hiroチャンのブログ -103ページ目

追跡 - 2

追跡 - 2
工作船は、固有の武装として対空機関砲を備えていたほか、多くの携行兵器が積み込まれていた事が判明した。携行火器は、朝鮮人民軍の第一線にもあまり配備されていない最新鋭の物ばかりであった。RPG-7や無反動砲といった対戦車兵器は、無誘導ながら非装甲の巡視船に命中すれば上部構造のあらゆる部分の外殻を成型炸薬弾の効果によって貫通し、撃破できた。また、AKS-74の放つ小口径高速弾や82式機関銃が掃射する機関銃弾(フルサイズ小銃弾)は、事件当時の海上保安官に支給されていた防弾ベストを貫通して殺傷する能力があった。
固有武装のZPU-2対空機関砲は、かつての対戦車ライフル用弾丸を使用しているため貫通力に優れており、対人で使えば防弾ベストを着用していようと即死は免れない上、巡視船や航空機の外殻を貫通してしまう恐れが高かった。また、9K310 イグラ-1携行対空ミサイルは5kmの射程を持っており、チャフやフレアといった軍用の防御装備を持たない当時の海保機にとっては大きな脅威であった。

最終的に回収できた兵器は以下の通り。
固有武装
ZPU-2×1(船尾)
82mm無反動砲(B-10に類似)×1(船首)
携行火器
AKS-74×4
82式機関銃×2
RPG-7×2
9K310 イグラ-1×2

引き揚げ直後は、検証終了後にスクラップ処分される予定であったが、日本船舶振興会(現日本財団)が、すべての経費を負担して東京都への移送と展示を実施。回収された工作員の武器も、検証終了後には安全化処理として銃身の内部や雷管を破壊され、武器としての能力を完全に喪失した無可動実銃の状態で、展示場所となった東京都江東区の「船の科学館」の羊蹄丸船内に移送された。「船の科学館」は公開場所の無償提供を行い、2004年2月まで一般公開された。
当初は、その後の継続的な保存に必要な資金が調達できなかったことから、「船の科学館」での一般公開終了後にはスクラップ処分される予定だったが、石原慎太郎東京都知事ら多くの人々の反対と、海上保安協会に寄せられた多くの人々からの寄付によって処分は中止され、横浜市に移送された。同年12月10日から横浜海上防災基地内の「海上保安資料館横浜館」(工作船展示館)で展示されている。なお見学は無料である。
他方、工作船からの銃撃によって破壊された巡視船「あまみ」の船橋部分は、修理の際に船から切り取られて東京霞ヶ関の国土交通省庁舎にて期間限定で展示された後、広島県呉市の海上保安大学校に展示されており、同校への来校者は無料で見学することができる。

この事件は、旧ソビエト連邦のスパイ船である「ラズエズノイ号事件」以来、数十年ぶりに行われた他国船艇への船体射撃だった。北朝鮮工作機関の犯罪行為が白日の元にさらされた事は、拉致事件に揺れる日本の世論にも、大きな影響を与えた。
海上自衛隊は「海上警備行動」こそ発動しなかったが、海上保安庁と連携して対応に当たった。一連の不審船事件は海上防衛の在り方にも一石を投じた事件であった。海上保安庁は、今回の事件を教訓に、現場の海上保安官(乗組員)の生命保護のため巡視船艇の防弾化および相手船舶を安全な距離から停船させるために高機能・長射程の機関砲の搭載、船艇の高速化、海上警備における水産庁の漁業取締船との連携強化、航空機の輸送力アップなどを急速に進めることとなった。また、一部航空基地に配属が進んでいる機動救難士の発足の理由の一つとして、救急救命士資格を持った機動救難士による現場海上保安官の直接救護の目的もある。海上保安官に対しては、性能のよい防弾ベストを支給し、対テロ戦闘の訓練を行わせている。

海上治安研究会によれば、本件では、RFS付きの武器の使用により、乗員の死傷を避けた射撃が行えると判断して船体射撃を実施した。また、仮に船体射撃によって乗員に危害を与えてしまっても、実際に拿捕・臨検を行って乗員の状態を確認しない限り、本当に危害を与えてしまったかを判定する事が困難であるため、違法と判断される可能性は低い。実際に、本事件において工作船の乗員全てが自爆・自沈の結果として死亡しているため、「船体射撃によって乗員に危害が加えられていたかどうか」は重要視されていない。

21時00分に、「みずき」が再び船体射撃を行ったが、装填していた20mm機関砲の弾薬がなくなったため、弾薬を再装填するために一時離脱を余儀なくされた。この射撃を受けて、21時35分には不審船は再度停船したが、2分後には再度動き出した。逃走する方向には、10キロほど離れたところに無関係の中国の漁船団が多数操業していることがわかり、不審船はここに紛れ込むことを目論んでいると判断されたことから、特殊警備隊の到着を待たずして不審船を確保する必要が生じた。

.

追跡 - 1 -

追跡 - 1 -
【九州南西海域工作船事件】
2001年(平成13年)12月22日に東シナ海で発生した北朝鮮の工作船である不審船の追跡事件である。不審船は海上保安庁の巡視船と交戦の末爆発、沈没した。九州南西海域不審船事案とも。

1999年(平成11年)3月23日に、日本海で「能登半島沖不審船事件」が発生、日本の近海で北朝鮮による工作船が暗躍している可能性が認められていた。
この事件における最初の不審船の情報は、2001年(平成13年)12月18日にアメリカ軍から情報を受け取った防衛庁により海上保安庁へと伝達された。海保は、この情報を元に東シナ海の公海上で「長漁3705」と記された漁船のような外観の国籍不明船を発見し、日本の「排他的経済水域(EEZ)内において、漁船型船舶『長漁3705』の乗組員が『排他的経済水域における漁業等に関する主権的権利の行使等に関する法律 第5条第1項』の規定に違反する無許可漁業等を行っている疑いがあった」として、漁業法に基づいて停船を命令、巡視船による立ち入り検査を試みたが、当該不審船はこれを無視して逃走した。
これを受けて、巡視船は漁業法違反(立入検査忌避)容疑で強制捜査を行うために上空や海面への威嚇射撃を行ったが、なおも不審船が逃走を続けたため、警告を発した後に警察官職務執行法を準用した海上保安庁法に基づいて、機関砲による船体砲撃を行った。
22日深夜に、巡視船が不審船に強行接舷を試みたところ、乗員が巡視船に対して突如として小火器や携行式ロケット砲による攻撃を開始した。これを受けて巡視船側も正当防衛射撃で応射し、激しい銃撃戦が繰り広げられた。その後不審船は爆発を起こし沈没した。この銃撃戦で日本側は海上保安官3名が銃弾を受けて軽傷を負い、不審船側は10名以上とされる乗組員全員が死亡したものと推定されている(8名の死亡のみ確認)。
事件発生直後は「九州南西海域不審船事件」などと表現されていたが、沈没した不審船を海底から引き上げた結果、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の工作船であることが判明し、現在では「九州南西海域工作船事件」と称される。

2001年(平成13年)12月18日頃に、在日米軍から不審船に関する情報が防衛庁に提供され、それを受けて各通信所に北朝鮮に関する無線の傍受を指示、翌12月19日に喜界島通信所が不審な通信電波を捕捉したため、海上自衛隊機は喜界島近辺海域を哨戒した。

12月21日16時32分に、鹿屋航空基地所属のロッキードP-3C対潜哨戒機が、東シナ海の九州南西海域(奄美大島の北北西150キロ)において「長漁3705」と記された不審な船を発見した。一報は17時30分に中谷元防衛庁長官に、18時頃には内閣総理大臣秘書官、内閣官房長官秘書官にも伝えられた。
防衛庁は、18時30分頃に鹿屋航空基地に帰投したP-3Cが撮影した画像を解析し、対象船舶は北朝鮮の工作船の可能性が高いと判断、翌12月22日1時に防衛庁長官に「工作船の可能性が高い」との分析結果が報告され、1時10分、内閣総理大臣秘書官、内閣官房長官秘書官、海上保安庁に通報した。

通報を受けた海上保安庁は、これを捕捉すべく追尾することとし、第十管区(鹿児島)・第十一管区(那覇)本部の稼動可能な航空機および巡視船艇を出動させた。また、第七(福岡)・第八(舞鶴)管区などにも警戒態勢をとらせた。現場に向かった巡視船艇は24隻、航空機は14機に及んだ。
海上自衛隊も、情報を受けて佐世保地方隊の一部に緊急出航を命じた。11時20分に佐世保基地から護衛艦「こんごう」「やまぎり」(第2護衛隊群所属)を現場へ向かわせている。日本国政府からは、海上自衛隊特別警備隊(SBU)に、出動待機命令が発令された。

同日6時20分、奄美大島の北西240キロで西進する船影を海上保安庁のビーチ350が確認、12時48分には、まず180トン型巡視船「いなさ」(当時長崎海上保安部所属)が同船を視認した。約20分後、「漁業法励行」のため、船尾に国旗を掲揚していない不審船に対して航空機と巡視船から最初の停船命令が発せられた。不審船はこれを無視して逃走を続けたため、拡声器と無線による多言語、旗りゅう信号、発光信号、汽笛などによる音響信号、発炎筒による度重なる停船命令を行った。しかし、不審船はさらに逃走を続け、15時ごろには排他的経済水域の日中中間線を超えてなおも西進を続けた。
この時点で「漁業法違反容疑(立ち入り検査忌避)」が成立したため、巡視船は「停船しなければ銃撃を行う」という意味の旗りゅう信号をマストに掲揚し、朝鮮語などの多言語で同様の射撃警告を行った後、逃走防止のため、「警察官職務執行法第7条」を準用した「海上保安庁法第20条1項」を遵守しながら、14時36分からRFS付20mm機関砲による不審船の上空および海面への威嚇射撃を行った。以後、45分間にわたって断続的に計5回、段階的に警告度を高めつつ威嚇射撃を実施したものの、不審船はいずれも無視していた。また立ち入り検査と威嚇射撃を止めさせるためか、乗組員が甲板上で中国の五星紅旗のような赤い布を振って見せた。なお14時15分の時点で、縄野海上保安庁長官は、船体を狙った射撃も含めた威嚇射撃を許可していた。またこの間に、350トン型巡視船「あまみ」(当時名瀬海上保安部所属)、180トン型巡視船「きりしま」(当時串木野海上保安部所属)も現場に到着していた。
海上保安官が武器を使用して相手に危害を加えた場合に違法性が阻却される基準(危害射撃が可能な基準)は、海上保安庁法第20条に警察官職務執行法第7条を準用すると従来から定められており、これによると、正当防衛、緊急避難、懲役3年以上に該当する凶悪犯罪を既に犯したか、犯した疑いのある犯罪者の検挙時に犯人が逃走・抵抗を図り、これを防ぐために他に採る手段がない場合のみに危害射撃が免責される。また、1999年に発生した能登半島沖不審船事件を受けて改正された海上保安庁法第20条により、外国の民間船舶の領海内における航行が、凶悪犯罪を犯すのに必要な準備のため行われているのではないかとの疑いを払拭することができないと海上保安庁長官が認定した場合にも危害射撃を行えるようになっていた。しかし本件では、不審船が未だ凶悪犯罪を起こしていなかったため、警職法に定められた危害射撃時の免責の要件を満たせず、また日本の領海外のEEZ内であったため、改正第20条の免責の要件も満たせず、本庁は難しい判断を迫られた。最終的に本庁は「照準性能が高いRFS付き機関砲であれば、乗員に危害を加えずに船体射撃が可能」という判断を基に船体射撃を行うことを決定した。そして、16時13分から「いなさ」が、不審船の船尾にあると推定される機関を破壊するために、警告放送の後に20mm機関砲による射撃を行った。しかし効果はなく、なおも不審船は逃走を続けた。
16時30分、350トン型巡視船「みずき」(当時福岡海上保安部所属)が追跡船隊に参入した。赤外線映像の解析により、主機関は船尾ではなく前部の船倉にあることが判明した(船尾に上陸用舟艇を隠すために船首部分に機関を設置していた)ことから、16時58分、「撃つぞ。船首を撃つから船首から離れろ」との警告の後、「みずき」搭載の20mm機関砲により、船首への射撃を行った。この際、発射された曳光弾が船首の甲板上のドラム缶に備蓄されていた予備燃料に命中、引火し火災が発生した。これにより、17時24分、不審船はやっと停船した。しかし乗組員によって消火器や毛布を使った消火活動が行われるとともに、延焼防止のため風上に船尾を向けて後進をかけて炎を船首に追いやることで、30分で鎮火がなされ、南南西に向けて11ノットで逃走を再開した。なお巡視船に取り付けられている赤外線カメラの映像で、この火災の際に不審船の左舷側から乗組員が何らかの物体を海中に投棄したのが確認されているが、物体はすぐに海中に沈んだため、回収するには至らなかった。この物体は、暗号表や乱数表などの機密性の高いもの、あるいは覚醒剤などの違法な物品ではないかと推測されている。
この間、海上保安庁の側も、急行中のヘリコプター搭載巡視船「おおすみ」に乗船した特殊警備隊(SST)の到着を待っていたことから、強攻策は行われなかった。

.

飲食店で席すら選べないのは不幸である・・・。



混んでいれば、相席なのはやむを得ない 。
お店にはお店の事情もあるだろうが、食事くらいは落ち着いた場所で食べたい・・・。




==============

12月22日はグレゴリオ暦で年始から356日目(閏年では357日目)にあたり、年末まであと9日ある

わん(1)にゃ(2)にゃ(2)にゃ(2)



===============


【冬至】
一年中で最も昼が短く、夜が長い日が冬至です。
太陽の昇る高さが低いため、影も一番長くなります。
この日は、カボチャを食べたり、ゆず湯に入りますが、カボチャとゆずは、太陽の象徴ともいわれています。
なお、冬至は年によって日がずれ、12月21日や22日の年もあります。

2025年の冬至は12月22日でる










====12月22日の記念日===
【改正民法公布記念日】
1947(昭和22)年のこの日、「民法」の第4編と第5編を全面改正する改正法が公布された。
家父長制の家族制度が廃止され、戸籍が夫婦単位となった。

【労働組合法制定記念日】
1945(昭和20)年のこの日、「労働組合法」が公布された。
「労働組合法」は、労働者の団結権・団体交渉権・団体行動権等の保障について定めた法律で、「労働基準法」「労働関係調整法」とともに「労働3法」と呼ばれている。

【革命記念日 [ルーマニア]】
1989年のこの日、チャウシェスクの独裁政権が崩壊した。

====毎月22日の記念日===

毎月22日は『夫婦の日』
毎日新聞社・味の素などが1987(昭和62)年に制定。



ハートニャンコ
これからも一緒にいようニャ~♪




ハートのエレファントさん

~~~~~~~~~~~~~~~

【ショートケーキの日】
仙台の洋菓子店・カウベルが2007(平成19)年に制定。カレンダーで22日の真上には15日(いちごの日)があり、ショートケーキの上には苺が乗っていることから。

(そのケーキあまってますかぁ?) 


~~~~~~~~~~~~~~~

【禁煙の日】

===12月10日~1月10日===
年末年始の輸送等に関する安全総点検

===12月15日~1月10日===
年末年始海上犯罪の一斉取締り

===12月15日~1月14日===
年末年始の食品等一斉取締り

===12月15日~1月15日===
年末年始無災害運動

===12月1日~12月28日===
食品・添加物等の年末一斉取締り

===10月1日~12月31日===
赤い羽根共同募金運動

===12月1日~12月31日===
大気汚染防止推進月間
脱スパイクタイヤ運動推進月間
地球温暖化防止月間
未成年者飲酒防止強調月間
歳末たすけあい運動,海外たすけあい運動
年末年始の防犯運動

====12月22日の出来事===
1572年
三方ヶ原の戦い。武田信玄軍が徳川家康・織田信長軍を破る。家康は浜松城に敗走。

1619年
江戸幕府が12箇条の「人身売買禁止令」を発布。

1629年(寛永6年11月8日)
紫衣事件で後水尾天皇が明正天皇に譲位。称徳天皇以来859年ぶりの女性天皇が誕生。

1808年
ベートーベンの交響曲第5番『運命』と第6番『田園』がウィーンでベートーベン自身の指揮により初演。

1849年
フョードル・ドストエフスキーが死刑執行直前に特赦が与えられ、シベリアへの流刑に減刑になる。

1885年
日本で内閣制度が発足。伊藤博文が初代内閣総理大臣に就任して、第1次伊藤内閣を組閣。

1905年
日本と清が満州善後条約に調印。

1938年
南アフリカのイーストロンドン付近カルムナ川沖で、絶滅したとされていたシーラカンスの生存を確認。

1972年
ウルグアイ空軍機571便遭難事故。アンデス山中に墜落した飛行機の乗客のうち16人の生存者が71日ぶりに救出。4日後、生存者が遺体を食べて生き延びていたことが発覚。

1973年
オイルショック: 石油需給適正化法と国民生活安定緊急措置法のいわゆる「石油緊急2法」が公布。

1980年
人民日報が「毛首席は文化大革命で過ち」と初めて名指しで批判。

1988年
環境保護活動家シコ・メンデスが暗殺される。

1989年
ルーマニアの首都ブカレストでデモ隊が政府機関を占拠。チャウシェスク政権が崩壊。イオン・イリエスクが大統領に就任。

1989年
ベルリン・ブランデンブルク門の開通式。18年ぶりに自由通行。

1997年
メキシコのチアパス州でアクテアル虐殺事件が起きる。

2001年
アフガニスタンの暫定行政機構が発足。ハーミド・カルザイが暫定行政機構議長に就任。

2001年
九州南西海域工作船事件が発生。九州の南西海域に不審船が侵入。海上保安庁の巡視船との交戦の末に自爆。後の調査で北朝鮮の工作船であったことが判明。

2005年
記録的な寒波で日本海側を中心に豪雪・暴風雪。東海地方・九州で12月の積雪記録を更新する歴史的大雪(平成18年豪雪)。新潟県では暴風雪により新潟大停電が発生。

2016年
糸魚川大火が発生。

2016年
シリア騒乱の中のアレッポの戦い (2012-2016)が事実上終結。

2018年
インドネシア・スンダ海峡で大規模津波が発生。(スンダ海峡津波)

2018年
アメリカ合衆国連邦政府が政府閉鎖。翌年1月25日に一部暫定解除されるまで過去最長の閉鎖期間となった(2018・19年アメリカ合衆国連邦政府閉鎖)

.