23年前の今日のこと | 1971年からの地図

1971年からの地図

見たもの聞いたもの感じたものについて、とりあえずざっくりと説明するブログです。守備範囲はやや広め。

23年前の1月17日 愛知で大学生活を送っていた私は地震の揺れを感じて目が覚めた。
地震であることを認識はしたがそれほど大きい揺れではなかったので、震源は三重県くらいかなあと2度寝した。

その後学校に行く前に朝食を食べながらテレビを付けると、「あの光景」がそこには映されていた。
一目で大変な事が起きているのは理解できたが、今の日本であれば、けが人もそんなにいないだろうな、と軽く考えて学校に向かった。

当時卒論作成のまとめに入っていた私が研究室に向かうと、普段は昼休みぐらいしかスイッチを点けないTVが点けっぱなしで置いてあり、自分が大阪出身である事を知っている先輩達は、口ぐちに「お前の実家、大丈夫か?連絡しろよ。」と心配そうに声をかけてくれた。

被害の中心の神戸と実家は50km以上離れており、大阪の被害は報告されていないことから、まあ大丈夫だとタカをくくっていた私は「大丈夫ッスよ。何かあれば向こうから連絡くるし」と答えて日中は実家に連絡をいれなかった。

夜になり、下宿先に帰ってから早速電話すると・・・・出ない。何回電話しても出ない。地震の時に一度は体験するアレである。

結局実家に電話がつながったのは翌日の昼だった。

地震直後の大阪の実家は以下の状況だったと聞いた。

・まず家中の食器棚から食器が全部下に落ちた。
・暗いので何も見えない、割れた食器が危ないので必要なのは懐中電灯とスリッパ
・近所のローソンでは10時頃に弁当類はすべてなくなった。
・勤務先が三宮であった父は自転車で半日かけて職場へ向かった

その後社会人となった私は三宮に何度となく行ったが、歩道のひび割れが結構後まで残っていたりして、遠目には復興していく神戸であったが、そこかしこに地震の痕跡はつい最近まであったように思う。

神戸に住んでいた友人もいたが、その友人の方が何人か亡くなったとも聞いた。

23年前の今日に関する私自身の出来事は以上である。


地震から5年ほどたって、ある知人と話をしたとき、もちろん本人は悪気があって言ったのではないだろうが「神戸の人は地震の事を言いすぎる」という事を言われ結構ショックを受けた記憶がある。

その知人は地震の時は東京に住んでおり、「神戸の地震」というのはTVの向こうの話で、あまり実感がなかったのだろうとは思う。

被害に会われた方の事を思うと、私には軽々にあの地震はああだったとこうだったと言うことはできない。

ただ、ただ、自分が思ったこと感じたこと、そのまま伝えていきたいと思う。