自分のメンタルモデルが欠陥・欠損である(おそらく)とわかった時点で、
では、私はこのメンタルモデルを以ってして、一体どのようなことを世界にもたらしたいと思っているのか?
それは、欠陥・欠損モデルの人は、
「どんな人も、ありのままで、凸凹のままで、安心して、そこにいられる世界」
なのでした。
それを聞いて私は、涙が出そうな気持ちになりました。
ああ、本当にそうだなぁ。
どんな人だって、その人なりの良さ、美しさを持っている。
それを、お互いに認め合い、助け合って生きていけば、この世はどんなに素晴らしいだろう。
実際には、まだそうなっていない世界も、現実にはあります。
社会的ランクの高い人、低い人は交わらず、
持てるものが偉く素晴らしく賞賛され、持たざるものは惨めで自己価値も低くなりがち。
でも、私が世界にもたらしたいと思っているあり方は、
社会的ランクがどうであろうが、何を持っていようがいなかろうが、
ただ命として、そこにあることの平等さを認め合い、
みんな凸凹でできることとできないことがあり、
できないことはできる人に手伝ってもらって回っていく世界。なのです。
できない人も何も非はなく自分を責めることもない
できる人はそれで奢ることもない、世界です。
自分が何かをできることで、人のニーズを満たすことができるのなら、それは自分にとっても、
喜びであり、幸せである。
そういう世界から見れば、
今の世の中はみんな、人一人で完璧になろうとしてあまりにも頑張りすぎです。
「そんなに頑張らなくてもいいって 笑」
って、言いたい。
でもそれは、まだまだ、一番、自分に言ってあげたい言葉です。
なぜなら、外側の世界は全て自分の内側が作り出している(投影)なので、
もっと頑張らなくては、と思っている自分がいると、
現実の世界にもそう思う(言う)人が現れ続け、あるいは自分が勝手にそう思い込み
克服型の努力を続けることをやめられないので、永遠に安心できないからです。
自分の内側の世界に自分の凹を認めることができれば、
世の中もみんな、ありのままのわたしを受け入れてくれる。
(もしくは、もともとそうだったのかもしれないけどそれを認知できるようになる)
メンタルモデルの著者、由佐美加子さんのスピーチです。
心が震えました。