私が住む静岡県内の浜松市北区細江町気賀の旧家から古文書とともに発見された十手です。

 

 長さ34.7㎝ 重さ252g

 鉄丸形先細棒身 鉄鈎 籐巻き丸形握柄

 宝珠形鉄紐付け鐶・真鍮菊型座金

 

 気賀(旧引佐郡細江町)には江戸時代東海道の三関所のひとつ気賀関所がありました。東海道新居関所での「女改めの厳しさ、今切の渡しの渡海(悪天候での舟止め、着物を裾を広げて舟に乗る煩わしさ)、今切の名前の縁起悪さ」などから、女性は特に浜名湖の北岸を通る脇街道の本坂道(通称姫街道)を利用しました。

 

 気賀関所は、気賀の領主旗本近藤氏(気賀近藤氏)が関守をし、番頭2人、平番士5人、下番士1人、足軽2,3人の10人程度が配置されていました。

 この十手が発見された旧家は旗本近藤氏に関係のある家だということですので、確証はありませんが、気賀関所の下役あるいは気賀宿役人等が所持した十手と推考しています。

 

※ 近藤氏は元今川氏の国人でした。家康の遠江侵攻の際、徳川家に帰属、その後、

  井伊直政の与力とされ数々の武功と立てたが、直政と折り合わず出奔、直政の死後、

  許されて秀忠の家臣となる。のち1万7000石の大名となって井伊谷藩を立藩するも

  子弟ら5人に所領を分知し、金指近藤、気賀近藤、井伊谷近藤、花平近藤、大谷近藤

  の旗本五近藤となる。気賀近藤氏は秀用の次男用可が気賀及びその周辺に3900石

  を所領した。