ブログの更新が久しぶりになってしまいました。
今日は、踊りを私が続けている、原点の体験を振り返ってみます。
いくつもきっかけがあるのですが、
そのひとつに、
13歳の時に行ったネパールでの忘れられない体験があります。
私は初めての海外旅行でしたが、家族の誰とも一緒ではなく一人で、
両親が「行っておいで」と送り出してくれた、初の海外、初のネパールでした。
近藤愛子さんという、ネパールに学校を建てて、子どもたちに勉強の機会を設けるという
ボランティア活動を続けている方がいて、
その方のところへ行って、活動や学校をみるというツアーで、
日本からも何人かの子どもや大人が一緒にいきました。
カトマンズの空港に降り立った途端に漂う、スパイシーな異国の香り。
空港を出ると途端に、道のあちこちにいる子どもの物乞い。
寄ってきてお金を入れる器を差し出してくるのが、自分よりも幼い子どもで、衝撃的な光景でした。
学校へ着くと、いろんな年齢の子どもたちが学校で勉強していて、
でも、鉛筆やノートなどの学用品を持っていない子も多い、ということで、
日本から持ってきた文房具を配る、ということもしました。
自分は日本では文房具が好きで、筆箱に入り切らないほどの鉛筆やシャーペン、色とりどりのペンや消しゴム、メモ帳などをどっさりと
持っていたので、これもまた信じられない光景でした。
そんな中、校庭で、日本から来た私たちに、ネパールのこどもたちが、歓迎のダンスを踊ってくれる、という時間がありました。
何もない、土の上で、
たった一個か二個の太鼓を男の子が叩いて、それにあわせて
女の子も男の子も、一人づつ
前に出てきて踊ってくれました。
なんてことのない、シンプルな踊り。
だけど、誰も恥ずかしがることなく、当たり前のように、自分の踊りを、踊るのです。
なんて自由で、なんて素敵なんだろう。
このとき言葉にならない、ものすごい衝撃が私の中に,起こっていました。
そのあと、「日本から来た私たちも、お返しに踊ろう」という声が上がって、
みんなでなんとか踊ろうとしたのですが、
踊りって言ったってどう踊って良いのかもわからないし、
どうしたらいいのかわかりませんでした。
たしか、大人に言われて「大きな栗の木の下で」を,歌いながら
身振り手振りで振り付けをしたような覚えがありますが、
なんとも自信がなく、恥ずかしがって小さな動きで、
しかもやらされている感も満載で、
ネパールの子たちは、いったいこれが踊りなのだろうか?何なんだろう、と思っただろうなぁ・・・と
今になって思います。
これが、私の踊りに関する原風景のひとつです。
踊りを踊る、って、どんな型があってもなくても、
自由なことだと思いませんか。
逆に、「踊れない」って、とても不自由なことのように思います。
踊りはこうするべき、上手でないと人前で踊れない、目的のある動きしかできない、
知っている動きしかできない、、、など。
本来人間が持っているこの身体ひとつで、ただ、音を感じて、それを楽しむ、
それは一人でやっても楽しいことだし、
皆で共有することで、言葉や思考を超えた、目には見えないけど確かにある、一体感を感じることもできます。
なんだか言葉にした途端に陳腐になってしまいましたが 笑
ああ、だから私は、踊りが、アフリカンダンスが、やっぱり好きなんだなぁと
書きながらあらためて、再認識しました。