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世界中に拡散 -1- 


【ミハイル・カラシニコフ】- 1 -
ロシアの軍人、銃器設計者、政治家。史上もっとも大量に製造され拡散しているアサルトライフルである「AK-47」(露: Автомат Калашникова образца 1947 года、1947年式カラシニコフ突撃銃)の設計者であり、第二次世界大戦後の旧ソ連を代表する銃器デザイナーである。




ミハイル・チモフェエヴィチ・カラシニコフ(ロシア語: Михаи・л Тимофе・евич Кала・шников

生誕:1919年11月10日
ロシア社会主義連邦ソビエト共和国 アルタイ地方クリヤー村

死没:2013年12月23日(94歳没)
ロシア、イジェフスク
所属組織:トゥーラ造兵廠

最終階級:技術中将

カラシニコフの一族は元々クバン地方に暮らすコサックで、かつては「カラシニク(Калашник)」という姓だった。ロシア風のカラシニコフという姓は、19世紀半ばに一族が農民になった頃に改めたものである。1910年、皇帝ニコライ2世がアルタイ地方への入植と引き換えに農地の譲渡を行うという政策を発表し、カラシニコフ家もこれに従い同地方クリヤー村に入植した。1919年、ミハイル・カラシニコフは18人兄弟の8人目として生を受ける。ただし、18人のうち生き残ることができたのは8人のみであり、カラシニコフが実際に何番目に生まれたのかは定かではない。一家は小さな丸太小屋に暮らし、カラシニコフは他の兄弟と共に農作業を手伝いつつ過ごした。幼少期は病弱な子供だったが外で遊ぶことを好み、また当時から何かを作ることに興味を持っていたという。
第一次五カ年計画が推し進められる中、やがてクリヤー村でも富農撲滅運動に関連した会議が盛んに開かれるようになり、1930年にはカラシニコフ家も富農に認定された。一家は財産のほとんどを没収された上に市民権を剥奪され、トムスク州のニージュニャヤ・モホヴァーヤ(Nizhnyaya Mokhovaya)という追放農民の集落に追放された。この時の貧しい暮らしの中で父が死去している。1934年、カラシニコフは集落を脱走して故郷クリヤー村へと向かった。しばらくは追放前に結婚して故郷近くの村に残っていた姉や兄たちの元で暮らしていたが、まもなく自らの居場所がないと感じた為にニージュニャヤ・モホヴァーヤに戻った。

1936年、コルホーズの会計係と共謀して再度脱走を遂げる。この際、パスポートの取得に必要な書類を偽造する為、検印と国の印章を偽造した。カラシニコフはのちに偽装印章について、「これこそ私の最初の発明品である」と語っている。
また、再びクリヤー村に向かう途中、会計係の故郷であらかじめ隠してあった拳銃1丁を回収している。この為にカラシニコフらは地元警察に数日間拘束された。彼はこの拳銃の分解・組立・整備に熱中していたが、村を離れる際にばらばらにしてあちこちに捨てたという。カラシニコフはこの出来事こそが銃器への興味を抱くきっかけだったと回想している。その後は会計係の兄が鉄道員として働いていたカザフスタンに移り、寝台列車に寝泊まりしつつ、鉄道技師や鉄道機関区の政治局技術秘書として働いていた。

1938年、西ウクライナにて兵役を果たすべく赤軍に入隊する。カラシニコフは入隊式で担当者に機械工作への情熱やその分野での能力をアピールし、戦車操縦士兼整備士としての訓練を受けることとなった。この頃にも戦車兵向けに支給されていたTT-33拳銃を銃眼から射撃しやすくする為の装置を開発している。
1940年5月からキエフ軍管区司令官に就任したゲオルギー・ジューコフ将軍は、兵士の創意工夫を奨励する方針を採っており、週ごとに様々な技術的課題が発表されていた。カラシニコフはこの技術的課題の解決に熱心に取り組み、多数の装置を開発した。戦車のエンジン作動状況を計測する装置を開発した際にはジューコフ自身から直々に賞賛を受け、記念品の腕時計を送られたという。やがてこの装置の量産が決定し、1941年春にはレニングラードの工場へと派遣された。しかし、6月22日にはナチス・ドイツによる侵攻を受け、独ソ戦(大祖国戦争)が勃発する。結局、カラシニコフは装置の量産プロジェクトにほとんど着手することなく連隊へ送り返されることとなった。
当時の赤軍では装備や人員の不足が深刻だったこともあり、カラシニコフは戦闘が始まってすぐに戦車長に任命されている。ある日、カラシニコフがハッチから身を乗り出して周囲の様子を伺っていた時、至近距離に砲弾が着弾した。全身に砲弾片を受けたカラシニコフは意識を失い、負傷者として収容された。その後、他の負傷者らと共に後送されることとなり、ドイツ軍からの襲撃を受けつつもトルブチェフスクまで撤退することに成功した。

病院で療養中、カラシニコフは前線での経験や負傷兵らとの会話を通じて、近代的な自動火器の不足こそが敗北の原因と考えるようになり、短機関銃への関心を強めていった。かつてソ連では国防人民委員代理兼砲兵総監グリゴリー・クリーク元帥のように短機関銃を軽視する高官も多く、ウラジーミル・フョードロフ (火器設計者)、ヴァシーリー・デグチャレフ、ゲオルギー・シュパーギンといった自動火器の価値を高く評価する銃器開発者らは政府当局と対立する立場にあった。1939年の冬戦争を経て短機関銃の評価は改められたものの、独ソ戦が幕を開けた1941年の時点では未だ十分に普及していなかったのである。カラシニコフはかつて自らも使用したデグチャレフの短機関銃より優れた銃器を設計しようと考え、病院の図書室で銃器関連の蔵書を読み漁り、様々な兵科の負傷兵が交わす自動火器についての議論に耳を傾けた。

その後もカラシニコフは研究を続けたが、やがて療養休暇を命じられ、戦前働いていた鉄道機関区に向かった。ここで彼は機関区長を説得し、機関区内の作業所や設備を利用する許可を得た。必要なだけの工員を集めたカラシニコフは、現地の軍当局の協力も受けつつ短機関銃の設計を続けた。カラシニコフが手がけた試作銃を検討した地方軍事委員会は、研究施設が疎開していたアルマアタに彼を送ることとした。ここで試作銃に改良が加えられた後、カラシニコフは砲兵士官学校が疎開していたサマルカンドに移動した。ここではアナトリ・ブラゴヌラーヴォフと出会っている。ブラゴヌラーヴォフはカラシニコフの試作銃について未だ未完成であるとしつつ、カラシニコフ自身の能力は高く評価していた。その後、モスクワの砲兵総局を経てセルゲイ・シモノフと共にショーロヴォ武器試験場に向かった。カラシニコフはここで短機関銃の設計を完成させた(カラシニコフ短機関銃)。結局採用には至らなかったものの、カラシニコフは軍曹という低い階級に留まりつつも銃器設計者としての身分を認められ、それに対する俸給も受け取るようになっていた。次いで手がけた軽機関銃もシモノフやデグチャレフの設計とのコンペを経て不採用に終わったが、この時の失敗から銃の信頼性や部品の単純さを重視する必要性を感じ始めたという。その後、ショーロヴォ武器試験場にて自動式カービンの設計に参加した。この頃、短機関銃の設計者として著名なアレクセイ・スダエフと出会っている。




電話BOXは猫ハウス・・・。


12月23日はグレゴリオ暦で年始から357日目(閏年では358日目)にあたり、年末まであと8日ある。

====12月23日の記念日===

【テレホンカードの日】
NTTが制定。
1982(昭和57)年のこの日、電電公社(現在のNTT)が、東京・数寄屋橋公園にカード式公衆電話の1号機を設置した。

(-_-;)公衆電話の使い方すら知らない子供もいるようですし、今やテレホンカードは死語でしょうかねぇ?

電話BOXは猫ハウス?









野良猫さん達には、雨風凌げる
穴場なのかもねぇ~♪

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【東京タワー完工の日】
1958(昭和33)年のこの日、東京・芝公園に東京タワーが完成し、完工式が行われた。
高さ333mでパリのエッフェル塔より13m高く、当時世界一の高さの建造物となった。現在でも、世界で最も高い自立鉄塔である。

(前略、お袋様・・・。これが、
東京名物の東京タワーッスゥ)




(お袋様にも、上京した際には
是非見てもらいたいッスゥ・・・)

(ライトアップは猫の自分も
感動したッスゥ・・・。)

(あっ!( ̄0 ̄;)うっそぉ~?)



(お袋様・・・、東京にはまだ
スカイツリーもあるッスゥ・・・。)

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【(旧)天皇誕生日(Emperor's Birthday)】
1933(昭和8)年のこの日、皇太子継宮明仁親王(元上皇)が誕生した。
東京に親王生誕を知らせるサイレンが鳴り、人々は旗や提灯を持って街を行列して祝った。
2019(平成31)年の譲位後は、新たに祝日とすることはなく平日に戻された。

天長節(明治5年まで) 9月22日
天長節(明治)・明治節(戦前) 11月3日
天長節(大正元年・大正2年) 8月31日
天長節祝日(大正) 10月31日
天長節(戦前)・天皇誕生日(戦後) 4月29日
天皇誕生日(令和) 2月23日

====毎月23日の記念日===
【ふみの日】
【天麩羅の日】
【歩民(府民)の日】
【踏切の日】
【国産小ねぎ消費拡大の日】
【乳酸菌の日】

===12月10日~1月10日===
年末年始の輸送等に関する安全総点検

===12月15日~1月10日===
年末年始海上犯罪の一斉取締り

===12月15日~1月14日===
年末年始の食品等一斉取締り

===12月15日~1月15日===
年末年始無災害運動

===12月1日~12月28日===
食品・添加物等の年末一斉取締り

===10月1日~12月31日===
赤い羽根共同募金運動

===12月1日~12月31日===
大気汚染防止推進月間
脱スパイクタイヤ運動推進月間
地球温暖化防止月間
未成年者飲酒防止強調月間
歳末たすけあい運動,海外たすけあい運動
年末年始の防犯運動

====12月23日の出来事===
1613年
江戸幕府2代将軍徳川秀忠が2回目の「キリシタン禁令」を全国に布告。

1672年
ジョヴァンニ・カッシーニが土星の衛星レアを発見。

1783年
ジョージ・ワシントンが大陸軍の最高司令官を辞任。

1823年
ニューヨーク州の新聞『センティネル』に匿名の作者による『サンタクロースがきた』の詩が掲載される。

1854年 (嘉永7年11月4日)
安政東海地震発生

1893年
エンゲルベルト・フンパーディンクのオペラ『ヘンゼルとグレーテル』が初演。

1933年
明仁(昭和天皇の第一皇子, 第125代天皇)親王殿下 御誕生

1948年
極東国際軍事裁判で死刑判決を受けたA級戦犯の東條英機・廣田弘毅ら7名の絞首刑を巣鴨刑務所で執行。

1956年
石橋湛山内閣が発足。組閣が遅れ、首相の石橋湛山が一時全閣僚を兼任。

1956年
競馬の第1回中山グランプリ(翌年より有馬記念に改称)を中山競馬場で開催。

1958年
東京タワーの完工式。正式な営業を開始。

1968年
プエブロ号事件: 北朝鮮が11か月拘束していたプエブロ号の乗員82人を解放。

1979年
アフガニスタン紛争: ソ連軍がアフガニスタンの首都カーブルを占領。

1982年
電電公社が東京の渋谷駅・新宿駅・数寄屋橋公園などにカード式公衆電話第1号を設置。

1984年
シンボリルドルフが有馬記念を制し初の四冠達成。

1986年
アメリカの二人乗りプロペラ飛行機「ボイジャー」が世界初の無着陸・無給油の世界一周飛行を達成。

1987年
小田急電鉄10000形ロマンスカーHiSEが営業運転を開始。

1990年
スロベニアでユーゴスラビアからの独立を問う住民投票。88%が独立に賛成。

1990年
オグリキャップが有馬記念で優勝し引退。

2003年
名古屋ドル紙幣ばら撒き事件。デイトレーダーの男性が、1ドル紙幣など総額100万円を名古屋テレビ塔からばら巻く。

2005年
京都大学アメフト部レイプ事件

2011年
日本初の旅行会社専用列車、近畿日本鉄道15400系「かぎろひ」が運用開始。

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ゲスト様、おいでやすぅ~♪


   おこしやすぅ







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に過ごさせてしまい申し訳ございませんでした。きっと後悔されていることでしょう。ガーン


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