①から続く
それは、大学の恩師だったり、人生の先輩だったり、音楽の先生だったり、ごく普通の友人だったり。それこそ思いのほかたくさん存在している。テレビの中でしか見たことのない「ポツンと一軒家」に住むごく普通のお年寄りに深く感銘し心が解き放たれることすらある。そういう意味では人との出会いはかけがいのないものだと痛感する。
立場や業績などに感動するのではなく、その人の生き様、過してきた姿そのままが心に響くのである。自分にとってのサリバン先生はおそらく、ご自分の存在が私にとってサリバン先生なのだという自覚は無いだろうと思う。何故なら私のサリバン先生はごく普通の人だからである。深く尊敬されているなどとは露ほども感じていないだろうと思う。
サリバン先生にとってごく普通の振る舞いや所作、生き方、悩み方そのものが自分の琴線に触れ深く感銘を受けている訳なので、この喜びは私にしか分からないことだからだ。相手は感動させようとは思っていないのだが、その人のおかげで自分の心が開かれ、素直な気持ちになれ、喜びに包まれる。
そういう人が世の中には確かに存在している。長い間、モヤモヤと払拭できないでいた靄がスーッと晴れ渡っていくのを実感できるのも、心の奥底に何年も何年もため込んでいた時間があればこそと思うと、悩んだりもがいたりするのも意味があったことなのかもしれない。サリバン先生との出会いは偶然の産物に違いないが、出会ってしまえば必然であったようにも思える。
人生後半に至り、あれこれ思案することが多くなる時期。飛び跳ねることなく、落ち着いた状態のままで心の扉が開き、少年の頃の輝きを取り戻せたようでなんだか嬉しい