さて前回はCyvaオリジナル壁掛け時計を作った話でしたが、どうしてそういう発想に成るのか?
ということの補足説明から入りたいと思います。
私は元々中学校卒業で企業内職業訓練所という所に入りました。
企業内職業訓練所と言うのは働きながら僅かですが(私は11,500円から寮生活)給料をもらえて、技術を身につける場所です。
高校は通信教育でやっと卒業しました。
18歳のときには機械加工分野の「技能オリンピック全国大会」にも出ました。
3億円事件の翌年、東芝府中工場がその会場でした。
※写真はイメージです。
https://www.youtube.com/watch?v=eI2vb8Rneo4
ここで学んだ3年間と卒業しての2年間で技術屋として生きる全てを学び身につけたのですが、
20歳のときにはあるきっかけと想いがあって、周りが留めるのを振り切り、全てを投げ出してしまい現在に続く営業の世界に入りました。
しかし技術屋としての精神は今でも忘れることなく、
「壊れたものは必ず直せる」という信念、「創造は想像から生まれる」とういう信念が一方の私を支えています。
しかし現実は大変でした。
私の人生は、実際に「吾亦紅」という歌、「カラオケ流し」という歌のや、人生の哀歌の歌詞そのものの人生を歩んできたのです。
https://ameblo.jp/123blogishii/entry-12427562524.html?frm=theme
https://www.uta-net.com/movie/58223/
若い時の離婚の経験では
クリスマスイブに私の不徳から離婚し、翌日乳飲み子と一緒に家に戻ったら、家の中にはほぼ何もなく、
ストーブはあったのですが石油タンクがなく火が着けれなかったのです。(最初はタンクが無いのが分かりませんでした)
真冬の北海道です。周りは暖かい部屋、家族でクリスマスを楽しんでいます。
そんな中で子どもと毛布をかぶりながらしばし呆然としていました。
港の岸壁も近かったですから、このまま子どもと一緒に飛び込もうと考えたりもしましたが、
ふと思い出したのです。
粗大ゴミの中でまだ新品な石油ストーブがあったのを拾って、倉庫に入れておいたのを。
急いで倉庫を見てみると誇りにまみれた石油ストーブは残ってました。
なけなしの金で火を付ける芯と石油を買って自分で直ぐに直すことができました。
とりあえずは火をつけてその炎を見ていると、不思議と勇気が湧いてきて、生きる勇気が出てきました。
これは技術屋として学んでいなければこの最初の大ピンチは通過することができなかったと思います。
こんなイメージの石油ストーブでした。
※画像はこちらからお借りしました。
https://aucfan.com/search1/q-~bebccfc220a5b9a5c8a1bca5d6/s-mix/
そこから年末年始をアルバイトで何とか乗り越えました。
これが技術屋としての学びがなければ、多分悪い方向に言っていたのではないかと今でも思っております。
21歳の時の経験です。
その後、何度も色々な局面で助けられ現在に至るのですが、これは技術面というより精神面での勉強が役に立っているようです。
学校教育では教えてくれない、「心の持ち方」みたいねものですね。
皆さんの寿命は20年前とは比べ物にならないくらい伸びておりますね。
私は現在67歳で、今年誕生日がくると68歳になります。
65歳定年大企業なら退職金をもらって悠々自適・快適な人生を送るはずの年齢です。
しかしながら私の場合は長年「夢追い人生」で今まで来たお陰でどうやら悠々自適・快適な生活は送っていません。
むしろまだ神さまは「まだ少しでも苦労しなさい」と言っているようです。
しかし夢は思い続けていると、パズルのピースが合わさるように徐々に実現してきます。
Cyvaとの出会いも不思議な出会いでした。
通常では考えられない出会いでした。この部分はまたあらためて書いていきたいと思います。
「人生100年時代の考え方と生きる知恵とは?」は また次回に書きますので、
こういう経験を生かした考えと知恵から私が実践している知恵です。
楽しみにお待ちください。