Branch Davidian - 最終戦争の結末 -
1993年4月19日、アメリカ・テキサス州ウェイコで起きた、宗教団体ブランチ ダビディアン(Branch Davidian)による武装立て籠もり、および集団自殺事件。ただし、『自殺』という見方には異議・疑問も呈されている。
元々のブランチ・ダビディアンは、いわゆる『ヨハネの黙示録』に基づく終末思想にとらわれながらも、比較的穏健・小規模な宗教団体だったが、1990年、激しい跡目争いの後にバーノン・ハウエルが新教祖の座に着くと、次第にきな臭い空気が漂い始める。彼は名をユダヤの英雄にちなんだ『デビッド・コレシュ(David Koresh)』に改め、自らを『7つの封印(Seven Seals)を解放できる唯一の救世主』と称して、カルト的な終末論と個人崇拝、選民思想をエスカレートさせていく。その教義によれば、ブランチ・ダビディアンの信者達こそが、最終戦争の後に生き残ることを神に認められた『選ばれし民』と位置づけられていた。
奇妙なカリスマで信者を増やす一方、コレシュは最終戦争に備えて教団の武装化を急速に進めていく。大量の銃火器の不法取引、またカルト教団にありがちな信者への虐待、女性信者・少女を性の食い物にするなどの問題ある行動が外部にも伝わりはじめ、ダビディアンは次第にマスコミや司法当局にマークされるようになる。一方でコレシュは、最終戦争の際、ダビディアンはバビロニア人達の軍隊に攻撃されるだろうという、予言とも妄想ともつかない警告を信者達に繰り返し吹き込んでいった。
緊張は徐々に高まり、ついに1993年2月28日、武器の不法所持の容疑で、ATF(アルコール・タバコ・火器局)が強制捜査に乗り出す。
武装した捜査員100名がダビディアンへの突入を試みたが、実はこの時、事前に情報が漏れていたため奇襲にならなかった。なんと、『決定的瞬間』をとらえようと、TV局がカメラを持って待ちかまえているような有様だった。ついに『バビロニア人の軍隊』が、連邦捜査官に姿を変えて攻め込んできたと思いこんだダビディアンの信者達は、激しく応戦。この最初の突入で、ATFの捜査官4名が死亡、ダビディアン側にも6名の死者が出た。
この時、屋根に上って突入の機会をうかがっていたATFの武装捜査員が、屋根越しに多数の銃弾を受けてのたうち回る様がTVで放映され、全米に衝撃を与えた。
最初の突入失敗の後、捜査権限はFBIに委譲され、ダビディアンとのにらみ合いが始まった。しかし、『終末』に備えて軍隊並み武器弾薬と1年分以上の食糧を備蓄していたダビディアンは、長期の籠城でも降伏の気配を見せない。そのうちに周囲に『マスコミ村』ができて、教祖コレシュのインタビューがTVで繰り返し放送、しまいには野次馬目当てに屋台を出したり望遠鏡を据え付ける者まで現れるといった異常事態の中、膠着状態はなんと51日間も続いた。
これ以上の交渉は無意味と判断した司法長官ジャネット・リノは、ついに再度の強行策を決意。
4月19日、FBIは19台の戦車、装甲車、武装ヘリを前面に立てて突入を試みた。大量の催涙弾でいぶり出せば、教祖や信者達もたまらず外に飛び出してくるだろう―――。それがFBIの読みだった。
しかし、これが完全に裏目に出た。信者達は予想外に頑迷な抵抗を続け、なかなか外に出ようとしない(ガスマスクを着用していたとの話もある)。そうするうちに建物の一角から出火、木造の教団本部は瞬く間に炎に包まれた。それでもほとんどの者が脱出しようせず、燃え落ちる教団と運命をともにしてしまったのである。
この出火の原因については、実は明らかになっていない。当初は信者達の集団自殺、あるいは信者が『聖なる炎』を放って戦車を追い払おうとしたと言われていたが、突入した装甲車がランタンやプロパンガスのボンベを破裂させた、または可燃性の催涙ガスにFBI側の銃火が飛んで引火したという説も有力である。
原因はどうあれ、大勢が業火の中で絶命したことには変わりない。損傷が激しく遺体の確認は困難を極めたが、最終的にはコレシュを含む81名が死亡したとされている。うち25名は子供。生存者はわずか9名だった。
当然のごとく、司法当局は失敗の責任を追及・検証された。FBIはそれまでの交渉経過から、コレシュの不遜な態度は『こけおどし』で、強行策に出ても最悪の事態(集団自殺)を選択する度胸はない、またインタビューなどで再三投降をほのめかしながら結局反古にしていることから、降伏の可能性もないと判断していた。
しかし、実はFBIの行動科学課の分析官の一人は、コレシュの独善的で激高しやすい性格から、強行策は裏目に出る可能性が高く、交渉を重ねて妥協を引き出すべきと進言していた。また、コレシュが4月14日付でFBIに出した『刑務所での布教を認めてもらえれば降伏する』との手紙が、司法長官に提出されなかった(事故か故意かは不明)ことも、後に明らかとなった。
結局、責を問われてFBI長官セッションズは辞任。司法長官リノも辞表を提出したが、クリントン大統領は「罪を最も負うべきは教祖コレシュだ」としてこれを却下した。そして人々は、狂信的なカルト集団、重武装の立て籠もり事件への対応の難しさを、改めて思い知らされることとなった。
この事件がアメリカに与えた衝撃は大きく、映画『沈黙の陰謀』など、メディア作品にもしばしば現場となった『ウェイコ』の名が登場する。
しかし、悲劇はこれで終わらなかった。
事件後、アメリカ国内の保守的・右翼的勢力を中心に、この事件を『信仰・武装(自衛)の権利に対する、連邦政府の不当な弾圧』ととらえる空気が広がっていったのである。そして、増幅した連邦政府への憎悪は、事件からちょうど2年後の1995年4月19日、死者168名、負傷者500名以上という大惨事『オクラホマ連邦政府ビル爆破事件(オクラホマ・ボマー事件)』として噴出することとなる(奇しくも4月19日とは、アメリカ独立戦争の開戦日でもある)。
そして、ブランチ・ダビディアンは現在もなお存続し、活動を続けている。
ブランチ・ダビディアンが所持していた武器がATFが入手した取引の記録などから明らかになった、ブランチ・ダビディアンの武装のは以下の通りである。
一部は重複している可能性もある。
《種別:名称(数)備考》
突撃銃:コルト AR15(123挺)
USSR AK47(44挺) スポーターモデルをフルオート改造。
自動小銃:スプリングフィールド M1(26挺)
スプリングフィールド M14(不明)
マガジン30個の取引記録有り,銃本体は不明
小銃:銃種不明(11挺)
拳銃:銃種不明(60挺)
短機関銃:AAI M10(不明)
MAC M11(不明)ATFの捜査員が目撃
散弾銃:銃種不明(2挺)
重機関銃:銃種不明(不明)ATF捜査員が.50口径の機関銃の発砲音を聞いたと証言、実物は確認できなかった模様
対物火器:バレット50口径ライフル(2挺)
擲弾発射器:M79手投げ弾発射機(1挺)
また、この他にも訓練用の手榴弾多数と、これを『実弾』化するための大量の爆発物も入手していた。
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老兵は死なず、ただ消え去るのみ
====4月19日の出来事===
1701年
赤穂城が幕府に明け渡し。赤穂藩主浅野内匠頭の刃傷による浅野家断絶の為。(新暦5月26日) 元禄赤穂事件。
1775年
ボストン市北西のコンコードで英軍と米植民地兵が武力衝突(レキシントン・コンコードの戦い)。アメリカ独立戦争開戦の契機となる。
1880年
新約聖書の日本語訳が完成。
1897年
第1回ボストンマラソン開催。
1903年 - ロシア・キシニョフで大規模なユダヤ人迫害(ポグロム)が発生。
1904年
トロント大火。
1943年
アルバート・ホフマンがLSDの幻覚作用を発見。
1950年
公金1億円を横領して逃亡していた鉱工品貿易公団職員とその妻が出頭。会見で同公団総裁が「あれくらいは女中のつまみ食い程度」と発言したことから「つまみ食い」が流行語に。
1951年
トルーマン大統領はマッカーサー元帥に対し更迭を発令し、GHQ総司令官などを解任された。
4月16日午後7時23分、日本を旅立った・・・。


1951年4月19日、ワシントンD.C.の上下院の合同議会に出席しマッカーサーは、退任に際して演説を行った。
「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」(Old soldiers never die; they just fade away)と述べ有名になる。
老兵は死なず(Old soldiers never die)は、英語のキャッチフレーズである。兵隊歌『Old Soldiers Never Die』のスタンザ「老兵は死なず、単に消え去るのみ」(Old soldiers never die, they simply fade away)を短縮したものである。
Old soldiers never die,
Never die, never die,
Old soldiers never die,
They simply fade away.
『Old Soldiers Never Die』は、ゴスペル歌『Kind Thoughts Can Never Die』の替え歌で、元々はイギリス陸軍の将兵によって歌われていた。
マッカーサー議会演説での「老兵は死なず、ただ消えゆくのみ」を含む一節
アメリカ陸軍元帥のダグラス・マッカーサーが1951年4月19日に合衆国議会合同会議にて行った退任演説の際に「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」(Old soldiers never die; They just fade away)という形で引用した一節が広く知られる。この演説を「老兵は死なず」演説("Old Soldiers Never Die" speech)と呼ぶこともある。
しかし、マッカーサーはこの時に軍人を引退したと勘違いされている人も多いが、実際は死ぬまでアメリカ軍元帥(将軍)だった。
アメリカ軍において「元帥」の位は引退の制度がないため、この演説の後に軍人としての活動は無いが、軍人としての籍は生涯、元帥だった。
《ダグラス・マッカーサー》
Douglas MacArtur1880~1964

米国軍人。1930年陸軍大将。1935年フィリピン軍事顧問。1941年米国極東軍司令官、1942年連合国軍南西太平洋方面司令官となり対日反攻を指揮。戦争終結後、1945年連合国最高司令官として日本占領政策を推進、東京に駐在し、日本の民主化に貢献した。
(昭和天皇とマッカーサー)
(吉田茂総理とマッカーサー)

コーンパイプといえばぁ俺らですニャ~♪

1954年
文京区立元町小学校に侵入した覚醒剤中毒者が、トイレで小学2年の女児を暴行・殺害。(文京区小2女児殺害事件)
1954年
映画『ローマの休日』が日本で封切り。
1960年
四月革命。4.19学生革命。韓国・ソウルで学生数千人が大統領選挙の無効と独裁政権打倒を叫び行進。4月27日に李大統領が辞任を発表、12年間の李承晩政権による独裁に幕が下ろされた。
1961年
ハーバード大学教授で知日派のエドウィン・ライシャワーが駐日大使に着任。
1961年
ピッグス湾への侵攻が失敗に終わる。
1971年
ソビエト連邦が世界初の宇宙ステーション「サリュート1号」を打ち上げる。
1983年
航空自衛隊小牧基地所属のC-1輸送機2機が三重県鳥羽市沖の菅島に相次ぎ墜落、搭乗していた自衛官計14名が死亡(菅島事故)。
1989年
アメリカ海軍の戦艦「アイオワ」の2番砲塔内で爆発事故が起こり47名の死者を出す。(戦艦アイオワ砲塔爆発事故)
1993年
米テキサス州・ウェーコのブランチ・ダビディアン本部にFBIの特殊部隊が突入、本部が炎上し児童25名を含む81名が死亡した。
1995年
米オクラホマシティのアルフレッド・ミューラービルで爆弾テロが発生、168人が死亡。(オクラホマシティ連邦政府ビル爆破事件)
1995年
東京外国為替市場で1ドル=79.75円の当時としては史上最高値に達する。
1995年
横浜駅異臭事件が発生。犯人は同年の7月6日に逮捕。
2012年
東京電力福島第一原子力発電所の1号機から4号機が、電気事業法に基づき廃止。日本の原子力発電所が54基から50基に減少。
2012年
ダイバーシティ東京プラザが開業。
2013年
酒々井プレミアム・アウトレットが開業。
2014年
三重県総合博物館が開館。
2018年
宮崎県えびの市の霧島山系・硫黄山が噴火。
2019年
東池袋自動車暴走死傷事故が発生。
ブレーキとアクセル の踏み間違え事故によって歩行者2人が死亡、9人が負傷。日本で高齢者ドライバー問題が社会的に注目される契機となった。
====4月19日の記念日===
【地図の日(最初の一歩の日)】
寛政12(1800)年旧暦閏4月19日、伊能忠敬が蝦夷地の測量に出発した。
測量の日 6月3日
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【飼育の日】
日本動物園水族館協会が2009年に制定。
四(し)一(い)九(く)で「しいく」の語呂合せ。
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【食育の日】
栄養補助食品ミキプルーンなどを販売する三基商事が制定。
四(し)一(い)九(く)で「しょくいく」の語呂合せ。
これとは別に毎月19日が政府が制定した「食育の日」になっている。
食育の日 毎月19日
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【養育費の日】
母子家庭などの支援を行っているNPO・Winkが制定。
2004年のこの日、民事執行法が改正され、それまでは養育費の支払いが遅れるたびに裁判所に給与等の差押えの強制執行を申立てなければならなかったのが、一度の手続きだけで将来に渡って差押えが出来るようになった。
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【乗馬許可の日】
明治4(1871)年旧暦4月19日、それまで武士にのみ認められていた乗馬が庶民にも許可された。
「俺らぁ、馬に乗りたいなんてぇ一度も言ったことないッスけど・・・」

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【自転車の日(Bicycle Day)】
1943年のこの日にスイスの化学者アルバート・ホフマンがLSDの幻覚作用を発見したことを記念。ホフマンは研究室でLSDを服用する実験をした後、幻覚状態のまま自転車で帰宅したが、その間も視野にある全ての像が揺れ動き、自転車が一向に進んでいるように感じられなかったと記していることから、この名前がついている。
【独立宣言の日 [ベネズエラ]】
1810年のこの日、カラカス市参事会がベネズエラ総督を追放し、スペインからの独立を宣言した。
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【国王誕生日 [スワジランド]】
アフリカ南部・スワジランドの現国王・ムスワティ3世の1968年の誕生日。
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【プリムローズ・デー】
イギリスの40・42代首相ベンジャミン・ディズレーリの1881年の忌日。プリムローズ(桜草)はディズレーリの好きな花であり、ヴィクトリア女王が宮殿の庭で摘んだプリムローズをよくディズレーリに贈っていたというエピソードからこの名前がついている。
====毎月19日の記念日===
トークの日
食育の日
シュークリームの日
松阪牛の日
クレープの日
====4月14日~4月20日===
ポスト愛護週間
====2月1日~4月30日===
建設産業の労働時間短縮推進キャンペーン
====4月1日~4月30日===
新聞閲読月間
インテリア月間
河川美化月間
未成年者飲酒防止強調月間
身体障害者福祉強化運動月間
ロータリー雑誌月間
====4月16日~5月5日===
全国海難防止強調運動
====4月15日~5月15日===
みどりの月間
====3月1日~5月31日===
春の防犯運動
====4月1日~6月30日===
春季における都市緑化推進運動
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