インターネットが発達していなかったその昔、タイムリーな情報はテレビやラジオから得ていたので放送しているタイミングで視聴していなければ通行止めなどの情報は得られなかった。しかしながらインターネットなどの情報網が発達した現在、パソコンやスマートホンをインターネットにつないで即座に高速道路の状況を確認できる。今朝の高速道路状況は、九州と琵琶湖近くの北陸道、白川郷あたりが積雪のため通行止めになっている。

 

雪道の経験というと、過去に友人らと神戸まで出かけていった帰途、大雪に遭遇して中央道が通行止めになっており、長野市まで帰宅することが難しくなった。何としても翌朝までには帰宅しなければならないのだが、これでは帰宅できない。

 

・・・現在は多少の雪であっても安全確保のために高速道路を通行止めにしてしまう事が多くなったが、当時は結構積雪が厚めに路上にあったとしても北陸道は通してくれた。これを知っていたので琵琶湖付近の多賀サービスエリアで休憩後、北陸道へ進み、海岸沿いを走って新潟県に入り、回り込むようにして長野市まで戻った事がある。現在の車は6気筒と言えばV6エンジンばかりだが、その時の車は直6エンジンだった。

 

このほか雪ではないが5月の大型連休中、大学生のラグビー合宿で有名な菅平高原を通って群馬県から長野市への帰途、雷雨に遭遇し、雷雨の中を走ってゆくと菅平高原から長野市(須坂市)側への下り坂になった。そこからは急勾配のヘアピンカーブが続くためスピードは抑えなければならない。しばらく進み、いよいよ急こう配のヘアピンカーブが連続するあたりまで来たところで突然に車がスリップし、私は逆ハンドルを切って車を正面に向かせたが、次の瞬間に再び後輪が流れて逆ハンドルを切った。この状態が連続的に何度か続いたため、後続車5台はタイヤをロックさせてカーブ外側のU字溝へ落下していった。おそらく後続車はU字溝の中で玉突き事故になっていたはずだ。

 

やがて私の車は態勢を立て直せたが、次の瞬間、今度は前方が登ってくるマイクロバスや大型観光バス、大型トラックがスリップして斜めになって道を塞いでいた。路面凍結した氷上であるがため再び私の車の後輪が横へ流れて逆ハンドルを切った。道路を滑り落ちて行きながら進行方向の前方を確認すると、マイクロバスと大型トラックの間に私の車1台分だけ何とか通れる隙間があった。ところがこの時にそこを登って通過しようとする自動車がいたので、自車は滑り落ちて行きながらも [ ピピッ ] とクラクションを鳴らしてけん制してマイクロバスの隙間を登って来ようとする2台目の車を止め、ギリギリの状態で他車にぶつかることも無く私はマイクロバスと大型トラックの隙間を滑り落ちながら無事に通過できた。そんな走り方になってしまった理由は、完全に氷になった急こう配の下り坂の凍結路面ゆえに、ブレーキは効かず減速はおろか車を停車させる事も不可能だったからである。そしてマイクロバスとトラックの隙間を通過して50mと走らないうちに路上の氷が解けており、ここまできてようやく何とか危機を脱する事ができた。

 

この日は5月の連休で既に暖かな季節に入っており、車のタイヤは皆さんが夏タイヤを履いていた。お昼の12時頃の雷雨の直後なので [ 路面が凍る ] などと言う事は想像もできず、突然の路面凍結によって急こう配の下り坂のヘアピンカーブで多くの車が事故を起こした日となったようだ。登ってくる車はスリップして斜めになるなどして単に動けなくなって停車していたようだが、私が走って行った下り車線では急勾配であるがゆえに私の後続の車から次々にカーブの外側にあるU字溝に落ちて玉突き事故になっていたようだ。ちなみに路面凍結していたのはヘアピンカーブを含む急こう配な 200m ほどの区間だけであり、[ 橋脚の上 ] などの条件すらない普通の地面の上に設けた道路ゆえに、5月の連休中、しかも昼12時に起きた激しい雷雨の直後に路面凍結するなど、誰も想像できなかったような場面での事故発生だった。

 

どうも私の車の通過直前から当該道路の表面が雷雨による雨水によって突然に凍結が始まったらしい。ちなみに私の少し前を走っていたマイクロバスは、バスや大型トラックが道を塞いでいた場所から10m手前あたりにあった待避所のような広い場所に停車していた。おそらく滑ってマイクロバスの側面がそこのガードレールに衝突していたと思われる。