弁天町 交通科学博物館の思い出 | 1971年からの地図

1971年からの地図

見たもの聞いたもの感じたものについて、とりあえずざっくりと説明するブログです。守備範囲はやや広め。

先日仕事でJR大阪環状線弁天町駅で降りる機会がありました。
そういえば交通博物館はどうなったのかな、と思って行ってみると既に更地になっていました。

私的には交通博物館には特別な思い入れがあるので何ともいえない気持ちになりました。

 

弁天町 交通博物館在りし日の姿


あれは私が小学2年生の創立記念日の日、何を思ったのか当時の私は「交通博物館へ行ってくる」と言い、親に弁当を作ってもらって1人で電車に乗って遊びにいったのです。

行けるのかどうか、電車を間違えないか、といった不安は全くなく、唯一の心配事はこんな平日に小学生が一人で電車に乗って「家出少年」に間違えられないだろうか、といったこの点のみでした。

当日は蒸し暑い雨の日だったのですが、特に何事もなく、行って、見て、一人でお弁当食べて帰ってきたことを覚えています。


電車賃も子供料金の半額で、交通博物館自体も子供料金は安かったので子供心にも「安いなあ」と思っていました。ひょっとしたら300円くらいだったかもしれません

それで電車での遠出に自信がついたのか、その後は友達と(子供だけで)何度となく行ったものです。
今だといろいろとちょっと無理かもしれません。

当時買ったお土産はさすがに残っていませんが、銀河鉄道999、ブルートレインが流行っていた時代でもあったので、「日本の蒸気機関車一覧の下敷き」「特急ヘッドマークのバッジ」「記念メダル」などを買って帰り、長い間マイ宝箱に入れてありました。

 

こんな写真がたくさん並んでた下敷きでした。

 

それから相当の年月が経ち、自分が親となり子供を連れて行った時は、自分が子供の時に通ったスポットに我が子をつれてくることになったんだなあと、感慨深く不思議な気持ちでした。

もっともそのときは既に何回かリニューアルを重ねた感があり、基本構成は同じだけど全体的にシックになったなあ、という感想を持ちました。

 

第一印象はお、カッコイイでした。

現在は梅小路に移転され、展示物もおおむね移転するものの、その場所が跡形もなくなる、というのはやはり寂しい気がします。

 

この「パタパタ」は無事梅小路に移転。


 

万世橋の交通博物館も大宮に移転しましたが、その跡地はそれなりに雰囲気・痕跡が残されている気がします。

万世橋の跡地


東京とは立地から何からちがうので一概に比較はできないのですが、今後この跡地に何ができるにせよここに確かに「交通博物館があったんだ」、そんな痕跡を何かしら残してほしいな、と思いました。
 

現在の様子です。

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