「言論の自由は権利であり、また義務でもあるが、他人を傷つけることなく表出されなければならない」③
事件後、ムラベの家族が会見し、「野蛮な行為に対して心が打ち砕かれた」とした上で、「過激派とイスラム教徒を混同してはいけません。ごちゃまぜにしないでください。モスクやユダヤ教の礼拝堂を焼いてはいけません。それは人々を攻撃するだけで、死者は戻ってこないし、遺族の悲しみを癒やすことはできないのです」と訴えた。
1月11日には、フランス各地で犠牲者を悼むための大行進が実施され、その数は全国合計で少なくとも370万人に達したとの推計を同国内務省が発表した。このうちパリの行進に加わったのは160万人超とみられ、イギリスのデーヴィッド・キャメロン首相やドイツのアンゲラ・メルケル首相ら欧州主要国を中心とする40人超の各国首脳も参加したほか、トルコのアフメト・ダウトオール首相、イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相、マフムード・アッバースパレスチナ自治政府大統領、ロシアのセルゲイ・ラブロフ外相らも参加した。また日本からは鈴木庸一駐仏大使が政府を代表して参加した。
シャルリー・エブド襲撃事件以降、フランス各地では「報復」ともみられる、嫌がらせや暴力・発砲事件が数十件起きている。イスラム教徒やその関連施設などが標的となっており、南部のコルシカ島ではイスラム教徒が食べることを禁じられている豚の頭と脅迫の手紙がモスクの入り口に置かれ、西部ポワチエや北部のベチューヌなどでは「アラブ人に死を」、「アラブは出て行け」などの落書きが見つかっている。事件に発展したケースもあり、南東部の町ではアラブ系の男子高校生が4、5人のグループに殴られ、南部ボークリューズ県ではイスラム教徒の家族が乗った乗用車が銃撃された。南東部サボア県では夜中にモスクが放火され、南西部ポルラヌーベル(ナルボンヌ近郊)では無人のモスクに銃弾 数発が撃ち込まれた。東部ビルフランシュシュルソーヌではモスクのそばにあるケバブの店で爆発事件があり、西部ルマンではモスクに手投げ弾3発が投げ込まれた上、銃撃されて窓などが破壊された。
シャルリー・エブド襲撃事件後に同紙のムハンマド風刺画を転載していたドイツ・ハンブルクの日刊紙ハンブルガー・モルゲンポストの社屋が、1月11日未明に放火された。独警察は容疑者2人を逮捕。
1月12日、シャルリー・エブドは、襲撃事件後初となる1月14日発売号の表紙に、「すべては許される」とのメッセージの下で「私はシャルリー」と書かれたカードを掲げて涙を流す預言者ムハンマドの風刺画を掲載すると発表した。これに対して、エジプト・カイロにあるイスラム教スンニ派の最高権威機関アズハルは、「憎悪をかき立てる」だけと警告した。声明で、「(同風刺画は)平和的共生に資するものではなく、イスラム教徒が欧州や西側社会に溶け込むのを妨げる」と述べた。アズハルは、シャルリー・エブド襲撃事件を最初に非難したイスラム団体のうちの一つで、「イスラム教はいかなる暴力も糾弾する」と批判していた。また、ジュネーヴに本部を置くジャーナリスト系NGO団体「プレス・エンブレム・キャンペーン」もこの最新号について「配慮に欠ける行為。プロのジャーナリストは中傷や侮辱をしてはいけない」と反対を表明した。
1月12日、フランス政府は、国内の治安確保のため仏軍を1万人規模で全土に展開するほか、ユダヤ教関連施設に警官ら約4700人を当てる厳戒態勢を発表した。
1月13日、犠牲となった警官の追悼式典がパリ警視庁で営まれ、オランド大統領は「彼らはわれわれが自由に生きられる環境を守るために亡くなった。フランスが(テロの脅威に)屈することは決してない」と演説した。
1月13日、シャルリー・エブドの1月14日発行の特別号表紙となるムハンマドの風刺画を描いた風刺画家のルスらが記者会見した。ルスは、一部のイスラム教徒などが風刺画掲載続行に懸念を示している状況について、「表現の自由は、条件や制限がついたものではない」と述べ、風刺やユーモアへの理解を求めた。また、「テロの実行犯は、ユーモアが欠如している」と言論を封殺しようとした行為を厳しく非難した。
1月13日、フランス議会は、イラクやシリアで勢力を広げるイスラム過激派組織「イスラム国」への攻撃継続を、賛成488、反対1、棄権13の圧倒的賛成多数で議決した。フランス軍は2014年9月以降、イラク国内でのアメリカ軍のイスラム国空爆に参加しており、フランス議会では(空爆参加から)4カ月後に攻撃継続に関する議決が義務付けられていた。バルス首相は同日、仏下院で演説し、「フランスはテロとの戦争に入った」と宣言、治安対策の強化に乗り出す方針を表明。フランスはイスラム国への欧州最大の戦闘員供給国となっており、イスラム国による勧誘の主要手段となっているソーシャルメディアの監視強化などが議論される見通し。
1月14日、シャルリー・エブドはムハンマドの風刺画を表紙に掲載した特別号を発行。同紙の風刺画転載に関しては、事件直後の各国主要メディアでも対応が割れた。フランスではリベラシオンが1面の全面を使って転載し、社説で転載を自粛したり絵柄をぼかして掲載した外国紙を批判、「政教分離はシャルリー紙だけでなく、フランスの方針でもある」と主張した。ル・モンドは1面でイスラム、ユダヤ、キリスト3宗教の信者が共に風刺画を楽しむ様子を漫画で掲載。一方、フィガロは転載を見送った。イギリスでは主要5紙のうち、ガーディアン、インデペンデント、タイムズの3紙が紙面にシャルリー・エブドの最新号表紙を掲載した。ドイツではビルトが最終面の全面を使って転載したのに対し、フランクフルター・アルゲマイネは、シャルリー・エブド紙最新号が山積みになった写真を小さく載せたにとどまった。米主要メディアは「宗教的な感情を害する」などとして風刺画を転載しない慎重姿勢が主流で、ニューヨーク・タイムズやAP通信は掲載・配信をしない方針。一方、ワシントン・ポスト紙は風刺画を転載し、記事の中でマーティン・バロン編集主幹は「ムハンマドの描写そのものが侮辱的だと考えたことはない。宗教グループに対して明白に、故意に、または不必要に侮辱的な表現は避けるという方針は変わらないが、今回はそれに当たらない」と説明している。2005年のムハンマド風刺漫画掲載問題で知られるデンマーク紙ユランズ・ポステンは、社説でムハンマドの風刺画はどんなものであっても二度と掲載しないと発表し、「我々はこれまで、テロの恐怖におびえてきた。暴力や脅迫に屈してしまったということだ」と説明した。
1月15日、事件をきっかけに世界中で言論の自由をめぐる議論が広がっていることに関して、ローマ法王は記者団から意見を求められ、「神の名において人を殺すのは愚かしい」と事件を強く非難すると同時に、「あらゆる宗教に尊厳」があり、何事にも「限度というものがある」と指摘して、「他人の信仰について挑発したり、侮辱したり、嘲笑したりしてはいけない」という考えを示した。また、言論の自由は信仰に対する敬意があれば自制されてしかるべきものだとして、「言論の自由は権利であり、また義務でもあるが、他人を傷つけることなく表出されなければならない」と諭した。
1月16日、事件後もシャルリー・エブドが預言者の風刺画を載せたことに対して、アフリカ各地で抗議デモが発生。アルジェリアでは数千人がデモに参加し、一部が暴徒化して警官と衝突。ニジェールではデモの他、キリスト教の教会が襲撃され、フランスの文化センターが焼き討ちにあった。なお、アルジェリアもニジェールもフランスの元植民地である。
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結果として多くの犠牲者をだした・・・②
同8日にはパリの南に位置するモンルージュ市で20代の女性警官1名が殺害された。彼女はカリブ海のフランス海外県マルティニーク島出身だった。 当初は前日のフランス紙襲撃事件との関連はないとされたが、9日には捜査当局は関連性を認めた。
同9日、パリ=シャルル・ド・ゴール空港約15キロ北東のダマルタン=アン=ゴエルの印刷会社で人質を取り立てこもっていた容疑者2名をフランス憲兵隊特殊部隊が包囲し射殺した。
なお、逃げ遅れた従業員の1人は、2階の押し入れに隠れながら携帯端末を使ってフランス当局に屋内の情報を提供し、この突入作戦を成功に導く立役者となった。
また、パリ東部にあるユダヤ系食料品店で人質を取り立てこもっていた容疑者も殺害され人質全員が救出された(ユダヤ食品店人質事件)。しかし、特殊部隊の突入前に既に人質4人が殺害されており、一連の事件において合わせて17名の市民が亡くなったことになる。
この立てこもりの犯人は、パリ南郊のモンルージュ市で8日に発生した女性警官殺害事件に関与したとして公開手配中の32歳の男性で、内縁の妻の26歳の女性も女性警官殺害事件の共犯として指名手配されている。この32歳の男性は、イスラム過激派への参加志願者をイラクに渡航させるネットワークに所属しており、いずれの事件の容疑者も同一のイスラム系組織に所属していたと思われる。
警官銃撃事件の容疑者の男は9日、仏民放テレビBFMの電話インタビューに応じた。中東でイスラム過激派組織「イスラム国」に加わったことはないのかという問いに対しては、「あえて避けた。参加すれば計画がだめになるから」とイスラム国との関連を否定した。
犯行の時系列
1月7日11時20分(すべて現地時間) - 武装した覆面姿の犯人らがニコラ・アペル通り6番地のシャルリー・エブド紙の倉庫を襲撃し、「シャルリー・エブドはここか?」と叫んだが、事務所ではないことに気づき、すぐさま離れる。
1月7日11時30分 - ニコラ・アペル10番地にある同紙の事務所に押し入り、社員ら12名を射殺。11人が負傷。駆け付けた警察官と銃撃戦後、車で逃走。
1月7日 - 逃走中に他の車と接触し、車が損傷したため、パリ市北部にある19区ポルト・ド・パンタンで同車を捨て、別の車両を強奪して逃走、歩行者1名を跳ね、警官らに発砲。
1月7日 - 乗り捨てられた車に残されていたIDカードから、パリ、ストラスブール、ランスの容疑者宅を警察が捜査。
1月7日23時00分 - 容疑者3名のうち最年少18歳の少年が警察に出頭(のちに、犯人の義弟だが関係は疎遠で、犯行時には授業を受けており無関係であることが判明)。
1月7日夜 - 容疑者が兄弟であることを発表。
1月8日9時00分 - モンルージュで女性警官1名が撃たれて死亡、市職員も負傷。
1月8日10時30分 - エーヌ県ヴィレル=コトレのガソリンスタンドで強盗ののち、別の車で逃走。
1月9日8時30分 - 別の車両を強奪し、パリ北東郊外のダマルタン=アン=ゴエルに逃げ込んだことがわかり、保安部隊が配備される。
1月9日9時00分 - 容疑者兄弟、印刷会社に籠城。
1月9日12時30分 - 交渉人が犯人と接触していることが報道される。
1月9日13時30分 - パリ東部のポルト・ド・ヴァンセンヌのユダヤ系スーパーマーケットで別の襲撃犯が人質を取って籠城。男は前日モンルージュで女性警官を射殺した容疑者と判明する。
1月9日17時00分 - 印刷会社に立てこもっていた容疑者が脱出を図り、国家憲兵隊の治安介入部隊(GIGN)に射殺されたことから、スーパーマーケットにも国家警察の特別介入部隊(RAID)およびパリ警視庁のコマンド対策部隊(BRI-BAC)が強行突入し、容疑者を射殺。
事件の容疑者はアルジェリア系フランス人(フランスにおけるアルジェリア移民)でパリ出身の34歳と32歳の兄弟。このうちの1人は2005年にイラクにジハーディストを送り込んだ事件に関連して、執行猶予の付いた有罪判決を言い渡されていた。
ロイター通信が伝えたところによれば、住民は「黒い覆面をした男3人が社屋に入った後、多数の銃撃音が鳴り響いた」と証言。
警察では1月8日の朝に、まだ逮捕されていない兄弟の写真を公開し、目撃証言を呼びかけるとともに、この2人について「武装し、危険」と表現。これより先にAFP通信が伝えたところによれば、「フランス警察の対テロ部隊が仏北東部ランスの拠点を強制捜査した」と伝えている。
警察筋は、ロイター通信に対して、「テロ対策の部隊がランスやストラスブール、パリで容疑者の捜索を行っている」と語った。
フランスのマニュエル・ヴァルス首相は8日、「指名手配している兄弟と関係があるとみられる複数の人物を捜査当局が拘束した」ことを明らかにした。その人数は7人である。
フランスの国営テレビは1月8日、パリの北方約80キロの北部にあるエーヌ県で2人の潜伏先とみられる地域を捜査陣が捜索している様子を放映した。
1月8日、アルジェリア系フランス人の兄弟2人を指名手配したが、その2人はフランス北部で民家に立てこもり、警察によって包囲された。ただ、フィガロ紙(電子版)は、「2人の容疑者の潜伏する場所はわからず、警察では5キロ四方の広域を包囲している」と報じた。フランスのメディアの報道によれば、実行犯とみられる2人は1月8日の昼近くにヴィレル=コトレ近くのガソリンスタンドにパリの事件現場近くで強奪したとみられる車で乗り付けて、食べ物やガソリンを奪った後にパリの方向に向かって同じ車で逃走したが、この車は近くで乗り捨てられた模様。
1月9日、容疑者の2人が潜伏しているとみられている北部のエーヌ県付近で捜索を続けた。捜索体制は対テロ特殊部隊を含む18,000人規模となった。
1月9日、フランス公共ラジオは、「週刊紙銃撃事件の2人の容疑者の捜索範囲付近のパリ北東約35キロのセーヌ=エ=マルヌ県ダマルタン=アン=ゴエルで銃声がした」と伝えた。また、フランスのメディアは、「銃声が聞こえたパリ北東のセーヌ=エ=マルヌ県ダマルタン=アン=ゴエルで週刊紙銃撃事件の容疑者とみられる人物が人質を取っている」と伝えた。
2人の容疑者は、フランス当局との銃撃戦に加えカーチェイスを繰り広げ、パリ=シャルル・ド・ゴール空港に近い地区にある会社の建物に逃げ込んだ。さらに、フランスのメディアによれば、2人が車を奪って逃走した際、この車の所有者が2人を目撃し、「パリの新聞社の乱射事件の容疑者に似ていた」と証言している。これに関連して、フランスのベルナール・カズヌーヴ内務大臣は9日、記者団に対し、「特殊部隊がパリ北東の現場で作戦に入る」と述べた。人質は1人で、この時点で犠牲者はいない。立てこもり現場であるダマルタン=アン=ゴエルの上空では数機のヘリコプターが飛び交い、地上には重武装した特殊部隊が展開。立てこもり現場からおよそ10キロと近いシャルル・ド・ゴール空港は滑走路の一部を閉鎖した。
当初、さらに1人、フランス北部ランス出身の18歳の男性も警察当局により容疑者として発表されていたが、のちに無関係と判明した。この男性は高校生で、兄弟のうちの兄の妻の弟だった。事件当日、ニュースやソーシャルメディアで自分の名前が出回っていることに恐怖を感じるとともに困惑し、同日深夜にフランス北東部のシャルルヴィル=メジエールにある警察署に出頭。事件当時は授業に出ていたと教師らが証言しており、容疑が晴れたとみられ、9日夜に釈放された。当局は「事件の証人が当初、容疑者は2~3人と言ったためテロリストの1人として発表してしまった」と釈明した。
犠牲者 シャルリー・エブド襲撃事件では以下の12人が殺害された(2015年1月8日現在)。また、関連して発生したモンルージュ発砲事件では警官が1名、ユダヤ食品スーパー襲撃事件では人質4名が犠牲となり、一連のテロ事件で17人が殺害された。
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風刺は文化か挑発か・・・?①
2015年1月7日11時30分 (CTE)にフランス・パリ11区にある風刺週刊誌を発行している「シャルリー・エブド」本社に覆面をした複数の武装した犯人が襲撃し、警官2人や編集長、風刺漫画の担当者やコラム執筆者ら合わせて、12人を殺害した事件、およびそれに続いた一連の事件。報道と表現の自由をめぐる議論が起こる。
場所:11区ニコラ・アペル通り
日付:2015年1月7日11時30分(CTE)
標的:シャルリー・エブド
攻撃手段:銃撃
武器:AK-47、Vz 61、トカレフTT-33、ロケットランチャー、ポンプアクション式ショットガン
死亡者:12人
負傷者:11人
対処:容疑者射殺
2015年1月7日11時30分(CTE)、フランスのパリ11区にある風刺週刊誌を発行している「シャルリー・エブド」本社を、覆面をした複数の武装した犯人が襲撃し、警官2人や編集長、風刺漫画の担当者やコラム執筆者ら合わせて、12人を殺害した事件であり、またそれに続いた一連の事件も指しており、 襲撃後逃走した犯人2名は人質をとって印刷会社に立てこもり、続いて別の実行者によるモンルージュ警官襲撃事件、パリ東端部のユダヤ食品スーパー襲撃事件が起こった。(大々的な捜索の末)特殊部隊の強行突入により、計3名の犯人が射殺されたが、人質のうち4人が犠牲になる結果となった。
2015年1月7日に発売されたシャルリー・エブドには、イスラム過激派を挑発する風刺画が掲載されていた。
それは「フランスではいまだに襲撃が全くない Toujours pas d'attentats en France」という見出しの下に、ジハディスト戦士を(茶化すように、目線が左右バラバラになっているように)描き、ロシア製の自動小銃「AK-47」を肩にかけて立った状態で「待ってろ! 新年の挨拶なら1月末まで間に合うだろ Attendez! on a jusqu' ・ la fin janvier pour pr・senter ses v・ux.」と言っている風刺画であった。同画の右下隅には風刺画家「CHARB シャルブ」の署名があった。
シャルリー・エブドは、これ以前にもイスラム教の預言者ムハンマドを題材にした風刺画を度々掲載し、イスラム教徒の反発を招いており、世界各国で抗議デモに発展していた。シャルリー・エブドの風刺画の画風というのは、フランス国内でもジャック・シラク大統領(当時)から「行き過ぎた挑発だ」と批判されるようなものであった。2006年のムハンマド風刺画掲載後から、シャルリー・エブド関係者は絶えず殺害すると脅迫され警察の警護対象になっており、2011年には同紙編集部に火炎瓶が投げ込まれて全焼する事件が起きた。2012年には、フランス政府から自粛要請されているにもかかわらず、懲りずにムハンマドを風刺する風刺画を掲載し、さらに2013年には、ムハンマドを漫画で描いた「ムハンマドの生涯」を発売した。
フランスでは、公的な領域で宗教が可視化されることが、憲法によって禁止されている。これをライシテと呼ぶ。フランスの政治家は左派右派共に社会(の公共の場)に宗教色が現れることを極端に嫌い、2004年には公立学校でブルカやヒジャブを被ることが禁止された。さらに2010年には、公共の場においての着用も禁止された。
フランスは欧州最大の移民国家であり、イスラム系移民の数・比率ともに欧州一である。フランスが所有していた旧植民地にムスリムが多かったことと、第二次大戦以降、労働者不足緩和のため旧植民地出身者を中心に移民を大量動員した政策による。ムスリムの移民二世三世達は、移民の集まって住む場所である出身地や、ムスリム系の名前によって就職などでも差別を受けており、そうした状況に対してフランス政府もこれといった対策を取らずにきた。フランスの同化主義と相容れない移民2世3世らがコミュニティーを形成して住む地域の中には、治安悪化で立ち入れない区域(No-Go Area)も存在する。また、同じムスリム間でも、出身国や民族の違いによる抗争や社会的階級差による分断や差別もあり、イスラム・コミュニティーと言っても一枚岩ではなく、不満を持つ底辺のムスリムは孤立化し、過激化する傾向にあった。
フランスでは1980年代ごろからの慢性的な不況により階級格差や雇用不安が広がり、その原因を移民に求める傾向が出はじめ、極右の「国民戦線」が勢力を強めるなど、排外主義が高まっていった。イスラム系移民の多かったフランスでは、反イスラムを中心とした排外主義が目立ち、イスラムの習慣や戒律が自由主義・民主主義に反するという名目で排外主義に利用されるようになった。自由や人権の名のもとになされる反イスラム的言説は批判しにくい側面があるため、イスラム嫌悪が蔓延し、ムスリムの孤立化をますます深めていった。
近年、欧米諸国ではイスラム系移民の中で、周囲の欧州系の住民から差別され社会的に排除された結果、イスラム過激派思想に染まる2世や3世が増加していると指摘されており、同様にムスリムに対する差別の激しいフランスでは、2012年3月にミディ=ピレネー連続銃撃事件が起きていた。
2014年12月20日から23日にかけて、フランス各地で無差別襲撃事件が発生していた。最初の襲撃は20日、仏中部ジュエレトゥールで起きた。男が「アッラーフ・アクバル(アラビア語で神は偉大なりの意)」と叫びながら警察官3人を刃物で切り付け、2人が重傷を負った。犯人は警察署に侵入しようとして射殺された。翌21日には東部ディジョンで、男が「アッラーフ・アクバル」と叫びながら車で通行人に突っ込み、13人が負傷した。22日夜には西部ナントのクリスマスマーケットに車が突入した。22日の事件では当初10人負傷と報じられていたが、うち25歳の男性1人が後に死亡したと、地元検察当局者が23日明らかにした。3日連続で起きた3件の事件の間に関連はないとみられるものの、ソーシャルメディアなどでイスラム過激派の呼びかけに触発された可能性がある。3件の事件は大きく異なっていると同時に、不気味な類似点もあり、バルス首相は「模倣犯」が生まれる可能性があるとした上で、「精神の不安定な個人が行動を起こすこともあり得る。プロパガンダ的なメッセージや映像の力をうのみにしたり、それらに感化されたりする恐れもある」と指摘した。また、治安当局はこれらの事件を受けて、12月23日からフランス全土の治安警戒レベルを引き上げており、テロへの警戒を強めているさなかにシャルリー・エブド襲撃事件が起こった。
現場はパリ中心部にあるバスティーユ駅から北へおよそ400メートルの地域にあり、事件が発生した当時は週1回の編集会議が行われていた。なお、この日発売された同紙の一面には、同日発売された、2022年を舞台とする近未来小説『服従』の作者であるミシェル・ウエルベックの戯画が掲載されていた。その戯画には、『2015年に私は歯を失い、2022年に私は断食をする』という言葉が載せられていた。
事件が起こったのは現地時間2015年1月7日11時20分頃で、ロシア製の自動小銃AKMSを持った黒い覆面の2人組がシャルリー・エブド本社の手前にあるニコラアペル通り6番地の建物に現れ、「ここはシャルリー・エブドか」と叫んだが間違いに気付き、その数分後に数軒先にある10番地の同社ビルに到着、受付にいた2人の管理人に「シャルリー・エブドか」と確認し、そこで1人を射殺した後、3階にある編集室に向かった。
編集室に入ると、2人組は「アッラーフ・アクバル」(アラビア語で「神は偉大なり」の意)、「預言者(ムハンマド)の復讐だ」と叫びながら、編集会議のために集まっていた編集長で漫画家のシャルブ(ステファヌ・シャルボニエ)を始めとする同誌の幹部や3人の風刺漫画家などに向けておよそ5分間にわたり銃を乱射し、シャルリー・エブド幹部の警備にあたっていた警官1人と会議に参加していた招待客を含め10人が死亡した。警察は「男2人は銃を乱射し、会議室にいた人たちを冷酷に殺害した。漫画家の護衛に当たっていた警官も応戦する間もなく殺害された」と語っている。
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