1971年生まれの私は世間でいう氷河期にあたる世代だ。
中学時代は管理教育で個性を殺し、高校時代は同期の過半数が余裕で浪人上等という過酷な受験戦争を何とかくぐり抜け、いざ就職となるころの目の前でバブルが弾けた世代。とりあえず就職はできたものの、30を超えちょっとばかり収入が上がるころには社会保険料も上がり始め、それと同調するように消費税も上がり始め、ようやく社会の中心を担う立場になったら給料は大して上がらずの少子高齢化社会で老後の不安が振り切れない世の中だときたもんだ。
とはいっても自分でも運は良い方だったとは思うので、はた目から見えるほどの不幸な気はしてはいないけれど、確かに苦労した割には大して報われていない世代だとは思う。
果たして我々の世代だけがこんなザマになってしまったのはどうしてなんだ、どういうことなんだと日々憤りながらよくよく考えてみると、結局は上の世代がやらかしたケツを俺たちより下の世代が拭きまくってきた結果なんだ、とも思う。
数が多いだけに代わりは幾らでもいると雑に扱われ、我慢耐性がなまじっか付いてしまったのをいいことに都合よくあしらわれてきたのが我々の世代だ。パワハラだのセクハラだのモラハラだの全部俺らより上の世代の連中がやってきたことじゃあねえか。そのケツを拭きまくってきた世代が我々氷河期世代なんだと。
政治なんか特にひどいもんだろう。俺たちよりかなり上の世代から政治屋どもが面子の張り合い、身内のなれ合いだけで政治ゴッコした結果がこのザマで、マスコミどももそうした欠陥の本質を突くことなく、全共闘負け犬世代の左巻きどもがしょうもない戯言ばかりを垂れ流した挙句の果てがここまで日本を堕落させてきたわけだ。
中道の名を語る外道どもが未だに大手を振って歩いていて、そのいびつさを指摘することもしない左巻きのマスコミどもが未だにのさばっているこの状況がその証左なんじゃあないのかね。
ただそんな空気も去年辺りから随分変わってきて、左巻きの意見というのはもう上から下まで、もう誰も聞きやしない状況になっている。衆院選という国民の審判が下るまであと数日となった今、SNSのそこかしこで見られる奴らどもの嘆きは最早断末魔のようだ。
そして連中の言い分は判を押したが如く皆こうだ「高市早苗なんかを支持する馬鹿な国民のせいで日本はもう終わりだ」と。
今回の選挙の年齢別支持政党を見ると本当にわかりやすい。反高市の中心がやらかしジジババ世代だというのがはっきりしていて、これまた外道中核連などを未だに支持しているのも同じ世代だ。そしてそういう連中が「国民は馬鹿ばかりだ。」などとのたまっているわけだ。
逆に今高市、維新を推しているのは氷河期世代より若い世代で、長らく投票者数の偏りから冷遇されてきた世代が力を持つようになってきている、というかそのパワーバランスが一気に変わるのがどうやら今回の衆院選のようだ。
今回自民、もしくは維新に投票する我々が、今まで日本を駄目にしてきたジジババ連中に、ようやく文字通り引導を渡すことになるのだろう。と、ここまで書いて結構酷い表現してるなとは思うけれども、こちとら何十年も虐げられてきた世代だ。多少なら暴言も許されてよ、ということにしてもらいたい。
と言っても高市自民、維新がこの選挙に「圧勝」しないと話は始まらない。必要なのは「圧勝」。ほどほどの勝ちなどでは意味がないのだ。
未だに組織票で現役世代をいいようにできると思っている連中、表現の自由を盾に選挙演説をぎゃあぎゃあ邪魔する連中。そんな奴らを我々の一票で黙らせたくはないかね?確かに一票はただの一票でしか無く、絶対値としてはさして価値あるものでないように思えてしまう、なので投票なんか行かねえや。今まではそんな人も多かったろうとは思う。
ただ、今回の選挙は違うものだと思ってほしい。
今回の、我々のその一票で確実に世の中は変わる、それは我々の判断が、我々の生き方が勝ったのだと、そこに投票した人が皆そう言える日本に変わっていくということだ。
その当事者になるのか、それとも傍観者でいるのか。
本当にそんなご機嫌な話なんてあるのかい?と思う人もいるのだろうが、それは大丈夫。既に圧勝し続けている全ての大阪府民がそれを保証しよう。
利にうるさいと言われる大阪人が「あの政党」の支持を続けるのにはちゃんと理由があるのですよ。


