「リヴァイアサンのそっくりさんご登場(笑)」 | 信州読書会

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 NHKBSで冷戦時代の特集をやっていたので観たら、ゴルバチョフ書記長の顔が、現在と昔で微妙に変わっている気がした。特徴であった「おでこのあざ」は、似ているのだが、目の形や顔の輪郭がどうも、以前のゴルバチョフと違う。声も、昔の映像の中で演説しているものと違う。

 

 だから、「そっくりさんご登場(笑)」というクオリティーだ。

 

 

 プーチンも60過ぎてから美容整形したのか、シワがなくツルツルになっていた。政治の世界に現れた頃のプーチンとは若干顔つきが違う。同一人物なのか、どこかで入れ替わったのか、わからないのだが、違和感が残る。

 

 ロシアというのは、昔からそういう、人間と政治体制の暗部を垣間見せるような国だ、そりゃ、スターリンが何万人も政治局員粛清するような国だから、そう仮定すれば、そういうこともありうるのかもしれない、などと思ってしまう。

 

 こういうこと言うと、現在では、陰謀論だと言われそうで、私もあまりいいたくないのだが、そうはいっても直観的に、「おかしいな」と思うことは、TVを観ているだけでもたくさんある。

 

 この現象の世界では、何が起こってもおかしくはない。世界の要人が入れ替わるようなこともあるのかもしれない。そんなことはありえないという前提でものを考えるのか。

 

 あるいは、自分の直観を考慮して、「もし~だったとしたら、~だ」と仮定する余地を残して? さまなざま仮説を暇つぶしがてらに検証してみるか?

 

 すべてを疑ってかかったら、生きているのが嫌になる。

 

 しかし、違和感を感じても、自分でつじつまをあわせて修正していけば、生きるのが楽になるのかといえばそうでもない。

 

 もちろん、プーチンやゴルバチョフが入れ替わろうが日本人の我々には大した影響はない。

 

 だが、人間が入れ替わる以外の入れ替わりなら、日本でも行われている可能性もある。

 

 イラクの日報が出てきたニュースや、公文書の改ざん疑惑など、日本の政治の世界でもつじつまの合わない事実をつじつまあわせのために、公文書の隠蔽や改ざんが行われている可能性がある。

 

 政治の世界は、フェイクや隠蔽、改ざんがないとはいえない。あるとすればどの程度あるのか?

 

 そういうことを、どうやって見極めるのか? 

 

 人間個人のレベルでも、事実に対するウソ、いいわけ、否認、矮小化などなど、日常茶飯事だ。

 

 罪の無いものなら、それこそたくさんしているだろう。

 

 例えば、仕事のやる気がでないとき、「疲れている」「風邪かもしれない」「最近忙しすぎたから休んでも言いはずだ」などなど、サボる理由を思い浮かべるはずだ。自分の心にきいてみればいい。誰にでも、ある程度、ウソや隠蔽や改ざんがあるだろう。

 

 人間が、ウソや隠蔽や改ざんの産物であるとまで極論すると、人間不信になるから、そこまで激しく欺瞞を糾弾することは、通常はしない。おかげさまで、ある程度のところでウソはひかえるし、お互いウソはついていないという信頼関係を前提として社会秩序が保たれている。

 

 しかし、改ざんや隠蔽が「なんのためか?」という問題が残る。

 

 すべてのウソや欺瞞、改ざんにはは、手段であり、となると、目的が別にあるはずだ。

 

 ゴルバチョフのそっくりさんが、今のゴルバチョフであるとして、なぜ、そっくりさんを必要としているのか? その目的を考えると、陰謀論とは別の説明が必要になる。

 

 ウソや欺瞞を見抜いて、事実を暴き出すのは、手品のタネ明かしみたいなものだ。

 

 巧妙な仕掛けを見抜いたからと言って、それが何のために行われたかは別の話だ。

 

 では、その手品には、一体何の目的があったのか?

 

 それは、お客さんを驚かせるためだろう。

 

 では、仮に、と前提して、ゴルバチョフのそっくりさんは、何の目的があるのか?

 

 ゴルバチョフが生きているということは、旧ソ連からロシアへの政治体制の移行が、一応は民主的なプロセスだったということになる。民主的なプロセスという正統性を担保するために生きているともいえる。本物だろうがそっくりさんだろうが、正統性のためなら、ゴルバチョフらしき人が、存命で、それなりにもっともらしい思い出話をしてくれればいいのかもしれない。

 

 誰にとっていいのか、それはロシア人にとってだろう。

 

 ロシア人の正統性の維持が目的だ。

 

 これは、私の仮説だ。単なる暇つぶしである。

 

 森鴎外の小説に『かのように』という作品がある。主人公の綾小路秀麿が、ドイツに留学して、政治体制の中にある『かのように』に気がつくという話だ。

 

 キリスト教は、本気で、信仰していなくても政治に必要だという割り切りがあるという話が書いてある。『かのように』で物事は進んでいる。政治体制も、『かのように』で成り立っている。

 

 ウソや欺瞞は、政治体制を維持するためにある。手段は目的のためにある。

 

 それは、究極的には今の国家権力を維持することこそ目的なのだ。

 

 そっくりさんでも、目的のためには必要なのかもしれない。

 

 

 しかし、19歳の巡査が、強い殺意を持って、上司に2発撃ち込むというのは、『かのように』の埒外だ。

 

 手品師が手品で観客を欺いたといって、お客に殺されることがあるだろうか?

 

 エンターテイメントなんだから、金返せという感じで怒るくらいが関の山だ。

 

 (ただし、興行主は、その手品師に興行の失敗の責任をとらせるだろう)

 

 警察活動の目的が見失われていることを示す深刻な事件だと思う。

 

 自ら国家権力の一つである巨大組織に、目的が見失われている。

 

 正統性が揺らいでいるということだ。土台から揺らいでいる。

 

 19歳の巡査が、交番からバックレて、しばらく行方不明になって、懲戒処分ならわかるが、2発撃ち込んで上司を殺害するというのは、手段の過剰である。

 

 警察の目的は、国民と公共の秩序の安全の維持だ。

 

 そして、手段としての警察は、露骨な国家権力の行使でしかない。

 

 今回の事件は、隠しようのない事件だから、異様なショックを与えたが、日本の行政組織の隠蔽工作は、結局露骨な国家権力の行使に歯止めが効かなくなっている証拠だ。

 

 

 政治が目的でなく手段になっている。

 

 国民不在の政治が行われるとすれば、国家権力の維持がその目的である。

 

 自己増殖するウソや欺瞞は、国家権力の自己増殖となって現れている。

 

 政治哲学者ホッブスが世俗権力を「リヴァイアサン」という怪物になぞらえたのは、自己増殖する国家権力の凶暴性を表現するためだ。

 

 国民に襲いかかるリヴァイアサンには、抵抗するか逃亡するかしかない。

 

 でなければ、国民はおとなしく喰い殺されるまでだ。

 

 で、唐突に思うのだが、2018年4月13日にアメリカ・フランス・イギリスがシリアを空爆した。

 

 仮に今後、シリア情勢が悪化して、ロシアと、アメリカ・フランス・イギリスが対立が深まると、6月のロシアW杯に、イングランドやフランスは出場を見合わせるかもしれない。

 

 だとすれば、ハリルホジッチ監督の解任というのは、案外外交的な動機なのかもしれない。

 

 フランスが出場ボイコットすれば、フランス国籍のハリルホジッチも、ボイコットだろう。

 

 だったら、早めに手を打って、電撃解任だろう。

 

 いずれにせよ、日本は、ロシアW杯にでるということだ。

 

 アメリカは予選敗退しているから関係ない。イタリアが予選敗退したのは、まあ、(笑)

 

 

 そして、ハリルホジッチの解任は、興行師(サッカー協会)が手品師をクビにしたという話だ。

 

 ロシアは平昌オリンピックでドーピング疑惑をかけられ、散々な目にあっているから、なんらか、ロシアW杯で、西側諸国に意趣返しする可能性はありうる。

 

(おわり)