先日、お笑いタレントの山里亮太さんと女優の蒼井優さんの結婚報告の記者会見を拝見し微笑ましい限りであった。恋愛において何を重要視するかは人それぞれ。今回、なるほどなー、と感心した言葉が記事に掲載されていたので紹介してみたい。音楽プロデューサーのヒャダインさんが、以前、蒼井優さんの恋愛観を聞いたときに、『誰を好きか』より『誰といるときの自分が好きか』が重要だ。と蒼井優さんが言っていたエピソードをと紹介されていた。なるほどなー。と心にストンと響き納得した。各々人を好きになる条件や理由はあるのだと思うがその基準が他人目線ではなく、また恋に恋する浮かれた状況だけではなく、自分の心がどう反応しているか、自分らしく居られるかを冷静に考えていることに共感を覚える。相手に過剰な期待をいだくのではなく「この人といると落ち着く」、「この人といると、自分を好きでいられる」という自己完結の感覚を持っている人が他にも居たのだと思い大いに感心した。自分がこの感覚に気が付いたのは50歳を過ぎてからだったように思う。30代の頃はそんな余裕はなかったので感心した。親孝行するのも家族や子供やパートナーを大切に思うのも人から見て立派だと思ってもらいたいからしているのではなく自分がしたいから大切にしているのだと思っている。電車の中でお年寄りやお身体の不自由な方、赤ちゃん連れの女性に優しく席を譲るのも人目を気にしてマナーだからしているのではなく、ちゃんと人に優しくできている自分が好きだからしているに過ぎない。お礼をされて嬉しいことは嬉しいが自分がしたいからしているのでお礼されなくても嫌な気持ちには全くならない。むしろ席を譲らなかったために後で軽い自己嫌悪に陥るよりは清々しい気持ちで居られるので優しく出来ているような気がする。恋愛においても相手のために尽くすのは相手の為というよりは自分が尽くしてあげる相手が居てくれて嬉しいからという理由の方が大きいように思う。もちろん尽くされて当たり前と思うような相手は尽くしがいのない相手ではあるが嫌なら離れれば良いだけの事である。相手の為に尽くすことで自分の心が満たされそういう自分を相手も丸ごと受け入れてくれ幸せな気持ちが絶えることなくこんこんと湧きだしてくる相手に巡り逢ったとしたならきっとお互いにとって『運命の人』なのだといえるのではないかと思う。恋する気持ちは人それぞれ。それぞれの愛なのだろうとおもう。