親族の話。 | 釈徹心のブログ

釈徹心のブログ

「1234ART」のハンドルネームを
「釈徹心」と改めましたのでよろしくお願いいたします。
難聴当事者の生活の中で見えたことを中心に、
仕事であったり遊びであったり四方山を書き放っています。

 亡父は11人兄弟の4番目(次男)。

女・・男・父・は存命)。

父の下の緑色)が一昨日亡くなり(享年95歳)お通夜・お葬儀が粛々と執り行われた。

 

 祖父の顔は僕は知らない。僕が生まれる前に亡くなっている。

上記のように子沢山だった一家ですから当然孫(僕の従兄弟たち)も28人とたくさんいる。

 

 昨日、本当に久しぶりで従兄弟たちと会った。

顔を見ても思い出せない従兄弟もいたが、同じように僕を「誰だ?」と言う叔父や叔母に従兄弟達もいた。

 

 久しぶりで両耳に補聴器を装着して行ったのだが、案の定というかやはりというか聞こえは満足ではなかった。

 持参した「カキポン」で筆談していたのだが、年の離れた従兄弟(50代・女)が近寄り手話で挨拶してきた。

 

 驚いた!!

 

 聞けば神奈川県で手話通訳士を目指し勉強中だという。

彼女の手話は確かに流暢であったが、残念ながら僕の手話読解力では読み取れない部分が多く結局は筆談に頼ってしまう部分が多くあった。

 

 難聴者と手話に関して神奈川県の状況を質問した。

所属している手話サークルには難聴者は在籍しておらず、詳しいことは知らないが、難聴者協会で難聴者向けの手話学習は行われているそうだが、参加者は少ないらしいとのこと。また要約筆記者講座の受講者も少ないらしいとのこと。

 

 聴覚障害者=手話という図式は当地だけではなく同じような状況なのだろうと感じた。

 

 日本語を獲得した中途難聴者との意思疎通は日本語が書ければ用は足りるが、会議や講演会などのように発言者の意見が淀みなく繰り返されるような場面では、やはりタムラグを減らすという部分では要約筆記という技術は重要である。

 PCやスマホの音声翻訳ソフトは確かにあるのだが、今現在、要約筆記通訳をうわまっているとは言えないのが現状である。

また、複数人が同時に話をしている場面では音訳ソフトの変換率は極端に落ちてしまう。

 

 今回、偶然にも親族の中に手話を使えるものはいたのだが、難聴者側(僕のこと)の手話力が無いケースでは「手話通訳」は難しく、筆談(要約筆記通訳)をしていただくほかないと再認識させられた。