能登半島地震は時間の経過とともに被害の大きさが分かって来ました。亡くなられた方など人的被害は痛ましい限りですが、海底隆起によって港の入り口が塞がったり水深が浅くなって船が座礁したりと、今後の生計がなり立たなくなった地域もあります。この珠洲や輪島地方の方々の苦難を思うと言葉がありません。避難生活も大変なようです。地震県の静岡県人としては人ごととは思えません。

  

 長さ44.4㎝×重さ473g  鉄丸形棒身 丸握柄 鉄先尖り長鈎 鉄楕円形紐付け鐶

 

 いかにも田舎の目明しが所持していたであろう十手です。特徴といえば先端が尖った長い刀もぎ鈎です。鈎先に触れるとチクッとしてとても痛いです。一般的な目明十手と比べると棒身もやや長いですし、重さも50~70g位重いですので実戦的な十手といえます。

 但し、これだけ棒身との鈎の間隔が狭いと、受けた刀を棒身で滑らせて上手に鈎の中に入れ込まなければなりません。技術的にも相当の訓練を積まなければこの十手の使用は難しいのではないでしょうか。

 

 地方には藩や旗本・代官公認の目明しがいました。「目明し金十郎の生涯」(阿部善雄著 中公新書)という古い本がありますので興味のある方は読んでみてください。

 また、関東の村々には番太や目明番太と呼ばれる村の用心棒的な男達もいました。流れ者、無宿者、盗人等が村内に入った場合や村内でのもめ事に駆け付けて取り押さえたり、もめ事を収める役割を負っていました。普段は村外れで村から借りた小さな田畑で野菜を育てたり、年に幾ばくかの村人からの供出米や野菜等を貰って生計を立てていました。危険が伴うため度胸と腕っ節の強い男や盗賊から足を洗って堅気になった男などが選ばれました。もちろん、中には二足の草鞋といわれる土地の顔役(ヤクザの親分など)がいて、幾人かの子分も十手や6尺棒、目潰し、石礫などを武器として携行していました。これらの人達は八州廻りが廻村して来ると、自分の受け持ちの村及び近郊をお供して廻りました。