昨日9月1日で私も後期高齢者(75歳)の仲間入りをしました。足腰も次第に弱り数年前は1時間以上早足で歩けた散歩も、今はゆっくりと30分で切り上げています。先日は自動車学校で高齢者講習と認知症検査を受け免許更新をしてきました。
さて、いわゆる「番太」十手です。江戸の十手コレクション(井出正信著 里文出版)39頁№86の所載品です。
同書の解説文を抜粋して紹介します。「がっしりして重量もあるこの十手はまさしく実用一点張りなのであろう。形も無骨なもので何の細工も施されていない。丸みを帯びたユーモラスな鈎には、手抜き紐を通す丸い穴が空いている。実際に捕物に使うための十手だったようだ。徳山市の〇〇さんが探してくれた。こうした十手は番太十手と呼ばれている。山口当たりの村の番太がこの十手で手柄を立てたこともあるのだろう。」
鉄八角形棒身 小型鉄鈎・手抜き穴 丸形握柄 楕円形鉄太紐付け鐶
番太は、江戸時代、江戸の町では各町内の辻々に置かれた木戸番や辻番(武家地)に勤務した見張り番をいいました。地方では村境や年貢米の蔵番など、火の番や夜警、犯罪者・流れ者等の取締りを行い、番太とか番太郎と呼ばれていました。番太には平民のほか非人身分の人達も沢山いたといいます。
※ 明治7年(1874)、明治政府により警視庁が創設され、警察官が士族を中心として組織されました。しかし、不足の邏卒
(巡査)を補充するため、番太の中の優秀者500人を選考採用したところ、先に採用された武士や奉行所与力・同心が猛反
発(江戸時代の身分の違い)し辞職者が相次いだため、全国から邏卒多数を徴募し直さなくてはならなくなったといいます。
この時、鹿児島や東北の下級武士を多数採用したため、東京(旧江戸)の人々には言葉が分からず、かつ気位のみが高いだけ
で粗暴な邏卒を「番太みたいな奴」などと卑下したといわれます。