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Snake Eyes


【ニコラス・ケイジ】- 2 -
Nicolas Cage
アメリカ合衆国の俳優であり、映画監督、映画製作者。


- 金銭 -
かなりの浪費家として知られ、古城、高級車、恐竜の化石や骨、コミックコレクションなどを派手に購入していたニコラスだが、その浪費癖から資金難になってしまい、2009年8月には200万ドル(日本円で約1億8000万円)の債務不履行で銀行から訴えられているほか、2007年と2008年分の未納分税金や延滞分利子および罰金などで630万ドル(約5億6700万円)を滞納していることが明らかになった。
2012年11月現在で約600万ドル(約4億8,000万円)の滞納金があると報道されている。ニコラスは元ビジネス・マネージャーのサミュエル・レビンの不適格なアドバイスが財政難の原因と釈明し、彼を相手取って2000万ドル(約18億円)の訴訟をおこしたが示談が成立している。

2009年11月、『ピープル』誌によれば、ニコラスがニューオリンズのフレンチ・クォーターの一角に所有していた2軒の家が競売で売られた。この2軒は税金の滞納で差し押さえられていたもので、落札者はニコラスがローンを組んでいるリージョンス銀行。2軒ともこの銀行が落札したが、他に入札者はいなかったという。資産価値は合計で680万ドル(約6億1200万円)だが、落札金額は450万ドル(約4億500万円)とお買い得だったようだ。他にも担保としてラスベガス近郊の高級住宅地のベルエアに所有する豪邸を1100万ドル、マリブの豪邸を1000万ドルで競売に出したが買い手が付かず、銀行に差し押さえられた。さらにロードアイランドにある豪邸も差し押さえられ、オークションで競売にかけられている。

先述の通り、かなりの車好きで、フェラーリの現行モデルはほコンプリートしているが、2010年3月に高級車のロールス・ロイスのリースを巡って訴えられた。2007年に55万ドル(約4950万円)相当の1964年型のロールス・ロイスSCを月々7663ドル(約69万円)で5年リースし、その4ヵ月後には24万5000ドル(約2200万円)相当の2002年型も月々3630ドル(約33万円)で5年のリース契約を結んだ。ところが税金滞納などの財政難により、月々の支払いができず、2台とも途中でリース契約を打ち切ることになったため、契約違反でリース会社から合計24万2000ドル(約2180万円)の損害賠償を求める訴えを起こされた。借金返済のために世界各地に所有していた豪邸に続き、ついに高級車を手放さざるを得なくなった。
財政難で窮地に立たされているニコラスだが、2010年4月、米TMZ.comによれば、アメリカのルイジアナ州、ニューオーリンズに高さ約2.7メートルの白いピラミッド型の墓を自分用に購入しているようだ。なぜ、ピラミッド型を選んだのかは定かではないが、ニコラスが伝説の秘宝を追う歴史学者/冒険家に扮したアドベンチャー大作『ナショナル・トレジャー』シリーズにヒントを得たのではないかと言われている。

なお、 前述のように借金返済に苦慮していることから、仕事を選ばずに多くの映画に出演した。数年掛けて46本もの映画に出演したことが功を奏し、現在は全ての借金を完済済みであるという。



《出演作品》-1999年まで
公開年 邦題
原題 役名 備考
1982 初体験/リッジモント・ハイ
Fast Times at Ridgemont High ブラッドの友人 映画デビュー作
ニコラス・コッポラ名義

1983 ヴァレー・ガール(アップタウン・ガール)
Valley Girl ランディ

1984 月を追いかけて
Racing with the Moon ニッキー

ランブルフィッシュ
Rumble Fish スモーキー

1985 ボーイ・イン・ブルー
The Boy in Blue ネド

コットンクラブ
The Cotton Club ヴィンセント

バーディ
Birdy アル

1987 ペギー・スーの結婚
Peggy Sue Got Married チャーリー

1988 月の輝く夜に
Moonstruck ロニー ゴールデングローブ賞主演男優賞ノミネート

赤ちゃん泥棒
Raising Arizona H・I・マクダノー

ハートにびんびん火をつけて
Never on Tuesday 赤いスポーツカーの男

1990 バンパイア・キッス
Vampire's Kiss ピーター インディペンデント・スピリット賞主演男優賞ノミネート

アパッチ
Wings of the Apache(Fire Birds) ジェイク

1991 ワイルド・アット・ハート
Wild at Heart セーラー
ザンダリーという女
Zandalee ジョニー

エネミー・ウォー
Time to Kill エンリコ

1993 ハネムーン・イン・ベガス
Honeymoon in Vegas ジャック ゴールデングローブ賞主演男優賞ノミネート

レッドロック/裏切りの銃弾
Red Rock West マイケル
プロフェッショナル
Deadfall エディ 大塚芳忠

アモス&アンドリュー
Amos & Andrew アモス (吹き替え版なし)

1994 あなたに降る夢
It Could Happen to You チャーリー 江原正士

不機嫌な赤いバラ
Guarding Tess ダグ

1995 パラダイスの逃亡者
Trapped in Paradise ビル 安原義人

死の接吻
Kiss of Death リトル・ジュニア・ブラウン

1996 リービング・ラスベガス
Leaving Las Vegas ベン・サンダーソン アカデミー主演男優賞受賞 山寺宏一

ザ・ロック
The Rock スタンリー・グッドスピード博士 大塚明夫(ソフト版)小山力也(日本テレビ版)山寺宏一(テレビ朝日版)

1997 コン・エアー
Con Air キャメロン・ポー 大塚明夫(ソフト版)大塚芳忠(テレビ朝日版)

1998 フェイス/オフ
Face/Off キャスター・トロイ 大塚明夫(ソフト・テレビ朝日新版)大塚芳忠(フジテレビ版)山路和弘(テレビ朝日旧版)

シティ・オブ・エンジェル
City of Angels セス 小山力也

1999 スネーク・アイズ
Snake Eyes リック 大塚明夫(ソフト版)山路和弘(テレビ朝日版)

8mm
8mm トム 江原正士


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The Rock


【ニコラス・ケイジ】- 1 -
Nicolas Cage
アメリカ合衆国の俳優であり、映画監督、映画製作者。


本名:ニコラス・キム・コッポラ
Nicholas Kim Coppola
別名義:Nicolas Coppola
生年月日:1964年1月7日
出生地:アメリカ合衆国 カリフォルニア州ロングビーチ
職業:俳優
ジャンル:映画
活動期間:1980年 -
活動内容:1980年:デビュー
1996年:アカデミー賞受賞
配偶者:パトリシア・アークエット(1995年 - 2001年)
リサ・マリー・プレスリー(2002年 - 2004年)

アリス・キム(2004年 - 2016年)

エリカ・ケイコ(2019年)

芝田璃子(2021年 - )


《主な作品》
『ワイルド・アット・ハート』
『リービング・ラスベガス』『ザ・ロック』『コン・エアー』『フェイス/オフ』『アダプテーション』『マッチスティック・メン』『ナショナル・トレジャー』シリーズ『ロード・オブ・ウォー』『ワールド・トレード・センター』『ゴーストライダー』シリーズ『バッド・ルーテナント』『キック・アス』『マンディ 地獄のロード・ウォリアー』
《受賞》
アカデミー賞
主演男優賞
1995年『リービング・ラスベガス』
全米映画批評家協会賞
主演男優賞
1995年『リービング・ラスベガス』
ニューヨーク映画批評家協会賞
主演男優賞
1995年『リービング・ラスベガス』
ロサンゼルス映画批評家協会賞
主演男優賞
1995年『リービング・ラスベガス』
MTVムービー・アワード
最優秀スクリーン・デュオ
1996年『ザ・ロック』
1997年『フェイス/オフ』
ゴールデングローブ賞
主演男優賞(ドラマ部門)
1995年『リービング・ラスベガス』
全米映画俳優組合賞
主演男優賞
1995年『リービング・ラスベガス』
その他の賞

《生い立ち》
カリフォルニア州ロングビーチ生まれ。父オーガスト・コッポラはイタリア系で大学教授兼作家、母ジョイ・フォーゲルザングはドイツ系のバレエ・ダンサー。兄(マーク・コッポラ、クリストファー・コッポラ)がおり、クリストファーは映画監督をしている。父方の祖父は作曲家のカーマイン・コッポラ、祖母は女優のイタリア・ペニーニ。叔父に映画監督のフランシス・フォード・コッポラ、叔母に女優のタリア・シャイア、いとこにソフィア・コッポラ、ロマン・コッポラがいる。

ビバリーヒルズ高校中退。日本語学校に通っていた経験があるため、日本語がある程度話せる。映画でもしばしば披露する他、来日時には日本語で挨拶することもある。

《キャリア》
1981年に『初体験/リッジモント・ハイ』でニコラス・コッポラとしてデビューする。その後、現在の芸名に変更した。芸名の「ケイジ」の由来はマーベル・コミック社のコミック「パワーマン」の主人公ルーク・ケイジから。若い頃はコッポラ監督の甥と呼ばれることを嫌がっていた。オーディションを受けても、製作者たちの浴びせる質問は彼についてではなく、叔父フランシスのことばかりだったという。本名のコッポラを名乗らず、あえて“ケイジ”の芸名を使うことにしたのも、そのためと言われている。

1995年の『リービング・ラスベガス』でアカデミー主演男優賞を受賞。オスカー受賞後は、芸術的な映画に留まらず、大作映画にも積極的に出演した。同業のショーン・ペンはケイジの大作映画出演をいぶかしく思っていると発言した。

サターン・フィルムズ(Saturn Films)という映画制作会社を設立。2000年に『シャドウ・オブ・ヴァンパイア』に製作者として参加し、2002年には『SONNY ソニー』(Sonny)で監督兼プロデューサーを務めた。
その後も、映画制作会社サターン・フィルムズの共同経営者として、いくつかの作品をプロデュースしている。

《私生活》
- 家族 -
1988年に女優のクリスティーナ・フルトンと交際、1990年12月26日に2人の間に生まれたのが後にブラックメタル・バンド「アイズ・オブ・ノクターン」のリードボーカルを務めるウェストン・コッポラ・ケイジである。

1995年4月8日に女優のパトリシア・アークエットと結婚したが、2001年5月18日に離婚した。

2002年8月10日にはリサ・マリー・プレスリーと再婚したが、同年11月15日に離婚を申請し、2004年5月26日に離婚した。ちなみに、ケイジはプレスリーのコレクターでもある。

2004年7月30日にロサンゼルスの寿司店にてウエイトレスをしていた韓国系アメリカ人女性アリス・キムと韓国系ナイトクラブで出会い、再々婚した。2005年10月3日に長男カル=エル・コッポラ・ケイジが誕生した。名前のカル=エルとは『スーパーマン』が生まれた時の名前である。2016年6月24日広報担当者の話として、同年1月にアリスと離婚していたことが発表された。

2011年4月15日、ニューオーリンズ・フレンチ・クオーターで泥酔して、近くにある住宅を自分の借家だと思い込んで妻アリスを引っ張って行こうとし、さらに喚きながらタクシーに乗り込もうとしてドメスティックバイオレンス、治安妨害、公衆酩酊(日本の「酒に酔って公衆に迷惑をかける行為の防止等に関する法律」違反相当)の容疑で逮捕されたが、日本円で約94万円の保釈金を払い保釈され、仕事を再開した。

2019年3月23日、四度目になる結婚を、タイ料理レストラン経営者の両親を持つメイク・アップ・アーティストのエリカ・コイケ(父は日本人、母はタイ人。1983年アメリカ生まれ)と行ったが、四日後に無効申請を行った。理由は、両人が泥酔中に行った決定であることや、新婦が飲酒運転で逮捕歴があることなどである。そして5月31日に離婚が正式に認められた。


2021年2月16日、ケイジの亡き父の誕生日の日に5度目の結婚を31歳年下の芝田璃子とラスベガスのウェスティンホテルで行った。2022年1月妻が妊娠したことを発表。


- 趣味 -
非常に車好きで、フェラーリの現行車種を全車種(限定車のエンツォ等含む)所有している。また、イランのモハンマド・レザー・パフラヴィー元国王が所有していたランボルギーニを所有していたこともある。
アメリカンコミック好きでも知られ、自身の芸名は元より、息子にまでアメコミキャラクターの名を付けるほどである(カルエルはスーパーマンの本名)。彼のコミックコレクションをオークションにかけた際に出品された400品目の中には、『アクションコミック』1号や『ウィズコミック』1号、『ディテクティブコミック』38号、『オールスターコミック』3号等のレアアイテムが目白押しで、総落札額は160万ドルに達した。また、日本の成年コミックに並々ならぬ興味を示しており、「論ずるに値する」と述べている。
しかし一方で、「15歳の頃からコミックは読んでいない」と、コミックオタクという印象を否定する発言がある。

また、カルト映画も好きで、同じ趣味のラモーンズのリーダー、ジョーイ・ラモーンとは親友だった。そのため、ケイジは彼が好きだったカルト映画『ウィッカーマン』を自費で2006年にリメイクし、ラストに「ジョーイ・ラモーンに捧ぐ」とクレジットした。しかしそのため、ラジー賞主演男優部門をはじめ5部門にノミネートされる結果となった。

ガレージキットのコレクターでもあり、まんだらけを過去4回訪れている。その度に段ボール数箱分の買い物をするため、ニコラスが来た日は売り上げが跳ね上がるという。過去一番大きな買い物は、高さ1.5メートルのガメラ(40万円)。

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「言論の自由は権利であり、また義務でもあるが、他人を傷つけることなく表出されなければならない」③


この事件を受けて、フランス各地では数万人の規模によって犠牲者の追悼に加え、表現の自由を訴える集会が行われ、市民の一部から、ヨーロッパ最大のイスラム人口を抱えているフランス社会に与える影響を懸念する声が出されている。フランス国内では犠牲者を追悼して1月8日正午、一斉に黙とうを行い、ノートルダム寺院も哀悼の鐘を鳴らした。パリ市内には多くの半旗が掲げられた。

事件後、ムラベの家族が会見し、「野蛮な行為に対して心が打ち砕かれた」とした上で、「過激派とイスラム教徒を混同してはいけません。ごちゃまぜにしないでください。モスクやユダヤ教の礼拝堂を焼いてはいけません。それは人々を攻撃するだけで、死者は戻ってこないし、遺族の悲しみを癒やすことはできないのです」と訴えた。
1月11日には、フランス各地で犠牲者を悼むための大行進が実施され、その数は全国合計で少なくとも370万人に達したとの推計を同国内務省が発表した。このうちパリの行進に加わったのは160万人超とみられ、イギリスのデーヴィッド・キャメロン首相やドイツのアンゲラ・メルケル首相ら欧州主要国を中心とする40人超の各国首脳も参加したほか、トルコのアフメト・ダウトオール首相、イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相、マフムード・アッバースパレスチナ自治政府大統領、ロシアのセルゲイ・ラブロフ外相らも参加した。また日本からは鈴木庸一駐仏大使が政府を代表して参加した。

シャルリー・エブド襲撃事件以降、フランス各地では「報復」ともみられる、嫌がらせや暴力・発砲事件が数十件起きている。イスラム教徒やその関連施設などが標的となっており、南部のコルシカ島ではイスラム教徒が食べることを禁じられている豚の頭と脅迫の手紙がモスクの入り口に置かれ、西部ポワチエや北部のベチューヌなどでは「アラブ人に死を」、「アラブは出て行け」などの落書きが見つかっている。事件に発展したケースもあり、南東部の町ではアラブ系の男子高校生が4、5人のグループに殴られ、南部ボークリューズ県ではイスラム教徒の家族が乗った乗用車が銃撃された。南東部サボア県では夜中にモスクが放火され、南西部ポルラヌーベル(ナルボンヌ近郊)では無人のモスクに銃弾 数発が撃ち込まれた。東部ビルフランシュシュルソーヌではモスクのそばにあるケバブの店で爆発事件があり、西部ルマンではモスクに手投げ弾3発が投げ込まれた上、銃撃されて窓などが破壊された。
シャルリー・エブド襲撃事件後に同紙のムハンマド風刺画を転載していたドイツ・ハンブルクの日刊紙ハンブルガー・モルゲンポストの社屋が、1月11日未明に放火された。独警察は容疑者2人を逮捕。
1月12日、シャルリー・エブドは、襲撃事件後初となる1月14日発売号の表紙に、「すべては許される」とのメッセージの下で「私はシャルリー」と書かれたカードを掲げて涙を流す預言者ムハンマドの風刺画を掲載すると発表した。これに対して、エジプト・カイロにあるイスラム教スンニ派の最高権威機関アズハルは、「憎悪をかき立てる」だけと警告した。声明で、「(同風刺画は)平和的共生に資するものではなく、イスラム教徒が欧州や西側社会に溶け込むのを妨げる」と述べた。アズハルは、シャルリー・エブド襲撃事件を最初に非難したイスラム団体のうちの一つで、「イスラム教はいかなる暴力も糾弾する」と批判していた。また、ジュネーヴに本部を置くジャーナリスト系NGO団体「プレス・エンブレム・キャンペーン」もこの最新号について「配慮に欠ける行為。プロのジャーナリストは中傷や侮辱をしてはいけない」と反対を表明した。
1月12日、フランス政府は、国内の治安確保のため仏軍を1万人規模で全土に展開するほか、ユダヤ教関連施設に警官ら約4700人を当てる厳戒態勢を発表した。
1月13日、犠牲となった警官の追悼式典がパリ警視庁で営まれ、オランド大統領は「彼らはわれわれが自由に生きられる環境を守るために亡くなった。フランスが(テロの脅威に)屈することは決してない」と演説した。
1月13日、シャルリー・エブドの1月14日発行の特別号表紙となるムハンマドの風刺画を描いた風刺画家のルスらが記者会見した。ルスは、一部のイスラム教徒などが風刺画掲載続行に懸念を示している状況について、「表現の自由は、条件や制限がついたものではない」と述べ、風刺やユーモアへの理解を求めた。また、「テロの実行犯は、ユーモアが欠如している」と言論を封殺しようとした行為を厳しく非難した。
1月13日、フランス議会は、イラクやシリアで勢力を広げるイスラム過激派組織「イスラム国」への攻撃継続を、賛成488、反対1、棄権13の圧倒的賛成多数で議決した。フランス軍は2014年9月以降、イラク国内でのアメリカ軍のイスラム国空爆に参加しており、フランス議会では(空爆参加から)4カ月後に攻撃継続に関する議決が義務付けられていた。バルス首相は同日、仏下院で演説し、「フランスはテロとの戦争に入った」と宣言、治安対策の強化に乗り出す方針を表明。フランスはイスラム国への欧州最大の戦闘員供給国となっており、イスラム国による勧誘の主要手段となっているソーシャルメディアの監視強化などが議論される見通し。
1月14日、シャルリー・エブドはムハンマドの風刺画を表紙に掲載した特別号を発行。同紙の風刺画転載に関しては、事件直後の各国主要メディアでも対応が割れた。フランスではリベラシオンが1面の全面を使って転載し、社説で転載を自粛したり絵柄をぼかして掲載した外国紙を批判、「政教分離はシャルリー紙だけでなく、フランスの方針でもある」と主張した。ル・モンドは1面でイスラム、ユダヤ、キリスト3宗教の信者が共に風刺画を楽しむ様子を漫画で掲載。一方、フィガロは転載を見送った。イギリスでは主要5紙のうち、ガーディアン、インデペンデント、タイムズの3紙が紙面にシャルリー・エブドの最新号表紙を掲載した。ドイツではビルトが最終面の全面を使って転載したのに対し、フランクフルター・アルゲマイネは、シャルリー・エブド紙最新号が山積みになった写真を小さく載せたにとどまった。米主要メディアは「宗教的な感情を害する」などとして風刺画を転載しない慎重姿勢が主流で、ニューヨーク・タイムズやAP通信は掲載・配信をしない方針。一方、ワシントン・ポスト紙は風刺画を転載し、記事の中でマーティン・バロン編集主幹は「ムハンマドの描写そのものが侮辱的だと考えたことはない。宗教グループに対して明白に、故意に、または不必要に侮辱的な表現は避けるという方針は変わらないが、今回はそれに当たらない」と説明している。2005年のムハンマド風刺漫画掲載問題で知られるデンマーク紙ユランズ・ポステンは、社説でムハンマドの風刺画はどんなものであっても二度と掲載しないと発表し、「我々はこれまで、テロの恐怖におびえてきた。暴力や脅迫に屈してしまったということだ」と説明した。
1月15日、事件をきっかけに世界中で言論の自由をめぐる議論が広がっていることに関して、ローマ法王は記者団から意見を求められ、「神の名において人を殺すのは愚かしい」と事件を強く非難すると同時に、「あらゆる宗教に尊厳」があり、何事にも「限度というものがある」と指摘して、「他人の信仰について挑発したり、侮辱したり、嘲笑したりしてはいけない」という考えを示した。また、言論の自由は信仰に対する敬意があれば自制されてしかるべきものだとして、「言論の自由は権利であり、また義務でもあるが、他人を傷つけることなく表出されなければならない」と諭した。
1月16日、事件後もシャルリー・エブドが預言者の風刺画を載せたことに対して、アフリカ各地で抗議デモが発生。アルジェリアでは数千人がデモに参加し、一部が暴徒化して警官と衝突。ニジェールではデモの他、キリスト教の教会が襲撃され、フランスの文化センターが焼き討ちにあった。なお、アルジェリアもニジェールもフランスの元植民地である。

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