零が動く時 -3-
零が動く時 -3-
《事件の経過》
昭和54年(1979年)1月26日(金曜日)
午前10時
犯人・梅川昭美(当時30歳)が大阪市住吉区の自宅マンション「長居パーク」を出る。筋向いの食料品店でコーヒー牛乳を飲む。その後、隣の理髪店でパーマをかける。
午後0時
スナックで焼飯を注文。店主に「忙しいので待って」と言われると「あとで来るわ。港区の友達に映写機を返しに行く」と言って出る。その後、近くの寿司屋でナマコを食べ酒を飲む。
午後2時30分
梅川が大阪市住吉区万代東1丁目15番地の三菱銀行北畠支店西側駐車場にダイハツ・シャルマンバンで乗り付け、同支店1階に侵入。
午後2時31分
猟銃(ニッサンミロク上下二連散弾銃)を2発、天井めがけ発射。ナップザックをカウンター内に投げ込み「10数える間に5千万円を出せ」と要求。支店2階にいた支店長(当時47歳)が銃声を聞いて階下に下りる。1階にいたのは行員34人(男性14人、女性20人)、来客17人(男性7人、女性10人)の計51人。主婦A(当時61歳)は地下貸金庫室に身を潜め、主婦B(当時51歳)はカウンターの陰に伏せる。1階応接室にいた会社経営者(当時69歳)と長男(当時32歳)はそのまま応接室に隠れる。
午後2時32分
梅川は「早く出せ。出さんと殺すぞ」と脅迫、カウンターにいた窓口係・行員A(当時20歳)が2階に電話しようとしたのを見つけ、2発発射。うち1発がA行員に命中、死亡。もう1発は貸付係・行員B(当時26歳)の後頭部に命中、重傷。この間に定期預金の入金手続きに訪れていた主婦C(当時52歳)と来客係の女子行員(当時52歳)、男子行員(当時39歳)が脱出。
午後2時33分
自転車で支店東側を通りかかった住吉警察署警ら係長・楠本正己警部補(当時52歳)が主婦Cから事件の一報を受ける。
午後2時34分
楠本警部補が東通用口から支店1階に入る。行員はキャビネット上の現金を集め、梅川はカウンター上の現金12万円をポケットに入れる。
午後2時35分
楠本警部補が「銃を捨てろ」と威嚇。梅川の「撃つなら撃ってみろ」との返答に1発威嚇発射。弾は命中せず。梅川が1発発射し、楠本警部補の胸に命中。同警部補は「110番、110番……」と言いつつ死亡。脱出した男子行員が東側歩道の電話ボックスから、女子行員が西側の喫茶店「ハリマ」から110番通報。支店内の行員も非常ボタンを押す。
住吉署は発生配備、付近6警察署(阿倍野、西成、住吉、大正、堺北、松原)は周辺配備。本部関係109台、511人。住吉署14台、143人。阿倍野警察署15台、131人。その他の署30台、345人。総計車両168台、人員1130人が現場包囲。
午後2時37分
大阪府警通信指令室から指示を受け、阿倍野署警ら二係・前畠和明巡査(当時29歳)と永田幹生巡査長(当時34歳)のパトカー「阿倍野1号」が支店北側に到着。
午後2時38分
前畠巡査、行内に入る。梅川はカウンター内から前畠巡査に1発発射、同巡査は胸に被弾し死亡。
午後2時39分
阿倍野署警ら二係(西田辺派出所勤務)・東康正巡査部長(当時30歳)、能登原芳夫巡査(当時29歳)が交通指導取り締まり現場から自転車で支店に到着。東通用口から入る。この時、永田巡査長が北通用口から入ろうとしたが、梅川がすぐ近くにいるのに気付き「危ない」と叫ぶ。永田巡査長が身を伏せた直後、梅川の発射した散弾が傍の壁に命中。
午後2時40分
梅川が猟銃に実包を装填している間に「撃つぞ」と言い、東巡査部長が1発発射するも当たらず。梅川はシャッターを閉めるよう命じ、相談窓口係・行員C(当時47歳)が東、北通用口のシャッターを降ろし始める。
午後2時41分
東巡査部長は支店の外に出る。自転車や立て看板をシャッターの下に置き、シャッターは約40センチの隙間を残して止まる。府警第二方面機動警ら隊第一中隊第二小隊隊長・寺田伸司警部補(当時37歳)が北通用口から入った直後、至近距離から梅川が発砲。寺田警部補は防弾チョッキを着けており、慌てて着用したため下にずれたところに弾が当たる。C行員がシャッターの開閉ボタンから指を離したため、北通用口のシャッターも隙間を残して停止。
午後2時45分
住吉署の斎藤寛署長、藤田英雄刑事課長、田中義勝警ら課長らが到着。非常階段で2階へ。2階の行員から事情聴取開始。
午後2時48分
梅川、女子行員に射殺した楠本警部補の拳銃を奪わせる。
午後2時49分
カウンター陰に伏せていた主婦D(当時32歳)と長男(当時7歳)、次男(当時5歳)を見つけた梅川は「ボク、立てや」と言い、3人を解放。
午後2時50分
梅川、行員をカウンター内に一列に並ばせ「責任者は誰や」と訊ねる。支店長が「私です」と名乗り出ると「金を出さないからこうなるんや。お前の責任や」と言い、至近距離から発砲。支店長は右肩に被弾、死亡。
午後2時51分
梅川、男子行員に命じて2階に通じる階段前にスチール製机を並ばせバリケードを築く。田中警ら課長が大盾を持ち支店1階に入り、近くにいた行員を手招きするが行員は「警官が来たら殺される」と拒否。
午後2時52分
梅川、人質を並ばせ点呼を命じる。37番で終わる。「病人はおるか」との問いに来客の妊婦が「妊娠しています」と答えると解放。
午後2時55分
大阪・泉州地区で起きた連続放火・保険金詐欺事件の容疑者が岐阜県で逮捕されたため、名古屋市中区の中部管区警察局に出張、検討会を開いていた坂本房敏・府警捜査一課長と伊藤忠郎・捜査一課管理官に事件の一報。
午後3時
京都市の国際会議場の近畿本部長会議に出席中の吉田六郎・府警本部長に第一報。
午後3時5分
B行員がカウンター内で倒れているのを見た梅川、女子行員に「チリ紙で血を止めたれ」と命じる。新田勇刑事部長、三井一正警備部長、木口信和捜査一課調査官ら府警幹部が現場に到着。支店西駐車場で梅川が乗ってきたライトバン発見。事件の2週間前の1月12日夜、三重県四日市市で焼肉店経営者(当時58歳)が自宅前で盗まれたものと判明。
午後3時10分
支店2階にいた斎藤署長ら「人質はまだバラバラでバリケードも完全ではない。突入するなら今だ。猟銃は二連だから犯人に2発だけ危険のない方へ撃たせるとよい」と考え、住吉署員による突入を計画したが、到着した新田刑事部長が無線で斎藤署長を呼び出したため中止。
午後3時11分
田中警ら課長が2階から1階支店長席に電話。梅川は出ず、応対した行員から死者4人、うち警官2人、行員2人であること、けが人が2人いることを聞き出す。
午後3時16分
支店東50メートルの路上に停めた多重無線車内に新田刑事部長を最高責任者とする「特別捜査本部」を設置。
午後3時25分
梅川、楠本警部補の拳銃を天井に向けて試射。
午後3時30分
特別捜査本部を支店2階支店長席に移動。この時、府警の警備体制は警察官636人、車両113台。
午後4時5分
多重無線車内に警察庁とのホットライン開設。負傷者救出に備え大阪消防局に手配要請。住吉、天王寺、南、東など各消防署に14の救急隊を編成、待機。一隊は救急車1台と隊員3人。府立病院、昭和病院、警察病院など大阪西南部27の医療機関に緊急搬送受け入れを要請。
午後4時46分
梅川、110番。「俺は犯人や。責任者と代われ」と要求。通信指令室の井上正雄管理官(警視)が出ると「もう4人死んどる。警官が入ってきたら人質を殺すぞ」と言い、電話を切る。
午後4時50分
梅川、C行員に金のありかや銀行の構造を訊くも返事が曖昧だったため「お前、生意気や」と言い、発砲。C行員は避けたが右肩に被弾し重傷。梅川は持っていた折り畳みナイフを男子行員に渡し、「とどめを刺せ」と命じる。行員が機転を利かして「もう死んでいます」と答えると「そんなら切れるやろ。耳を切れ」と命じたため、行員は「すまん。生きていてくれ……」と呼びかけつつC行員の左耳を半分切り落とす。
午後4時52分
梅川、女子行員に命じて「警官が見えたら、その都度、行員を1人ずつ殺す」と書いたメモを2階の警官に渡す。女子行員、「近づくのはやめて。警察が来れば人質を1人ずつ殺すと言っています」と110番。特捜本部が折り返し電話すると「電話なんかしないで。何もしないでよ。そうしないと、うちらが殺されるんよ!」。人質は警官の接近を競うようにして梅川に知らせ、外の報道陣にまで銃声と女の悲鳴が聞こえる。
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零が動く時 -2-
零が動く時 -2-
吉田はこの年の3月で退官する予定だったが、事件発生当時は2府2県本部長会議の出席のため京都へ出張しており、吉田が出張先から戻るまでの間は刑事部長だった新田勇が現場指揮にあたった。吉田が出張先から大阪へ戻った時点でも梅川の素性は不明であったが、深夜岐阜県多治見市内で職務質問された男の自供から、梅川に頼まれてライトバンを盗んだこと、さらには銀行強盗の相棒を頼まれたが断ったこと、短気で感情を爆発させると何をするかわからない性格であることを多治見署ですべて供述していたことで梅川の素性が判明した。また男の証言通り、梅川が15歳で強盗殺人の罪で服役していたことが判明する。
夜、梅川が要求した400グラムのサーロインステーキとワインが届けられる。人質にはカップラーメンが差し入れられたが、「栄養がない」と梅川が怒り、代わりにサンドイッチや胃薬が差し入れられた。このカップラーメンは後に梅川が食べている。午後9時半、ひどい風邪をひいていた女性行員が解放された。警察は梅川が要求したビーフステーキに睡眠薬を入れることを検討したが、捜査員がステーキソースに液体の睡眠薬を混ぜて味見したところ、舌先に刺激を感じたことと、梅川は毒の混入を警戒し差し入れられた食事は全て人質に毒味をさせていたため、警察はこの方法を断念している。
1月27日
日付は変わり、しばらく膠着状態が続いていたが深夜2時頃、人質の客(76歳男性)がトイレに行かせてくれと申し出たところ梅川は年齢を聞くと解放。同じころ、捜査本部は銀行の3階の女子更衣室に作戦指揮室を開設して指揮に当たった。
数時間後、ラジオの差し入れが遅いことに腹を立てた梅川は、ロッカーに向けて発砲。流れ弾により客と男性行員の2人が負傷。夜明け前にラジオが差し入れられ、そのラジオのニュースで自分の実名が誤った読み方で報道されていたことに激怒し、捜査本部に「俺の名前はテルミやない、アキヨシいうんや!報道のやつらにアキヨシだと言っておけ!」と言い放った。
1月27日の午前8時前に人質の客(41歳女性)が解放、9時30分には退職した大阪府警察本部捜査第一課の元刑事(57歳男性)が解放される。梅川に職業を聞かれたとき、元刑事は身分を大工と偽っていたが、梅川はまったく疑わなかった。だがラジオが差し入れられてから、いつ梅川が自分の嘘に気づいて激怒して猟銃を発射するかと思うと生きた心地がしなかったと、マスコミのインタビューで述べている(事件が解決するまで、この事実は公表されなかった)。
10時半ごろ、梅川の母親と亡き父の弟が捜査本部に到着し、説得を始めるも梅川が電話を切ったため失敗に終わる。手紙で母親が説得すると、梅川はトイレの使用を認めるようになり、(20秒だけであり、梅川本人は床に紙を敷いて済ませていた)。用を足しにきた行員らに、警察は2階から励ましたり、作戦計画を伝えていた。梅川は全員に服を着ることを許可して、昼までに2人の人質(いずれも女性客)を解放した。
その後、差し入れられた朝刊を女性行員に朗読させ、銀行にあった500万円の現金を用意させると、梅川は借金の支払い先を書いたメモを男性行員に渡し、借金を返済してくるよう命じる。午後1時半、弁当の差し入れと引き換えに人質の客(24歳女性)を解放。午後3時前、梅川の借金返済のため男性行員がハイヤーで出発し(同日午後10時ごろ銀行に帰る)、覆面パトカーが追跡。ハイヤーに乗った男性が人質の銀行員らしき情報が報道陣に流れるも、この借金返済についてマスコミが知ったのは事件解決後であった。また、この借金返済は法律上、無効であり、借金返済の金は警察により回収され銀行に戻された。
午後3時半、リポビタンDの差し入れの後に人質の客(19歳女性)解放。しばらくして行員の申し出によって、3人の男性行員の負傷者が解放される。3人のうち2人は大阪府立病院に、残る1人は阪和記念病院に救急車で搬送。それから1時間後の午後5時前、最後の人質の客(25歳男性)を解放。梅川はこの人質が最もお気に入りだったらしく、この人質をKちゃんと愛称で呼ぶほどだった。午後6時、梅川に気づかれずに隠れていた客(合計5人)が、応接室、貸し金庫室、カウンターから捜査員の誘導により無事に脱出した。梅川は5名の存在も脱出も知らなかった。この際民間の錠前技術者が捜査本部の要請により技術協力し通用口等の鍵を解除、脱出支援を行った。
梅川は月見うどん、マカロニグラタン、ポタージュスープ、ローストビーフなどの夕食とボルドーワインのシャトー・マルゴー(当時、このワインの名を知る者は少なかった)を要求したが、銀行の向かいの酒屋にこのワインがなかったため、シャトー・ランゴア・バルトンとなる。午後7時、梅川がシャッターの穴に気づき、行員に穴を塞ぐように命じる。だが東のシャッターの穴だけは唯一、気づかれず事件終結までこの穴から梅川や行内の監視が続けられた。深夜、遺体の腐敗臭が強くなると、梅川と行員が協力し合って遺体を移動させる。1月28日の午前0時から、捜査本部は人質の苦痛はすでに限界と判断して突撃作戦を開始する。午前2時3分、救急隊員が行内に入り遺体を搬出。警察はこの時の混乱に乗じて梅川を狙撃逮捕する作戦を練ったが、梅川は人質の男子行員に自分の服を着せ、弾を抜いた猟銃を持たせ、自分は人質の服を着て拳銃を持ち人質に紛れ込む偽装工作をしていた。
1月28日
特殊部隊の突入
朝から機会を伺っていた警察は、人質の見張り役が前夜外出した行員と交代した直後、突入準備を開始した。トイレに来た行員から「今回はチャンスがあると思うので合図しますからよろしく」との伝言を受け、大阪府警察本部警備部第二機動隊・零中隊(SAT前身部隊)に待機させた。直後、梅川の至近距離にいて射撃の際に被弾する可能性のあった女性行員がお茶を入れるために離れた。のぞき穴から監視していた警察官からの報告を受け、吉田本部長は強行突破を指示した。零中隊員7名は、トレーニングウェアを着用して匍匐前進で侵入した 。
1月28日午前8時41分、警察の作戦を知らされていた唯一の男性行員が、新聞を読みながら居眠りをし猟銃から手が離れていた梅川を確認、警察に掌を上下させ合図した。その直後、7名の零中隊員が人質に「伏せろ!」と叫ぶとともにバリケード代わりのキャビネットの隙間からカウンター内に突入する。零中隊員は拳銃で計8発を発射し、そのうち3発が梅川の頭と首、胸に命中、梅川は床に崩れ落ちた。担架で固定された瀕死の梅川を逆方向にして、前を救急隊員、後ろを刑事が担いで運び出すが、救急車にたどりつく寸前で後方の刑事が転倒した。この転倒が致命傷となり梅川は死亡したという説や、すでに銀行内で即死していたという説もあるが、公式発表は出されなかった。梅川は天王寺の大阪警察病院に搬送、意識不明の重体であったが脳波は確認され、2600㏄の輸血と銃弾の摘出手術を受けるも、右の頸部の貫通銃創が致命傷となり同日午後5時43分に死亡が確認された。梅川は人質に自分の服を着せて、弾を抜いた猟銃を持たせるという偽装を行い、自身は人質の服を着て人質の中に紛れ込み「人質解放や!」と叫んで混乱に乗じ脱走する計画を練っていたが、しかしこれは警察に見抜かれていた。
この事件の解決のため、大阪府警察本部刑事部は、現地本部に100名を派遣。時間外勤務手当6000万円、給食費220万円、梅川の入院治療費90万円など1億800万円の費用が投入された。殉職した二名の警察官には警察以外に総理大臣と関西財界から2000万円が贈られたほか、一般人3000人から3000万円が寄贈された。
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零が動く時 -1-
1979年(昭和54年)1月26日に三菱銀行北畠支店に猟銃を持った男が押し入り、客と行員30人以上を人質にした銀行強盗および人質・猟奇殺人事件である。
場所:三菱銀行北畠支店
(現:三菱東京UFJ銀行北畠支店)
日付:1979年1月26日(金曜日)
標的:民間人、銀行員、警察官
攻撃手段:銃撃
武器:散弾銃
死亡者:5名(犯人、銀行員2名、警察官2名)
動機:借金の返済
1979年(昭和54年)1月26日に、単独犯人の梅川昭美が大阪府大阪市住吉区万代二丁目の三菱銀行北畠支店に銀行強盗目的で侵入した。
客と行員30人以上を人質として立てこもり、警察官2名、支店長と行員、計4名を射殺し、女性行員を裸体にさせて行内の接客カウンター前で横一列に立ち並ばせ、籠城を続けた。
大阪府警察本部は投降するように交渉を続けたが、事件発生から42時間後の1月28日、SATの前身である大阪府警察本部警備部第2機動隊・零(ゼロ)中隊が梅川を射殺する。戦後日本の人質事件が犯人射殺という形で解決した例は、本事件のほかに1970年5月12日の瀬戸内シージャック事件、1977年10月15日の長崎バスジャック事件、本事件の計3件のみであり、以降、本事件の解決から40年以上が経過する2020年現在まで一例も存在しない。
また、三菱銀行では後に2度の大型合併が行われたが、事件のあった店舗は「三菱東京UFJ銀行北畠支店」として現存している。事件後に内部の全面改装が行われたが、建物自体は現在も当時のまま使用されている。
1月26日
1979年1月26日、銀行の閉店時間である15時前ごろに、テラピンチ(当時、ゴルフをする際に被られていたハット・中央帽子製)を被り黒スーツに黒サングラス、白マスクの犯人こと梅川が5000万円を強奪する目的で銀行に押し入り、ニッサン・ミロク社製の猟銃(上下2連式12番口径)を天井に向けて2発発砲した。
梅川は現金をリュックサックに入れるように行員を脅したが、その際に非常電話で通報しようとした20歳男性行員を見つけ射殺(長時間意識はあったものの救出が間に合わず死亡)し、また流れ弾により男性行員と女性行員を負傷させた。観念した男性行員が現金を詰め込み、梅川は警察が到着する前に銀行から逃走する計画であったが、逃げ出した客が自転車で警ら中の住吉警察署警邏課係長に通報し、事件は発覚した。
梅川の予想より遥かに早く楠本正己警部補が銀行に駆けつける。楠本警部補は犯人に銃を捨てるよう要求し天井に向けて威嚇発砲をしたが、梅川は楠本警部補の顔と胸を撃って射殺した。その前後に店から脱出した行員が近隣の喫茶店に飛び込み110番通報を依頼、行内の別の行員も警察直通緊急通報ボタンを押して通報。直後に阿倍野警察署パトカー阿倍野一号で駆けつけた巡査及び巡査長にも梅川は発砲し、巡査を射殺した。もう一人の巡査長は防弾チョッキを着ていたため無事だった(予算の関係でパトカーのトランクには防弾チョッキが一着しか積まれていなかった)。
午後2時35分に大阪府警に銀行の異常事態が通知され、3分後には大阪府内の全署に緊急配備指令発令。緊急配備から2分後には武装警官およそ320名が銀行を包囲し、銀行付近500メートルの道路を閉鎖。すると梅川は行員にシャッターを下ろすよう命じ、銀行の出入口を閉鎖したが、その際現場に到着していた警察官がとっさに近くにあった看板や自転車等をシャッターの下に置いたため、シャッターは40cmの隙間を残して完全には下りなかった。
シャッターが閉じられた店内には客12人と行員31人の合計43人が梅川に人質に取られたが、うち親子連れと妊婦の客4人はすぐに解放されたため、人質の人数は39人になった。また人質とは別に梅川に気付かれずに貸し金庫室などに隠れた客5人が店内に残された。店内の状況は凄惨で、梅川によって殺害された者の遺体が人質たちのそばにあったままだった。
銀行に籠城した梅川は、猟銃で威嚇しながら、人質たちに対して、行内の机や椅子で、非常用出口や階段を塞ぐバリケードを作らせる。また、射殺した警官が所持していた拳銃を女性行員に命じて奪わせた。バリケード完成後、全員を整列させて点呼させ、「金を用意しなかったのが悪い」と言って支店長を至近距離で射殺した。その後、梅川は、狙撃隊から自分の身を守るために、男性行員全員を上半身のみ裸、女性行員には電話係を除く19人全員を全裸にさせ、『肉の盾』となるよう命令する。女性行員についてはただ脱がせただけではなく、ブラウス、ブラジャー、パンティに至るまで、ストリップを観るかのごとく、じりじりと楽しむように服の脱ぎ方の順番までも指示していった。行員はトイレに行くことも許されず、カウンターの隅で済ませるしかなかった。その後、梅川は、片親の女性行員1人にのみ服を着ることを許している。
やがて、梅川は、こういう状況の中でも冷静沈着な最年長の男性行員に対して、生意気だと怒り再び猟銃を発砲した。狙われたこの行員は、とっさに身体をずらしたため銃弾は急所をはずれたが、右肩に重傷を負った。この行員は、バリケードを作る際に梅川を怒らせまいと周りの銀行員たちを励まし指図しており、これを覚えていた梅川が後々抵抗されると厄介だと判断したことが狙われた理由とされている。梅川は、別の男性行員にナイフでとどめをさして、肝を抉り取るように命じるが、命令された行員は狙われた行員を守るために「もう死んでいる」と嘘をついた。
すると、梅川は、映画『ソドムの市』で死人の儀式を行うワンシーンの話を出した上で、「そんならそいつの耳を切り取ってこい。死んでるなら切れるだろ」とナイフを差し出して新たな命令を出す。命じられた行員は、激しく抵抗したが、散弾銃で撃たれた者の遺体と猟銃で狙われている恐怖により応じた。死んだふりをしていた行員は命じられた行員が来ると「かまわん」と小声で言う。命じられた行員は小声で何度も「すみません」と泣きながら耳元で呟き左耳を半分切除した。そして、その耳を梅川に差し出した。しかし、梅川は、耳を口にしてすると、まずいと言って吐き出した。耳を切り取られた行員は、失神し多量の出血となったものの事件解決後の緊急治療により、一命を取りとめた。また、撃たれた右肩は治療で二の腕にかけて人工骨が入れられ、12粒ほどの銃弾が摘出不能のために体内に残ったままとなった。この行員は、激痛から夜明けに目覚め、左耳から流れる血液で、「Y(妻の名前)ツヨクイキロ コドモタチモツヨクイキロ」と遺言を書くも、後から流れ出る血液で遺言は消えてしまったと後にマスコミのインタビューに答えている。
その後、梅川は、行員らに向けて威嚇発射をするなど、いたぶって喜んでは、些細なことで癇癪を起こして「殺すぞ」と怒鳴りながら、真剣な顔をして銃口を突きつけたりした。
事件をうけて警察は銀行の2階の事務室に現地本部をかまえた。当時の大阪府警本部長の吉田六郎は大久保清事件や山岳ベース事件などの事件発生時に群馬県警本部長を務めた人物であり、本事件では自らが現地本部長を務めた。本部となった銀行2階の事務室から1階の梅川と電話で会話できるようホットラインを設置。外から当初パトカー113台、警官644名が銀行を包囲、銀行の半径1km内の交通をすべて遮断。本部は銀行の図面から、建物の北と東のシャッターと2階のドアなどに手動のドリルで小さな穴を7つ開け、外から中の様子を観察しようと試みた。午後6時半、ようやくひとつの穴から行内が見渡せるようになったが、店内は警官や行員の遺体が転がり、そのそばで「肉の盾」が動いている異様な光景が見えた(このシャッターの穴から見えた梅川の写真は後に毎日新聞がスクープ報道する)。そのほかに現金自動支払機を動かしその隙間からも室内を偵察していた。また店内放送のスピーカーの回線を逆にして梅川と人質の会話を傍受することに成功した。
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