写真は、浜方あるいは浜中先納切手と言われる特殊な蔵米切手です。

 浜方とは大阪堂島市場(米市場)関係者をいい、藩が浜方から借銀(借金)をして先納米切手を担保に入れたものを、債権者の浜方が更にこれを再担保として小口の出資者を募り、これに対して浜方が出資者に担保の米切手とともに交付した証文です。返済額は枝切手の裏面に記載されます。

 切手は宝暦11年(1761)に豊後国森藩(久留島家 1万2500石)が播磨屋利三郎から借銀を行い、寛政10年(1798)までに完済できなかったため、同11年12月に改めて播磨屋から米50石を担保として銀1貫500匁を借銀したものです。裏面からは36年間で800匁余が返済されたのみであることが分かります。

  表    裏 

    縱31.7㎝×横14.3㎝

 

 表面の文言は、「覚 此引当切手五拾石相渡置 一 銀壱貫五百目也 右者森(木成は森の異体字)先納毎年済込銀也 寛政十一

年未十二月改  濱中 播磨屋利三郎殿」とあります。

 

※ 森藩は現大分県玖珠郡玖珠町に陣屋が置かれた小大名です。藩主は瀬戸内の村上水軍の頭領来島氏で、通称来島水軍と呼ばれる戦国大名でしたが関ヶ原の戦で敗戦し、福島正則(妻の叔父)の取りなしで何とか1万4千石を安堵され当地に立藩しました。その後、久留島に改姓、3代藩主通清の時、弟2人に1500石を分与したため1万2500石となりました。