正義!? | 釈徹心のブログ

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「1234ART」のハンドルネームを
「釈徹心」と改めましたのでよろしくお願いいたします。
難聴当事者の生活の中で見えたことを中心に、
仕事であったり遊びであったり四方山を書き放っています。

 「私は差別しない!?」を投稿しましたが、実はいつも考えることがあります。

 

 差別や差別的な発言や行為はもちろん断固とした意識で指摘したり反省を促したりする・・・つもりではいますが、

もしかしたら僕から見た「正義」を振りかざしていることはないだろうかと考え慎重に言葉を探ってしまいます。

 

 多くの場合、特に「社会常識」という観点から絶対に許されることだできないことってあります。

 例えば暴力。

暴力は絶対に看過できませんが、時折介護疲れの中で重大で取り返しのできない事件などをニュースで読みますが、社会常識という価値観で被疑者の方を問答無用と一刀両断できるのだろうかと感じてしまうときがあります。・・・とは言え、絶対に許されるものではありませんが。

 

 過去何度も???と思うような僕や障害者に対する差別や差別的場面を経験してきています。

 多くの場合、誰であろうが明確に差別や差別的と受け止めることできることであったとしても、ただ単に、指摘したり糾弾しただけでは何が問題の本質なのかをご理解していただけないことも経験してきています。

 

 正義を語っても意味はありません。

何故なら、正義は、立場やある種の状況の中では全く正反対のことも多々あります。正義とは、相対的な関係性の中で導かれるものなのではないだろうか。

 

 では、僕にとっての正義とは何なのかと問われれば明確な答えは持ち合わせていませんが、強いて言えば「人権」という言葉に置き換えても良いのかなと思っています。

 では、人権てなんなのか?

僕にとっての人権は、正義を守ることではなく「生存権」であり「幸福を希求する権利」なのかな?なんて思っている。