天皇陛下と皇后陛下の祝賀パレードをテレビで拝見しながらホッと安堵する気持ちと、感謝の気持ちに包まれた。 皇后陛下(雅子様)の柔らかい笑顔と、時折涙を拭われるお姿に万感の思いが込み上げてきた。 私は天皇を崇拝するわけでもないし、拒絶する左翼でもない。全くのノンポリの立場ではあるが、民間から皇室にお入りになった雅子様のお姿を拝見しながら、感謝の気持ちが湧きあがってくる自分を発見した。 そういえば、伊勢神宮を参拝した際、伊勢神宮は自分自身のお願い事をするところでは無いと説明を受けた。 お願いをするのではなく、感謝の気持ちを捧げるところだと教えていただいた。 若い頃だったらぴんと来なかったかもしれないが、人生後半にどっぷりつかり、 自分の人生を振りかえりつつ感じるのは、感謝という気持ちである。 感謝とは何かをしてもらった時のお礼という意味合いで理解していたが、 お礼の気持ちだけではなく、もっと幅広い意味があるように感じている。 何かに対するお礼というより、「喜びに満ち溢れる心の状態」といった方がしっくりくるように感じる。 嬉しい気持ち。無上の喜び。無限の喜び。 嬉しくて訳も分からず涙があふれてくる。 自分がとてつもなく恵まれ、愛され、認められていることに身体が震える。 感動に近い感覚。 誰か特定の人にお礼を言うのではなく、誰かれなく「ありがとう」と言いたくなる感覚。 自然に謙虚な気持ちになり、相手に対して敬意や尊敬の念が芽生える。 今まで心の奥底に隠れていた、自分自身の中の優しさが、どんどん湧き上がってくる。 ゆったり、満ち足りた気持ちが続く。 不平、不満がどこかに消え去り、些細なことが気にならなくなる。 この喜びを気づかせてくれる人が、世の中には居る。 本人は人に喜びを与えているなんて、全く気付いていないけれど その人が持つエネルギーと人格が、周囲の人に幸せをもたらしてくれる。 感謝は感謝を呼び、感動が増幅されていく。 感謝と尊敬の気持ちに気が付くことが出来て、良かった。 最近、つくづくそう思う。