”さぞ悔しい思いをされていたことか” | 釈徹心のブログ

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「1234ART」のハンドルネームを
「釈徹心」と改めましたのでよろしくお願いいたします。
難聴当事者の生活の中で見えたことを中心に、
仕事であったり遊びであったり四方山を書き放っています。

 

 要支援者に「寄り添う」ってとても大切だと思うし、寄り添うことが支援者に負荷をかけていることが何と無く想像できます。

 

 リブログさせていただい手話通訳士のたいし氏は「寄り添う」立ち位置を心得ておられるので要支援者も安心し「次も」とお願いされていることから容易に想像できます。

 

 さて、寄り添うと言っても支援者が支援者の考えを基準に寄り添うことを何度か経験しています。

 つまり、その寄り添い方が要支援者の立場に立った寄り添い方ではなく、支援者や聴者の立場に準拠した寄り添いでは決して「血の通った支援」にはならないということです。

 

 要支援者の立場に立った支援・寄り添いと文言では簡単に書き表すことができますが、なかなか骨の折れることなのは日常生活の中で僕自身、ついつい自分の物の見方や考え方を強調するあまり断定的な言葉で押し付けることがあります。

大いに気をつけ自覚しなければならないと改めて反省したいと思います。

 

 別話題。

今週いっぱいかけて大きなお庭の剪定をしてきました。

庭の大きさは600坪を超える大きなお庭に大小様々な木が植えられています。

この家の剪定は今回で3年目で三回剪定を施した庭です。

(剪定ゴミの量は820Kgでした)

 

昨年全く手をつけなかったちょっとした大きさの梅の木が1本。

たわわに梅の実がなっています。

 

家人の方に梅の木の剪定は?とお聞きしたところ

「小さく剪定してください」と。

実はどのようにすれば良いですかと重ねてお聞きしたところ、

「全て処分してくれ」とのことで

来年の実付きを考えながら剪定をした。

 

17時半ごろシルバー本部から

「梅の実はどこかに売ったのか?」

「昨年の料金が高かったので安くしてくれ」との二点についてご依頼家の息子さんから問い合わせが来ていると連絡。

 

ちょっと驚いた。

本部には、他の木の剪定ゴミと一緒に処分場に搬入した。

作業時間は就業報告書に記載してある通りですと連絡を入れる。

 

本部は、

「承知いたしました。本部からきちんと対応します」

「それでご納得いただけない場合は来年度から引き受けなくても良いですか?」との連絡があり

 

僕から「御隋に」と一言返信する。