家族の決意 | 脳腫瘍と闘うパパと家族

脳腫瘍と闘うパパと家族

記録用✍︎闘病日記
2024.3~
脳幹グリオーマ(びまん性橋神経膠腫)と闘うパパと家族(パパ・ママ41歳
子供3人)
病気と闘うため情報がほしくて始めました。



2024.3.9

娘の高校受験が無事に終わったこともあり、昨日の夜に子供達にパパの病気のことを伝えました。

伝える前は緊張と恐怖でパパも私も躊躇いましたが、それでも伝えることを決めたのは私達。 

 病気について、医師から告げられた余命、これからの治療、今から出る症状。全て伝えました。

中3の娘、中1の息子、小3の息子。当然受け止めきれることはなく泣きじゃくりました。こんなに泣いてるのは赤ちゃんの時ですらなかったように思います。 

もちろん、パパは生きるよ、絶対に病気に負けない。そう子供たちに言いました。嫌だ、嫌だ、嫌だと叫ぶ子供達。小3の息子は耐えられず嘔吐。

こんなに小さいのに言葉の意味が痛いくらい伝わっているんだなって思いました。家族みんなで泣いて、泣いて、泣いて。今から1分1秒大事にする事を約束しました。泣きたい時は泣く。1人で泣かない。辛い気持ちは分かち合う。そして、笑う。パパとやりたいことをやる。パパと話したいことを話す。パパの傍に居る。自分のやるべき事をきちんとやる。色んなことを話して約束しました。 

 伝えて苦しませたし、悲しませたけど、私たちはこれでよかったと思っています。家族みんなで病気と闘うこと、パパを支えることを誓いました。ただ、想像通り心のショックは大きく一晩経っても変わらなかったので、今日は学校をお休みしてパパの傍にいることにしました。子供達がそう望み、パパもそれを望んだので5人で一緒に時間を過ごしました。

上二人はミサンガを作ってパパにプレゼントしていました。パパ嬉しそうでした。今から治療で邪魔にならないように足首につけました。「俺たちの子供は優しいな。育てかた間違ってなかったな。」うん、私もそう思うよ。優しい子供達にちゃんと育ってくれているよ。 写真がプレゼントされたミサンガです。今日からパパのお守りです。「ママ、壊れないでね。」今日娘から言われた言葉。娘には壊れてしまいそう見えているんだね。そう思わせてごめんね。子供より泣き虫な私だけど、誰よりも強くなるから。 

今まで看護師として働いて20年。最愛の人を看護して支える。看護師として今まで得た知識、技術、全部を使ってパパを支える。ママが看護師でよかった、そう思ってもらえるようにするから、安心してほしい。

 今まで仕事は死ぬほど努力してやってきたし、この仕事に誇りもある。だから、今から全部全部パパのために使う。看護師になったのもパパを看護する運命だったのかな。今日も1日ありがとう。また明日もよろしくねパパ。泣いて笑って幸せに過ごそう。パパといる時間が愛おしくて寝るの勿体ないけど、寝ないとね。




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