田中泯さんのところに泊り込みで踊りの稽古をしていた時、

 

ミンさんのところでは、時給自足で生活をしていたので、

 

食卓に肉などが出ることはほとんど(全く)なかった。

 

ちなみに電気も水道(山水)もあったけど、ガスはなかったので、お風呂や炊事は、毎回薪を燃やして行っていた。

 

裏山に薪を拾いに行って、薪を乾かして貯蔵するのも仕事の一つで、それこそが体にとって一つの大事な踊りの要素でもあった。

 

足元が悪かったり、森の中が湿っていたり、手がガサガサするのも全部、体にとって大事な、外側からの影響(刺激)で、

 

そういうものがどんどんどんどん体の記憶の中に、溜まっていった。

 

 

 

日々のご飯は、ワークショップに参加している若者で、順番に交代して作っていたのだけれど、

 

冬なんかは本当に食べるものがなくて、

 

白菜ばかり食べていたような気がする。

 

 

 

そんなある日、ミンさんが仕事で東京に出た帰りに、セブンイレブンのおでんを、

 

買ってきてくれたことがあった。

 

米と白菜、味噌汁ばかり食べていた私たちにとって、それは、すごい「ご馳走」だった。

 

めちゃくちゃ美味しかった。

 

みんなで少しづつおでんを分けて、十分に味わった後に、

 

ミンさんが、言った。

 

 

「どうだ。うまいだろう。」

 

「この味、この出汁だけを、毎日毎日、研究し続けている人間が、いるんだよ。」

 

と。

 

ミンさんは、多くを語らない。

 

でもその二言は、私たちにとって衝撃的な言葉だった。

 

 

文明に、便利さに、身体の感覚を愚鈍にされ、そこから離れようと意図して、

 

ここに集まっている私たちだった。

 

不便さをあえて経験し、身体の感覚を拡げたいと思っていた。

 

「理想の生活をしている」と思い込みそうな、知見の狭い若者たちだった。

 

けれど、その私たちは一体、社会の、なんの役に立っているというのか?

 

ということを、考えさせられた。

 

「踊ること」で、一体、自己満足以外の、どんな貢献が、社会に対してできるというのだ?

 

 

それくらいの覚悟があるのか、どうか、ということを、ミンさんは暗に伝えたかったのかもしれない。