ブログの第2回目は鍋島焼です。
鍋島焼は、江戸時代初期に肥前国佐賀藩(鍋島家)領大川内(伊万里市)の藩窯で焼かれた、いわゆるお庭焼であり、徳川将軍家や幕府要人等への献上・贈物として製作されました。
当時としては、我が国の最高技術と材料を使い、かつ手間とお金を惜しみなく注ぎ込み、生産性や経済性を度外視した特別誂えの最高級の焼物でした。
佐賀藩鍋島家は、関が原の戦で初代藩主勝茂が西軍(豊臣方)に加担した負い目と島原・天草の乱での抜け駆けによる謹慎など、お家断絶の危機が何度もあり、それに加えて隣国の加藤家が断絶となるなど、徳川将軍家との関係修復が最大の課題でありました。このため、当時、我が国唯一の磁器であり、藩の特産品でもあった伊万里焼の特注品を製作し献上品としたのです。
写真は、盛期(1670~1700年代)の藍鍋島芥子文三寸皿です。
染付で濃淡が美しく描かれています。本作品の特徴は、通常の木杯形鍋島皿よりも腰に膨らみがあるのが特徴です。裏側面には三方に七宝文が配されています。七宝文の紐や高台の櫛歯文には盛期の約束事である輪郭が引かれています。
口径11.8㎝×高3.6㎝×高台径6.5㎝