鈎が竹節状になった十手です。竹節の十手は、№18の京都奉行所同心十手で紹介しておりますが、十手収集・研究の大家である故名和弓雄先生によれば「関西淀一派(正次)」の十手とのことです。
京阪の十手工房で製作され、武具専門店で販売されて、大坂の蔵屋敷や京都の藩邸に出張した各藩の武士が購入して国に持ち帰り、京阪地域及び西国各藩に広まったと考えられています。そのため、かなり多くの類似の十手が現存しております。
私は「鍛鉄ではあるものの鉄味の余り良くない数物の十手で、比較的に保存状態が悪いものが多い。」という印象を持っております。
鍛鉄丸形先細棒身 鉄太鼓胴竹節鈎・真鍮刻み二重切羽
鮫革丸形握柄(鮫革修理)・鉄縞筋柄頭 鉄宝珠形紐付け鐶真鍮座金 時代朱房付き
※ 十手について
古来、番所の三道具を「突棒、刺又、袖搦」といい、捕者の三道具を「鼻捻、萬力、十手」と称した。このうち、十手は捕物
道具として我々が最もよく知る道具であり、下は手先や目明しの手にした野鍛冶製作の簡素なものから、奉行・郡代・代官など
武士が所持した刀工製作による刀装具に匹敵するような細密な細工が施された十手まで多種多様である。
十手は諸流派による工夫、地方別、階級(階層)別、更には官給品・私物など形式形状の種類が多く、100本集めれば10
0本、それぞれが少しずつ違って同じものは二つとないというのが魅力のひとつである。
江戸時代における捕縛や捕物道具等に関する資料については、江戸幕府や大名等の方針で「由らしむべし、知らしむべからず
(論語)」として、「従わせるが、その内容は詳細には知らせない」(本来の意味とは異なる)との方針で秘せられ、公表や発
表・出版・研究が全く行われずに現在に至っている。また、災害(関東大震災等)や戦災で焼失したものも沢山あります。
そのため、十手に関する資料は殆どない状態であり、わずかに各流派の秘伝書や絵目録が書き残されて伝わるのみである。