フルフィルメント瞑想 実は今は千葉

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ようこそ mindful meditation club へ
mindfulとは何度も繰り返される否定的な感情や思考から離れ、人間本来の安らいだ平安な心で、且つ、本来の能力を発揮できる状態を言います。

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ここでお話しするのは通常の心理学ではなく、別の角度から見た自分の中に存在する、もう一つの人格についてお話ししたいと思います。


今回もインスピレーションによるものですが、私は自分の中に複数の人格が存在する場合、2つのケースが考えられると思います。


一つ目のケースは、主人格に対して過去生の人格が干渉している場合。

主人格とは今生の人格ですが、これに一つのエネルギー体と言ってもいい、過去世の記憶あるいは意識が干渉してくることは当然あると思います。


そして、今回ここで書こうと思っているのは、次の2つ目のケースです。

実はこの考えのもとになったのは、私の過去生の中で神父だと感じているものの意見です。

 それは、人の意識のなかに存在する否定的な意識、おそらくは細胞のなかに含まれているものも含んで、それらの否定的な意識(あるいはカルマと言ってもいいかもしれませんが)一つになり、まるで自我を持ったような、存在として人間の思考に(悪い)影響を与えていると思えるのです。


まるで自我を持ったようなと表現したのは、その存在の意識はその意識の中に、人間あるいは何らかの記憶を持っていて、まるで自分で意識を持って思考しているように思えるからです。


ですが本当はその思考に似たものは、その存在のもとになっているものの、(多分に感情を伴った)記憶の集合により出来た意識ではないかと考えられるからです。

 
  
この存在の記憶は、人の意識全体からなっていて、非常に多くの知識を持っているので、その知識は人の人生のあらゆる問題に対処できると、勘違いさせられるかもしれません。

そして問題はこの存在が、通常の人間の思考にまるでその人間が自分で考えたかのように、入ってくることだと思います


そのことに気づかないと、自分で考えたように思いながら、別の存在に自分の人生をコントロールされていることすら、気づかないで生きて行ることになるかも知れません


この存在は、単にカルマと言ってもいいと思いますし、カルマの集合したものでもあり、または人類の歴史の中で別の呼び名があったかもしれません。


ただ、私が思うにこのカルマは、それがどれほど知識があり、人間のことをすべて理解しているように見えても、人間の意識の神秘さには及ばないと思います。


つまり、カルマは永遠にカルマとしてしか存在できず、そこから意識を発達させて進化することは、出来ないのではないかと思います。


それでは、人間の意識の神秘さは何かというと、それは人間は自分の意識を進化発達させて、真理という神秘に到達することができることだと思います。


そして更には、その神秘に到達した意識から人生を生きることも、出来るかも知れません。


その結果、今までは違った人生(運命)を生きること(作ること)が、可能になると思います。
 
 

 

 

 

少し時間があったので、孫悟空の誕生を考えました


宇宙あるいは地球と言ってもいい場所で、気がある一定量を超えて、凝縮すると空間に物質レベルで、存在出来るようになるのではないかと思います。

でもその段階では、単なる気が凝縮したものであるだけで、そこには自分で活動するための意識が存在していません。

その存在が意識を持って活動する為には、意識を持った存在に触れるなり、融合する必要があると思います。


私が思うに、孫悟空には、岩から生まれたと言う伝説があります。元々地球にある物質は、地球も含んで気が凝縮したものが、具現化して出来たものであるとするならば、岩はそのもっともたるものではないでしょうか。


孫悟空の場合、その気が凝縮して岩になる直前に、何らかの意識を持った存在に触れて融合したのかもしれません。


もしかしたら、それは偶々存在した悪戯好きな精霊か何かだったかも知れません


また、もう一つの考え方として周りの生命の気が、何らかの理由でその岩に集まり融合し、その気そのものだけで十分な質量を有したために顕現し、自我と呼べるような意識を持った存在を待っ存在として事由に活動出来るようになったものかもしれません。


そしてそれはやっぱり猿山で、そこに存在した気そのものが猿の気を十分に帯びていたのだと思います。


そして、これとにていると私が思っている存在が蔵王顕現です。蔵王権現は役小角の修行中に示現されたと伝承されているようです。


私が思うに宇宙にある意識の階層には、明らかに神の意識として活動しているエネルギーがあり、それに人の意識をある一定かけ続けることによって、その想念を放った人の気に応じて、あるいは願いに応じて、この世界に顕現するのではないかと思っています


私は蔵王権現は、役小角の祈りに応じて顕現したものと思います。

 

 
 

今回の小笠原滞在記ですが、当然小笠原にも神社はあります。

大神山神社です。




(写真が少ないです)

で写真は有りませんが、この神社に行くまでの階段は結構ありまして、自分がこんなに体力なかったかと、思い知らされるほどです。

滞在中何回か行きましたが、階段の最上段まで一気に行けず、途中で一回は休憩するしまつでした。

そして、もうおなじみの、「日本全国このパワースポットがすごい!」からです。

主祭神

誉田別命(ホンダワケノミコト)


おかげとして、「つまらないこだわりを捨て、過去世の輝きを取り戻す」とあります。

「大神山神社は、諸島全体におられる神様をすべて終結させた場所であり、とても気持ちのよい神域です。港のすぐそばにありながら、とても素晴らしい神気に満ちあふれていて、そこを守ってる人たちの真心に支えられている場所でもあります。大神山神社の神霊のエネルギーというのは、みなさん全員の中にある太古の文明の記憶を、「思い出そう」というメッセージに満ちあふれています」

因みにですが、私は過去の記憶からか、滞在中に周りの人から、殆ど現地の方と同じように扱われました。完全になじんでいたようです。

小笠原に幸あらんことを