一期一会

大晦日から元旦にかけて、穏やかな天気に恵まれて心静かに新年を迎えていたが、夕方4時過ぎにけたたましい緊急地震速報 とともに襲来した揺れに肝を潰された。震源地の石川県だけでなく東北から九州にまで広範囲に揺れた大地震のエネルギーの巨大さに驚きを禁じ得ない。

被災された方々には心からお見舞い申し上げる。また復旧、復興に尽力されている自衛隊の方々や被災者でもある行政の方々の御尽力にただただ感謝。

今から29年前に起きた阪神淡路大震災の時は震源地に程近い所で被災したことを思い出していた。あの時も雪が舞い落ちる寒い一月だった。就寝中の布団ごと突き上げられ身体が宙を舞い、どっちが床で、どっちが天井かさえ判断出来ない惨状だったことがフラッシュバックして思い出される。しばらくは茫然として布団の中で喚きながら震えていたような気がする。


普段、何事もなくいつも通りに時間が過ぎているように思ってしまいがちだが、よくよく振り返ってみると、状況はいつも絶え間なく変化し続け、我々は常にその変化に対応してきたように思う。

方丈記の冒頭に、ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。とある。川の流れは絶えることはなくいつも同じように流れているが、そこを流れる水は同じではない。毎年変わらず美しい姿を見せてくれる黄金色の銀杏も、毎年枝の長さや幹の太さも変化している。黄葉が始まる日時も毎年違っている。我々にはその小さな変化に気がついていないだけだ。

永遠と思っている人との出会いもひと時も同じ状況ではなくすべては常に移り変わっていく無常といえる。いつもと変わらないようでいて、実は常に変化していて同じ状況ではない。

山手線と京浜東北線は、電車が平行して走り一緒に進んでいて同じ目的地に向かっているような錯覚を覚えることがあるが、いつしかポイントが切替わり別々の目的地に向かって分かれていく。


一期一会。偶然の出会いか必然の出会いかに関わらず、人と人の出会いは一期一会。一瞬の出会いであれ、長期間にわたる出会いであれ、いずれは別れが来るのは致し方ない。人は生まれたあとは一期一会の出会いを繰り返し、いずれは誰もが一人で死んでいく。各人の寿命はコントロール出来ないのだから永遠などないのだと思い知る。

世の中は無常であることを心に深く刻み込むと、不思議と悲しみや苦しみは無くなっていく。たとえ離れ離れになろうと、出会った人が元気で活き活き過ごしていてくれたら、それだけで幸せに思える。進むレールや目的地が違っても密かにエールを送ることはいつでも可能だ。なんとありがたいことか。

一期一会のチャンスを手に入れるには漠然と待っていても巡っては来ない。一歩踏み出す勇気が必要だ。失敗やリスクへの恐怖と向き合わなくてはいけない。一歩踏み出す勇気を持つことで、気が付かず通り過ぎてしまう出会いに遭遇することもある。

勇気を振り絞ったからと言って、必ず一期一会の出会いがあるわけでもない。しかし微かな希望を諦めず持ち続けていたなら、いつか巡り会えることもあるだろうと信じたい。生涯の出会いに巡り会えたならば、それは幸運。

幸運ばかりでは無いが、後悔だけはしたく無い。

中高時代、大学時代の友人との同窓会も若い頃と違って、とても懐かしく嬉しく大切な時間になって来た。

正月明けの今の時期に何故だかふと、一期一会という言葉が頭をよぎった。

今日も頑張っていこう。