三島由紀夫『宴のあと』読書会のもよう(2020.1.31) | 信州読書会

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2020.1.31に行った

 

三島由紀夫『宴のあと』読書会のもようです。

 

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私も書きました。

 

「政治と情事は瓜二つ」

 

田中真紀子さんは、独身の小泉純一郎が首相になった時、ファーストレディーのように振舞っていた。彼女が、甲斐甲斐しく純ちゃんのネクタイを直しているシーンがTVに何度も移った。総裁選の功労者として外務大臣に抜擢された彼女の人気は、小泉政権のスタート時の起爆剤であった。その後、スタンドプレーから、揉め事を起こしまくり、田中真紀子さんは、更迭され、小泉総理と袂を分かつ。彼女の人気は、小泉政権発足に利用され、その後、彼女は政権の矢面となって、世論の攻撃にさらされた。

 

愛人のいないルイ16世のバッシングの矢面に立たされたのが、マリー・アントワネットだった。王に寵姫があれば、彼女も、自分の立場を守って、オーストリアに帰れたかもしれないが、そこは、婚姻同盟がカトリックの宗教的足枷に縛られていたせいもあって、離婚できない。彼女へのバッシングは、革命の原動力になった。

 

政治学者丸山眞男が『人間と政治(岩波文庫「政治の世界」所収)』の冒頭で『政治の本質的な契機は人間の人間に対する統制を組織化することである』と述べている。女性が矢面に立たされるというのは、人間に対するという統制の組織化の過程で避けられ得ない現象だ。

 

自民党には安倍ガールズともいうべき女性議員達がいる。杉田水脈議員、三原じゅん子議員、そのほかにもいろいろいるが、この議員たちが、政治家としての資質を問われるような発言を繰り返して、よくネットで炎上している。その傍ら、閣議決定で私人として扱われることになった安倍昭恵総理夫人は、なんだかんだで、矢面に立たなくてもすむようになっている。森友学園への政治的関与もウヤムヤになっていった。矢面がたくさんあるというのはこういうことだ。

 

皇后雅子さまも皇太子妃だった頃、よく週刊誌で叩かれていたが、あれも、今思えば、上皇后美智子様さまが、批判にさらされないための矢面になっていたからだろう。雅子さまは、以前ほど週刊誌で叩かれなくなった。

 

『宴のあと』の福沢かづは、政治に深く関わったために、裸で世間の矢面に立ってしまった。そのため、都知事選の終盤に、保守党の多額な資金が投下され、彼女の過去が怪文書で暴かれ、ネガティブキャンペーンの餌食になる。選挙において夫婦は、役割分担しなければならない。高度に統制を組織化したものだけが、権力を奪い、かつ奪い取った権力を維持できるのである。福沢かづの野口への情熱あふれる献身に、小泉政権初期の田中真紀子さんの姿がダブった。

 

福沢かづが奉加帳を持って歩き回るように、安倍昭恵総理夫人の奉加帳も、総理である夫の名前から始まり、たくさんの人が名前を連ねられているに違いない。この奉加帳が7年にわたって膨れ上がっているのが、今の日本の政治的状況だ。そして、奉加帳を守るために矢面に立つ女性議員も、御用女性評論家もたくさんいる。高度な組織化である。

 

このように、保守党=自民党の政治というのは、『政治と情事は瓜二つ』(第九章)の原理に従って高度に統制され組織化されている。かつて今太閤と呼ばれ、奉加帳の筆頭に署名するような権勢家だった田中角栄の娘さえも、その奉加帳を守れなかった。以上の仕組みを理解して、組織化して、政権を狙わないと、野党はいつまでたっても政権を打ち立てることはできないような気がする。

 

  (おわり)

 

読書会の模様です。