数日考え決心した。思いきって仕事を休んでしまおうと。
ライブ前日は浮かれていたわけではないが、地獄の炎天下のなか、上司に仕事の手際の悪さで散々怒られ、気が滅入りそうになった。それでもノックアウトせず立っていられたのは「ライブが全てのうっぷんを晴らしてくれる」という希望があったらだ。むしろもっと怒られ怒られ怒られまくった方が、より一層ライブでスカッとできるんじゃないかと頭をよぎったぐらいだ。
会場である名古屋のDIAMOND HALLは数年前、おとぎ話とトモフスキーの対バン、フラカンを観て以来、今回で3回目。
整理番号は決して早くはなかったが、なるべくステージ前方に進み開演を待った。待ちながら、会場で流れていた小沢健二の「ある光」が気持ちを高ぶらせた。
今回のライブで記憶に残ったことは数少ないが、激しいモッシュやダイブで揉みくちゃにされ、僕や観客の汗まみれになった腕が互いにヌルヌルと触れ合ったことや、気づけば観客から放出された酸っぱい匂いが会場を包んでいたことは強烈に覚えている。また、ライブ現場にいるというよりもライブDVDの映像のなかにいるような感覚があり、妙だった。
この妙な感覚とともに、自分もモッシュやダイブをするノリのいい客を演じなければという変な意識が芽生えてしまった。しかし僕は大人しく観ていたいタイプの人間である。狂ったようにモッシュやダイブをすることは僕にとって、不自然な行為である。
ライブが進むにつれ、徐々に後方に場所を移し、最後は一番後ろで直立不動状態のまま演奏を観ていた。端から見れば、テンションの低い客としか映らないが、僕自身は全身で音を浴び、心の中で十分盛り上がっていた。
ただ、ライブ終了後、暗い夜道、ひとりiPodで聴いた銀杏BOYZにもライブでは感じることのできないリアリティがあった。僕にとって銀杏BOYZはやはりひとりで聴く音楽なのかもしれない。早歩きをしながら少し目が潤んだ。