ここでお話しするのは通常の心理学ではなく、別の角度から見た自分の中に存在する、もう一つの人格についてお話ししたいと思います。
今回もインスピレーションによるものですが、私は自分の中に複数の人格が存在する場合、2つのケースが考えられると思います。
一つ目のケースは、主人格に対して過去生の人格が干渉している場合。
主人格とは今生の人格ですが、これに一つのエネルギー体と言ってもいい、過去世の記憶あるいは意識が干渉してくることは当然あると思います。
そして、今回ここで書こうと思っているのは、次の2つ目のケースです。
実はこの考えのもとになったのは、私の過去生の中で神父だと感じているものの意見です。
それは、人の意識のなかに存在する否定的な意識、おそらくは細胞のなかに含まれているものも含んで、それらの否定的な意識(あるいはカルマと言ってもいいかもしれませんが)一つになり、まるで自我を持ったような、存在として人間の思考に(悪い)影響を与えていると思えるのです。
まるで自我を持ったようなと表現したのは、その存在の意識はその意識の中に、人間あるいは何らかの記憶を持っていて、まるで自分で意識を持って思考しているように思えるからです。
ですが本当はその思考に似たものは、その存在のもとになっているものの、(多分に感情を伴った)記憶の集合により出来た意識ではないかと考えられるからです。
この存在の記憶は、人の意識全体からなっていて、非常に多くの知識を持っているので、その知識は人の人生のあらゆる問題に対処できると、勘違いさせられるかもしれません。
そして問題はこの存在が、通常の人間の思考にまるでその人間が自分で考えたかのように、入ってくることだと思います
そのことに気づかないと、自分で考えたように思いながら、別の存在に自分の人生をコントロールされていることすら、気づかないで生きて行ることになるかも知れません
この存在は、単にカルマと言ってもいいと思いますし、カルマの集合したものでもあり、または人類の歴史の中で別の呼び名があったかもしれません。
ただ、私が思うにこのカルマは、それがどれほど知識があり、人間のことをすべて理解しているように見えても、人間の意識の神秘さには及ばないと思います。
つまり、カルマは永遠にカルマとしてしか存在できず、そこから意識を発達させて進化することは、出来ないのではないかと思います。
それでは、人間の意識の神秘さは何かというと、それは人間は自分の意識を進化発達させて、真理という神秘に到達することができることだと思います。
そして更には、その神秘に到達した意識から人生を生きることも、出来るかも知れません。
その結果、今までは違った人生(運命)を生きること(作ること)が、可能になると思います。





