機動警察パトレイバーの面白さと言えば、まずこの作品が“30年前の未来”を描いた“40年前の作品”であるということを挙げてみたい。
週間少年サンデーで連載が始まったのが1988年、舞台はその10年後の1998年東京となっているのだが、この1988年ごろの日本は今と違い、世の中はずっと明るく未来は輝いている、と信じられていた時代だった。嘘のような話だがピンとこない人は当時のコカコーラのCMを見てみれば良いだろう。今見るとなかなか信じがたいがこのCMが許容される雰囲気が余裕で通用していたのが1988年の日本だった。まさに失われた30年の失われる前の姿の日本がこれだったのだ。
そういった下地のもとで連載開始されたパトレイバーは、当時としてもさすがに10年後にこんな作業用ロボットが普及している世の中になっているとも思えないよな、とは感じたものの、当時の世の勢いの中にいるとレイバーのカケラくらいはあり得るかも?とも思えたほど10年後の“リアル”を感じられた作品だった。
例えばS13シルビアの発売は1988年、R32スカイラインの発売は1989年だ。ファミコンがまだ現役バリバリだった“あの頃”を思いだせば、すべてありうるかもと感じさせた“あの頃の未来”がパトレイバーには描かれていた。そしてその未来からさらに30年経った今、その答え合わせは当然容易にできるわけだが、パトレイバーで描かれていなかったものは“携帯電話”くらいのもので、世相を含め今の日本を予見している話が多いことに今さらながらに驚かされる。
それはマスコミの報道姿勢であったり、外国人労働者の問題、廃棄物13号という怪獣退治の話に至っては、つい最近のパンデミックに対する右往左往を予言していたかのような話だったりする。ちなみにこの廃棄物13号のエピソードは私が最も好きな話で、これはいろいろとシン・ゴジラのベースになっているな、と思わされる展開になっていて、オタクの庵野監督が当然この話を知らないはずもなく、まあでもそれを誰も言及しないのはそれは野暮だっていうことなんだろうな、と理解している。
つまりは今の令和の世に読んでも「あれ?コレ30年前の話だよね?」と自己確認してしまうほど、古くない、今現在のストーリーとして読めてしまうのが本当に凄いところだ。繰り返していうがパトレイバーは1988年に書かれている話なのだ。
そしてパトレイバーと言えば第二小隊の面々の個性的なキャラクターが魅力なのだが、何となくこのチームの雰囲気が「踊る大捜査線」に似ているな、と感じる人は多いのではないだろうか。そう感じた人の感覚はまさに正解で、踊る〜のプロデューサーは湾岸署の雰囲気はパトレイバーを参考にしている、と明言している。踊る〜の大ヒット以降、お仕事チームのドラマが増えていったが、その原型はパトレイバーにあったりするのだから、これが面白くないわけが無いのだ。
第二小隊の面々は警察機構のはみ出し者、という扱いをされているのだが、彼らの「仕事に対する熱意」というのは読んでいて気持ちが良いというか、自分に置き換えてみると、仕事に対して自分にはそれだけの真摯さがあったのか?と考えさせられることが多く、とは言っても若い頃は野明や遊馬の気持ちで読めたし、もう少し経つと太田の態度にも共感できたし、家庭を持つと進士の気持ちもよく分かるようになった。後藤隊長のようにはなれなかったけれど、今になると課長も立派だったな、と思えるようになった、というのはある意味少年漫画というより社会人漫画でもあると思う。第二小隊のモットーである“知恵と勇気”は今の我々にも十分通用する考え方だろう。“運と女性の好意”だけで全て解決していく電機メーカー課長のお話よりはずっと健全だ。
もしそんなシチュエーションがあるとすれば、これからパトレイバーを読もうとする若い人に対しては、第二小隊の彼らは職場にいるおっさん達の過去の姿なんだと教えてあげたい。そう、あの頭の固いおっさん連中だって40年前は野明や遊馬に共感していた少年サンデーの読書であり、要するに今の君ら若い人と同じだったのだと。
そう思って読むとキャラクターの作り込みというのも本当によくできている。例え既読済みであってもそういった点に着目してパトレイバーを読むとまた違った感想を持つことができる、という点もこの作品の面白いところだと思う。
繰り返して言うけれども、パトレイバーは40年前の作品だ。20年耐える作品しか読まないというノルウェイの森の永沢さんもパトレイバーにはきっとオッケーを出してくれるだろう。
そんな凄く面白いパトレイバーの新作劇場版が今年から3部作で上映される。個人的には時代設定はいつなのか、スマホは登場する世界なのか、第二小隊とは同じ世界線なのか、何より40年先も観れる内容なのか、気になる点は多々あるけれどまずは5月を楽しみに待つことにしたいと思う。




