「54歳男性 作業中に突然しゃがみこんだ」のブログで診断したクモ膜下出血の患者さんですが無事手術が終わりました。大出血が来る前に動脈瘤の手術が出来ました。昨日奥さんが来院されて報告を頂きました。

 

さて、誤診を防ぐには「違和感を見逃さない」と「検査に依存しない」と書きました。一番大事なのは「病歴」です。既往に何があって、いつ発症し、どういう時間経過をたどったのか? そして仮説を立てることです。(ストーリーを作ること) 

 

過去のブログでも検査で診断できない病気について書いてきました。すべてに一貫して病歴から仮説を立てる能力が誤診を最小限にする方法です。(それでも誤診は起きてしまうのですが・・・)

 

例えば、画像検査を行う場合に鑑別診断を考慮して「この部分が見たい」と意識をもって検査を行う場合と、よくわからないからとりあえず(漠然と)画像を撮影しておく場合では読影するさいの意識の集中が異なるため読影力に差が出ます。放射線科医に読影を依頼する場合にも臨床情報を添付して「こういう病気を疑っているからここを見てほしい」と依頼すると誤診が減るのです。

 

病歴からの推論には経験が必要です。しかし研修医にはこの経験がありません。なので、検査に依存することとなります。患者さんを帰宅させると、(自分が)不安だから(あとから文句を言われないように)とりあえずCTを撮影しておこう。という思考回路になるのです。鑑別疾患を考えずに(とりあえず)画像を撮影すると意識の集中が低いので読影できないのです。

 

しかし「診断学」は外科やドクターヘリと異なり地味な分野です。研修医は見た目が派手でわかりやすい医療を好みます。診断学の重要性を説いても自分の診断能力の低さに気が付かない限り自分から学ぼうとしないのです。

 

以前、総合内科で仕事をしていた時に「総合内科で仕事をするのが嫌い」と言っていた指導医がいました。「どうして嫌いなのか?」と尋ねると、「わかりにくいから」との返事です。おそらく画像や検査で診断がつかない病気があることを言っているのでしょう。私はそこに診断学の面白みがあると思っているのですが検査に依存する医者には面白くないのでしょう。この面白みを実感できないと自分から学ぼうとする姿勢にはつながりません。

 

面白みを実感してもらうには検査や画像で診断できない病気を診断出来る実体験(成功体験)をしてもらうことだと思います。