折縁でやや深めの皿です。青磁釉の上に海浜の楼閣、柴垣、網干、柳、さらには2隻の帆掛け舟が染付線で描かれています。絵柄は何の変哲もない普通の海浜風景でありますが、折縁の縁まで絵が描かれているのが特筆すべき点です。

 さらに、この皿の最大の特徴は、高台畳付けの釉切れ部分が鋭利なカミソリで一直線に剥ぎ取られていることです。この釉剥ぎは中国舶来の祥瑞に見られる特徴ですが、これを写した古九谷様式の陶片が江戸城本丸横の汐見多聞櫓台石垣跡から発掘されているのです。

 汐見多聞櫓石垣は、明暦3年(1657)、本丸の張り出し部分を二の丸と区画する石垣として本丸御殿の東側に造営されたものですが、工事開始直後に明暦の大火(1月18日)によって一時中断されたものの、間もなく再開され同年11月に完成した石垣です。

 平成14年8月~同15年8月の間、千代田区が石垣の修復工事の際に発掘調査を実施したところ、石垣背面から明暦の大火を下限とする陶片類等(明暦の大火で被熱を受けて捨てられたもの)の資料群が出土しました。

 ちなみに出土陶片は、景徳鎮窯青磁・白磁、同窯明初青花・明末色絵・青花、その他中国磁器、朝鮮祭器、肥前磁器(初期伊万里染付、色絵古九谷)、鍋島(松ヶ谷、初期鍋島)などでありました。初期伊万里は梅鴬文吹墨皿陶片、古九谷様式は先に述べた高台畳付け剥ぎ陶片等であります。

 これらのことから、本作品は明暦3年(1657)より前の承応年間(1650年初め)頃に製作された献上陶器の一群の作品であろうと推考しております。

 

 口径14.4㎝×高4.0㎝×高台径8.3㎝

 

※ 江戸城からの出土陶片については「鍋島 誕生期から盛期作品まで 明暦三年被災、江戸城跡出土の初期鍋島陶片」小木一良・水本和美共著 創樹社美術出版発行)を御覧になれば、解説及び出土陶片等の写真が掲載されております。