静岡市は真ん前が駿河湾にもかかわらず一昨日39.3度という観測史上最高気温、海水温が高く風がなかったからでしょうか? もちろんこれは全国一の気温でした。

 都知事選候補の一人が以前「2位じゃ駄目なんですか」などと言っていたが、これこそは3位でも4位以下でいい、なんと暑い事でしょう。小学生の下校時の防犯パトロールをやっていても炎天下では30分持ちません。

 今日は夏の暑さが本格的になるという二十四節気の「小暑」、しかし、今日から静岡市は軒並み38度の「大暑(耐暑)」、猛暑予想です。週末は外出せず巣ごもりします。 

 

 下記写真は、古札研究家の故荒木豊三郎(三郎兵衛)先生が生前、古銭雑誌「ボナンザ」(廃刊)誌上に「諸家様御切手鏡紙」(三河地方の米切手見本)の菊間藩大濱村(元愛知県碧南市)発行として紹介した米切手です。菊間藩(上総国)は明治維新後に旧沼津藩水野家が移封されてできた藩です。

 沼津藩は、慶長6年(1601)、小田原藩主大久保忠隣の叔父忠佐が2万石で立藩しましたが、跡継ぎがなく廃藩となりました。安永6年(1777)、幕府側用人であった水野忠友が2万石で入り、その後、忠友及び2代忠成が老中となって加増され5万石となりました。そして、明治元年(1868)、8代藩主水野忠敬が上総国菊閒藩(現千葉県市原市)に移封されるまで水野家8代が世襲しました。

 米切手には「亥9月9日}の日付がありますが、幕末・明治の「亥」年は嘉永4年(1851)、文久3年(1863)、明治8年(1875)の3回です。ただし、菊閒藩は廃藩置県によって明治4年に廃藩され菊閒県となり、同11月には木更津県となっているため明治8年には菊閒藩は既に存在しておりません、したがって、沼津藩領であった嘉永又は文久期の米切手と考えられます。

 

 沼津藩の飛地(大身旗本水野忠友は2万石で大濱藩を立藩、その後、沼津藩へ移った)で大濱領(21か村 1万3千石)といわれ大濱陣屋で管理しました。ちなみに菊閒藩では出張所と呼称しました。

 地元に残る古文書によりますと、沼津藩大領村での入札方法としては 

  大濱   御払米之事  1万俵

  入札場所 御陣屋    御領分之者斗入札

  入札定日 9月5日   御切手ハ銅7月日□

               2月5日  百俵

               6月5日  百俵

  金上納  9月御入札分 12月10日

  御切手限り

と記載されています。