関東取締出役、いわゆる八州廻りが所持していた十手です。
先細の鍛鉄棒身には銀が塗られた痕(いわゆる銀流し)が見られ、真鍮巻きの握柄には幾何学紋様の線彫りが施されています。
棒身の柄付近には「十世明珍信家」の銘が入れられていますが、銘の真偽は不明です。明珍信家(明珍17代)は甲冑師ですが、桃山・江戸初期の人ですので別人だと思います。江戸時代、信家を名乗った金工は駿河や加賀、越前、江戸赤坂などにいたそうです。明珍系のいずれかの金工が十世信家を名乗っていたものと思われます。
関東取締出役(八州廻り)は、関東地方が大名領・旗本領、天領などが入り乱れていたため、犯人を捕らえようとしても他地域に逃げ込み逮捕ができないことと、博徒が跋扈し農民の間に博奕が流行、農業をおろそかにしたり逃散者が増加したことから、文化2年(1805)、勘定奉行支配の下に創設されました。
八州とは武蔵、相模、上野、下野、常陸、上総、下総、安房の関東8か国(関八州という)をいい、御三家の水戸藩領を除いた大名・旗本・天領・寺社領すべての地域の博徒や犯罪者の取締りを任務としました。
「八州廻りは泣く子も黙る」と恐れられ、町奉行所与力・同心と同じような銀流しに唐草文様の施された十手等を所持して、馬や籠の使用が許されていましたが、身分的には同心と同じ、またはそれよりも低い身分の人達でした。
敲き刑以下の罪は即決、手に余れば切り捨て御免であり、無宿者は有無を言わさず取り押さえることができました。
「十手・捕縄事典」(名和弓雄著)によれば、八州廻りの十手の房紐は浅黄色と江戸紫色の2種類であったといわます。