hiroチャンのブログ -630ページ目

任意同行ですか?強制連行ですか?




🐶任意同行ですか?



🐶これってぇ任意ですよね?







🐶任意ですから意に反して行く必要はないですよねぇ?




🐶私は絶対パトカーには乗りません。





👮『君ねぇ、これは単なる保護だから。』 



👮『君、家出しちゃダメだよ』



👮『早く車に乗って下さい・・・』





🐶俺は乗らないぞ!絶対乗らん。







🐶誘拐されるぅー
🐶誰か助けて下さい。
🐶お巡りさん呼んで下さい!











👮『お家までパトカーで送ってあげるから早く乗りなさいってぇ!飼い主さんも心配してるよ。乗って乗って』



🐶取調室でカツ丼食べさせてくれますか? 




👮『カツ丼食べたければ自腹、お巡りさんおごらないよ』

『そもそも、パトカーはキミのお家に直行便だから。』




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Lone Wolf - 防げなかったテロ事件 -


1995年

【オクラホマシティ連邦政府ビル爆破事件】 




場所:オクラホマ州オクラホマシティ
アルフレッド・P・マラー連邦ビル
日付:1995年4月19日
犯行時間:午前9時2分
攻撃手段:車爆弾
死亡者:168人
負傷者:約850人以上
犯人:ティモシー・マクベイ
テリー・ニコルズ
マイケル・フォティア

【オクラホマシティ連邦政府ビル爆破事件】
Oklahoma City bombing
1995年4月19日にアメリカ合衆国オクラホマ州の州都オクラホマシティで発生した爆破テロ事件。


元陸軍兵士のティモシー・マクベイらが車爆弾でオクラホマシティ連邦地方庁舎を爆破し、子供19人を含む168人が死亡、800人以上が負傷した。



2001年の9・11テロが発生するまでは、アメリカ国内で最悪のテロ被害をもたらした事件であった。

事件は、1995年4月19日の現地時間午前9時2分に発生した。9階建のオクラホマシティ連邦地方庁舎「アルフレッド・P・マラー連邦ビル」の正面玄関前に駐車していた、大量の爆発物を積んだトラックが爆発した。 


爆発の威力は、マグニチュード3.0にも達したとされる。これにより、連邦ビルは全体のおよそ80%が破壊された。
事件発生当初、犯行声明などが無かったため、犯行はネオナチやイスラム過激派によるものだと推測されたが、アメリカ国籍の白人であるティモシー・マクベイとその軍隊時代の同僚テリー・ニコルズらが逮捕された。犯人がかつてはアメリカ陸軍所属で、湾岸戦争にも参戦した経験のあるアメリカ人であった事は、アメリカ中に衝撃を与えた。

陸軍退役後警備員や銃の販売などをしていた首謀者のマクベイは政府への強い敵意を抱くようになり、白人至上主義やキリスト教原理主義の影響を受けた武装民兵組織「ミシガン民兵」などとも関係があったとされる。

事件を起こした4月19日は、2年前に武装カルト教団ブランチ・ダビディアンの信者80名以上がFBIとの銃撃戦で死亡した日であり、マクベイはこれを政府の横暴であるとし、連邦ビル爆破はその復讐であるとした。

爆破直後、救急隊、レスキュー隊のみならず周辺の住民もこぞって救助活動に参加し、充分な装備もないまま瓦礫の中を歩いたことで多数の負傷者が発生するという二次災害にも見舞われた。








1996年 『Oklahoma City Bombing』 (USA)
ピューリッツァー賞 ニュース速報写真部門
オクラホマシティ連邦政府ビル爆破事件において、消防士に抱かれる1歳の犠牲者の写真(撮影:Charles Porter)。 

この写真の消防士に抱かれる子供は既に亡くなっている。
だが、この消防士は硬い手袋を外し自らの手でその小さな犠牲者を優しく抱き上げている。
消防士の責務といえはそれまでだが、この小さな体を家族の元へと願う心遣いなのだろう。人の命の大切さを示した1枚である。写真。

強さと優しさはこうやって同居していることを知る。
強さが優しさを生み、また逆も。

9.11の時も多くのヒーローが犠牲となりました。
それでいて奇跡の救出を望むのは矛盾と言えるのだろうか?



事件後ビルの跡地は整備され慰霊公園が作られ、そこには犠牲者の氏名とともに救助活動に尽力した人々の名前も刻まれた。

爆発したトラックからマクベイが降りるのを目撃した人物はいなかったが、検察側はマクベイがトラックをレンタルした際の領収書などの物的証拠のほか、マクベイが爆弾の材料を入手するのを目にした者や、彼の計画を聞いたという友人たちの証言を得ていた。弁護側は、身元不詳の男が真犯人であることを示す証拠を提出しようとしたが、検察側はマクベイが爆破犯人であることを立証するのに成功し、1997年に有罪判決が下された。米国国務省は、本裁判において、陪審員の気を引くために、事件で死亡した幼い子供の最期の様子から話し始めた検察官ジョゼフ・ハーツラーの冒頭陳述は最も優れたもののひとつであると評価している。
1993年の貿易センタービル駐車場爆破事件(6名死亡)と本事件の発生を受け、クリントン政権は1996年に、アメリカ市民以外の被疑者の場合は本人・弁護士に知らせない秘密証拠によって国外退去処分にでき、アメリカ市民であっても反米組織を援助した者は10年の刑に問われるとする反テロリズム法を制定した。

その後、主犯のマクベイは、2001年6月11日に薬物による死刑が執行された。この模様は監視カメラ(CCTV)を通して、被害者の遺族に公開されたため論議を呼んだ。この時の裁判の裁判長は「これで枕を高くして眠れるでしょう。法がきちんと機能したのですから」と裁判後のインタビューで述べたが、死刑執行の丁度3ヵ月後の9月11日にアメリカ同時多発テロが勃発した。

事件発生直後、オクラホマシティ周辺に居たアラブ系アメリカ人を含むアラブ系の人物約数十人が一時警察に身柄を拘束された(大半が数時間以内に釈放)。
爆発物満載の車爆弾で連邦政府ビルが爆破される様子や、事件とは無関係なイスラム教徒が不当な捜査の対象にされる様子など、この時の状況は1998年公開の映画『マーシャル・ロー』においてインスパイアされている。また1999年の映画『隣人は静かに笑う』も、本事件をモチーフの一つとしている。


【ローンウルフ】
(英語: Lone Wolf、日本語での意味:一匹狼)は社会的に知られている大がかりなテログループに関わらず、単独若しくはごく少数でテロを計画したり発動したりすることである。
個人的な社会への不満などをきっかけに、インターネットなどを通して過激思想に心酔し、人々に注意させるためにテロを発動する。
テロとしての規模や個人ないしは少人数の活動レベルであり、被害は単発的かつ小規模であることが多い。また、思想的背景がない単なる個人的不満から起こる凶悪犯罪や乱射事件との線引きも不明瞭である。
名誉毀損防止同盟の資料によると、ローンウルフというテロリズムの形態そのものは、1990年代に白人至上主義者のアレックス・カーティスとトム・メッツガーによって提唱されたものとされており、メッツガーは秘密結社(地下組織)としての活動と対称となる存在として、「匿名の単独または少人数グループが、日常的に政府または特定の標的に対して攻撃する」活動形態を提唱した。

一方、犯罪における犯罪人の行動類型としては、古くは1970年代から1990年代に掛けて、世捨て人のような生活を送りながら数々の爆発物送付事件を単独で引き起こしたセオドア・カジンスキー(ユナボマー)の事例が知られており、連邦捜査局(FBI)はカジンスキーの逮捕後に犯罪人類型に「ローンウルフ型」を新たに加えた。カジンスキーの他には、ティモシー・マクベイ及び、共犯者のテリー・ニコルズによる犯行グループが引き起こしたオクラホマシティ連邦政府ビル爆破事件が、古典的なローンウルフ型の重大犯罪として言及される事が多い。

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Branch Davidian - 最終戦争の結末 -


【ブランチ・ダビディアン事件】
1993年4月19日、アメリカ・テキサス州ウェイコで起きた、宗教団体ブランチ ダビディアン(Branch Davidian)による武装立て籠もり、および集団自殺事件。ただし、『自殺』という見方には異議・疑問も呈されている。

元々のブランチ・ダビディアンは、いわゆる『ヨハネの黙示録』に基づく終末思想にとらわれながらも、比較的穏健・小規模な宗教団体だったが、1990年、激しい跡目争いの後にバーノン・ハウエルが新教祖の座に着くと、次第にきな臭い空気が漂い始める。彼は名をユダヤの英雄にちなんだ『デビッド・コレシュ(David Koresh)』に改め、自らを『7つの封印(Seven Seals)を解放できる唯一の救世主』と称して、カルト的な終末論と個人崇拝、選民思想をエスカレートさせていく。その教義によれば、ブランチ・ダビディアンの信者達こそが、最終戦争の後に生き残ることを神に認められた『選ばれし民』と位置づけられていた。

奇妙なカリスマで信者を増やす一方、コレシュは最終戦争に備えて教団の武装化を急速に進めていく。大量の銃火器の不法取引、またカルト教団にありがちな信者への虐待、女性信者・少女を性の食い物にするなどの問題ある行動が外部にも伝わりはじめ、ダビディアンは次第にマスコミや司法当局にマークされるようになる。一方でコレシュは、最終戦争の際、ダビディアンはバビロニア人達の軍隊に攻撃されるだろうという、予言とも妄想ともつかない警告を信者達に繰り返し吹き込んでいった。

緊張は徐々に高まり、ついに1993年2月28日、武器の不法所持の容疑で、ATF(アルコール・タバコ・火器局)が強制捜査に乗り出す。
武装した捜査員100名がダビディアンへの突入を試みたが、実はこの時、事前に情報が漏れていたため奇襲にならなかった。なんと、『決定的瞬間』をとらえようと、TV局がカメラを持って待ちかまえているような有様だった。ついに『バビロニア人の軍隊』が、連邦捜査官に姿を変えて攻め込んできたと思いこんだダビディアンの信者達は、激しく応戦。この最初の突入で、ATFの捜査官4名が死亡、ダビディアン側にも6名の死者が出た。

この時、屋根に上って突入の機会をうかがっていたATFの武装捜査員が、屋根越しに多数の銃弾を受けてのたうち回る様がTVで放映され、全米に衝撃を与えた。

最初の突入失敗の後、捜査権限はFBIに委譲され、ダビディアンとのにらみ合いが始まった。しかし、『終末』に備えて軍隊並み武器弾薬と1年分以上の食糧を備蓄していたダビディアンは、長期の籠城でも降伏の気配を見せない。そのうちに周囲に『マスコミ村』ができて、教祖コレシュのインタビューがTVで繰り返し放送、しまいには野次馬目当てに屋台を出したり望遠鏡を据え付ける者まで現れるといった異常事態の中、膠着状態はなんと51日間も続いた。
これ以上の交渉は無意味と判断した司法長官ジャネット・リノは、ついに再度の強行策を決意。

4月19日、FBIは19台の戦車、装甲車、武装ヘリを前面に立てて突入を試みた。大量の催涙弾でいぶり出せば、教祖や信者達もたまらず外に飛び出してくるだろう―――。それがFBIの読みだった。
しかし、これが完全に裏目に出た。信者達は予想外に頑迷な抵抗を続け、なかなか外に出ようとしない(ガスマスクを着用していたとの話もある)。そうするうちに建物の一角から出火、木造の教団本部は瞬く間に炎に包まれた。それでもほとんどの者が脱出しようせず、燃え落ちる教団と運命をともにしてしまったのである。

この出火の原因については、実は明らかになっていない。当初は信者達の集団自殺、あるいは信者が『聖なる炎』を放って戦車を追い払おうとしたと言われていたが、突入した装甲車がランタンやプロパンガスのボンベを破裂させた、または可燃性の催涙ガスにFBI側の銃火が飛んで引火したという説も有力である。

原因はどうあれ、大勢が業火の中で絶命したことには変わりない。損傷が激しく遺体の確認は困難を極めたが、最終的にはコレシュを含む81名が死亡したとされている。うち25名は子供。生存者はわずか9名だった。

当然のごとく、司法当局は失敗の責任を追及・検証された。FBIはそれまでの交渉経過から、コレシュの不遜な態度は『こけおどし』で、強行策に出ても最悪の事態(集団自殺)を選択する度胸はない、またインタビューなどで再三投降をほのめかしながら結局反古にしていることから、降伏の可能性もないと判断していた。
しかし、実はFBIの行動科学課の分析官の一人は、コレシュの独善的で激高しやすい性格から、強行策は裏目に出る可能性が高く、交渉を重ねて妥協を引き出すべきと進言していた。また、コレシュが4月14日付でFBIに出した『刑務所での布教を認めてもらえれば降伏する』との手紙が、司法長官に提出されなかった(事故か故意かは不明)ことも、後に明らかとなった。

結局、責を問われてFBI長官セッションズは辞任。司法長官リノも辞表を提出したが、クリントン大統領は「罪を最も負うべきは教祖コレシュだ」としてこれを却下した。そして人々は、狂信的なカルト集団、重武装の立て籠もり事件への対応の難しさを、改めて思い知らされることとなった。

この事件がアメリカに与えた衝撃は大きく、映画『沈黙の陰謀』など、メディア作品にもしばしば現場となった『ウェイコ』の名が登場する。

しかし、悲劇はこれで終わらなかった。
事件後、アメリカ国内の保守的・右翼的勢力を中心に、この事件を『信仰・武装(自衛)の権利に対する、連邦政府の不当な弾圧』ととらえる空気が広がっていったのである。そして、増幅した連邦政府への憎悪は、事件からちょうど2年後の1995年4月19日、死者168名、負傷者500名以上という大惨事『オクラホマ連邦政府ビル爆破事件(オクラホマ・ボマー事件)』として噴出することとなる(奇しくも4月19日とは、アメリカ独立戦争の開戦日でもある)。

そして、ブランチ・ダビディアンは現在もなお存続し、活動を続けている。

ブランチ・ダビディアンが所持していた武器がATFが入手した取引の記録などから明らかになった、ブランチ・ダビディアンの武装のは以下の通りである。
一部は重複している可能性もある。
《種別:名称(数)備考》
突撃銃:コルト AR15(123挺)
USSR AK47(44挺) スポーターモデルをフルオート改造。
自動小銃:スプリングフィールド M1(26挺)
スプリングフィールド M14(不明)
マガジン30個の取引記録有り,銃本体は不明
小銃:銃種不明(11挺)
拳銃:銃種不明(60挺)
短機関銃:AAI M10(不明)
MAC M11(不明)ATFの捜査員が目撃
散弾銃:銃種不明(2挺)
重機関銃:銃種不明(不明)ATF捜査員が.50口径の機関銃の発砲音を聞いたと証言、実物は確認できなかった模様
対物火器:バレット50口径ライフル(2挺)
擲弾発射器:M79手投げ弾発射機(1挺)
また、この他にも訓練用の手榴弾多数と、これを『実弾』化するための大量の爆発物も入手していた。

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