少し前に、友人が貸してくれた本を読み終えた。

 

「ザ・メンタルモデル」

 

以下公式サイトより引用

 

”「メンタルモデル」、とは、誰もが無自覚に持っている「自分は/世界はこういうものだ」という人生全般の行動の起点になっている信念・思い込みです。

私たちは幼いころに「この世界にあるはずだ」と思っている大切なものが、期待していた形では「ここには”ない”」 という何らかの欠損の"痛み" を体験します。

その際に、「自分が/世界は ◯◯なんだ、(だから仕方ない)」と思考を使って理由づけし、この痛みの感覚を切り離そうとする、という働きが無意識で起こるようです。

この時に形成される「自分は◯◯だ(だからこの痛みが起きたんだ)」という自分やこの世界に対する"判決" のような完全無自覚な信念・思い込みをメンタルモデルと呼びます。”

 

 

 

メンタルモデルには4つの分類があるとされています。

 

「愛なしモデル」(どうせ私は愛されない)

「価値なしモデル」(どうせ私には価値がない)

「ひとりぼっちモデル」(どうせ私はひとりぼっちだ)

「欠陥・欠損モデル」(私には決定的に何かが欠けている)

 

私は、どれなんだろう〜。

「愛なし」か、「価値なし」かなぁ、と思っていたら、

公式サイトの下の方にある、一番グサっとくる言葉はなんですか?と選ぶところがあって、

そこをクリックしたら、「欠陥・欠損モデル」であることがわかりました。

 

「ああ、そうかも!!」と、本当に思いました。

 

 

まず、この行動の仕方が完璧に当てはまっていました 笑

 

閃いたら即行動!

 

あれもこれもやってみるけど、全部中途半端。笑

 

あってる〜〜〜(笑泣)

 

その奥には、「どうせ私には無理」という根強い信念が、隠されているのでした。

 

私は、3人兄弟の末っ子なのですが、生まれた時から年上の姉・兄が完璧で、(に見えた)

 

世界はみんな完璧で、すごい。

 

なのに、私は、なんにもできない。

 

力がない。と思ってきました。

 

母が何かにつけて、「誰々さんは、成績も良くて、海外にもいっていて、こんなにすごいんだよ。」という話も、

 

彼女に悪気はなくても、私には、

 

「そうですか、それはすごいね、どうせ私にはできませんよ」という、

 

ねじれてひねくれた「拗ね」になっていきました。

 

よく、末っ子は要領が良い、甘え上手で羨ましい、と言われますが、

 

末っ子から言わせてもらえば、「みんなそんなになんでも完璧にできるのに何言ってるの?」って感じです。

 

こちとら、自分の存在そのものへの不信感と、常に戦っているのです。

 

「私は、居ていいのか?」と。

 

(末っ子がみんなこの欠陥・欠損モデルというわけではありません)

 

 

「欠陥・欠損モデル」かも、とわかった時に、過去のことがつながって、自分のなかにすごい奥行きが生まれたように思います。

 

「メンタルモデル」の著者の由佐美加子さんによると、各メンタルモデルのその痛みの奥にある、自分の生命がこの世界に願っている情熱につながり、本当にはこの世界にもたらしたいとおもっている世界をつくるために生きられる。

 

メンタルモデルはそのための人間理解のテクノロジー、ということなのです。

 

 

これは、新しい視点を私の人生にもたらしてくれました。

 

 

つづく