先日話題のトップガンマーヴェリックを観てきました。ひとりで。
評判通りのデキで、点をつけるなら100点満点。文句なしの内容でした。
渓谷を抜けるミッションなんかは、トップガンを観に来るような男子なら「コレってエースコンバットでさんざやったヤツだよね」と思うだろうし、私のようなアラフィフあたりのオッさん連中ならエリア88の「ミッションタイトロープ」を思い出したことでしょう。
実にヒーローチックな内容な事から、アレは映画の話、現実には有り得ないと思う人も多いでしょう。ですがアレより凄い嘘のような本当の話が昔実際にアメリカ軍であったのです。
1960年代中期、ベトナム戦争の頃の話になります。
当時アメリカ軍はベトナム北部への爆撃を繰り返していて、最新鋭の爆撃機でもってゴリ押ししていたのですが、戦略面、運用面でいろいろとマズいところがあって、そのマズイところを衝いてきた北ベトナム軍のミグ戦闘機に甚大な被害を与えられていました。
日々失われていく戦友達の命。アメリカ軍のパイロット達の士気は下がる一方でした。
そんな中に新たに着任してきた司令官がロビン・オールズ大佐。
ロビン・オールズ氏 wikipediaより
オールズ大佐は第2次世界大戦のエースパイロットで、第2次大戦終戦時点で12機の撃墜スコアをもっていました。
ハルトマンとかバルクホルンとかに比べると随分と少ないのですが、アメリカ軍のエースパイロットの基準は5機以上とされておりオールズ大佐はダブルスコアのエースだったのです。
ベトナム戦争の時点でオールズ大佐は44歳。第2次世界大戦からは20年程たっており、大佐といえば十分な出世かとも思えるのですが、優秀だけれども事なかれ主義の組織にとっては常に持て余すというタイプだったようで、そのせいで所属部署を転々としていたという経歴の持ち主でした。
この時点で既に相当な切れ者感があるのですが、着任早々の挨拶でオールズ大佐は現役パイロット達に一発カマします。
まずは主要メンバーに向かい「君たちの技量を見せて欲しい。」と挑発します。
そんなオールズ大佐に対し、冷ややかな反応を見せたパイロット達に対しさらにこう煽るのです。
「君たちの誰よりも私の方が戦闘機の腕は上だよ。」
その後オールズ大佐は最新鋭のファントムⅡ戦闘機の訓練を受け、この言葉が嘘ではないという事を証明し、実際に戦闘機に乗って最前線に出るというシャアアズナブルのような司令官となるのです。
さらに凄いのはその後で、ミグ戦闘機をせん滅するための作戦立案は現場の下士官に全てまかせ、自分自身はその承認を取るための本国との根回しに徹し、文字どおり「この作戦はオマエらの好きなようにやれ、責任は俺が取る」を実践したのです。
この後実施されたボロ作戦の内容はというと、爆撃機狙いのミグ戦闘機を誘いだす目的で、アメリカの爆撃機がいつも通っているコース、高度、時間帯に、電子的に偽装処理をしたファントムⅡ戦闘機を飛ばすというもので、誘い出した後はファントムⅡ戦闘機で迎撃、打ち漏らしてもミグ戦闘機が燃料切れになるまで追い回すための第2陣を後詰で準備する、という念の入った作戦でした。
1967年1月2日に実施されたこのボロ作戦の結果はというと、この作戦だけでミグ戦闘機を7機撃墜、味方の損害はゼロというアメリカ軍の大勝利に終わり、以後北ベトナム軍のミグ戦闘機部隊を沈黙させることに成功しました。またオールズ大佐自身もこの作戦で1機撃墜を記録しています。
F4-CファントムⅡ戦闘機 Natinal museum of USAFより
最終的にオールズ大佐はベトナム戦争で4機を撃墜し、合計スコアは16機のトリプルエースとなり、その後は空軍士官学校の司令官となり准将に昇進するのですが、最前線で指揮を執りたいという想いはいつまでも強かったようで、最後は現場に戻りたいと大佐への降格を申し入れ、それが断られたことで退役しています。
ここまでの経歴を見るとマーヴェリックに通じるものがありますが、今のところ日本語でそのような情報を見たことはありません。
オールズ大佐もボロ作戦もアメリカ人にとっては(多分)良く知られているので、アメリカでは周知の事実なのかもしれませんが私にはアメリカ人の知人がいないので今のところ確かめようがありません。
そんな訳なのでモデルがいたかもしれない話、ということになります。
ですが映画のエンディングでP51に乗って飛ぶマーベリックを見て、あれは第2次大戦でP51を愛機としていたオールズ大佐へのオマージュなのかもしれないと私は考えています。
ちなみにマーヴェリックは昔の彼女とヨリを戻してイチャついていましたが、オールズ大佐の奥さんは本物のハリウッド女優だそうです。加えて軍に入る前はカレッジの花形フットボール選手で、カレッジのフットボール殿堂入りまでしているそうです。今までカレッジフットボールと空軍の両方で殿堂入りしたのはオールズ大佐ただ一人とのことです。
嘘みたいな話ですが本当の話です。