せんじつの強い雨が花散らしの雨となり染井吉野も終わりに近づきました。今年は開花から満開、満開から散り始めがいずれも早く駆け足で通しすぎたように感じます。これからは躑躅が満開になります。また、ご近所の藤の花も綺麗に咲き始めています。

 

 江戸日本橋から数えて東海道22番目の宿場「岡部宿」(藤枝市)の宿場札です。岡部の宿札はこれまでに宿駕籠札1種は確認されていましたが、15年程前に新たに渋札の「賃四百札 駅郷限 午五月限」と、こより札の「賃百札 巳12月限」が同時に発見されました。こより札は宿場札としては大変珍しい札で収集家垂涎の札といって良いです。

 岡部宿から東の丸子宿に至る中間に標高210mの難所「宇津ノ谷峠」があります。平安時代の歌人在原業平が「駿河なる 宇津の山べのうつつにも 夢にも人にあはぬなりけり」と詠んだ宇津の山越えの古道「蔦の細道」です。蔦の細道は奈良時代から官道(伝馬の道)として使用されて来ましたが、豊臣秀吉が小田原攻めの際に新道を切り開き、その後東海道として整備されました。今は国道1号線のトンネルが通り、旧道は迂回路・散策道となっています。

 岡部宿は山中の小さな宿で、家数487軒、人口約2300人、本陣2軒・脇本陣1軒、旅籠屋27軒でした。旅籠屋は今でも「柏屋」が観光名所になっています。

 こより札裏面の角印内に「岡部駅」の文字が読めます。

 裏 

 

 岡部宿から北東へ1㎞ほど入ったところに桂島という村(志太郡 村高211石)があります。この村の旧家から古文書に挟まれた「こより札」(人足 亥二月二十日)数枚が発見されました。、それが下記写真の札です。

   こより札は大井川のこより札とよく似ていますが、岡部宿の札と比べると若干細めです。こよりの村札は全国的にも非常に珍しく、発見された時は大騒ぎでした。

 岡部宿桂島村においてどのような経緯でこより札が発行されたのか全く理由が分かりません。