先日、NVCを知らない友達とNVCの話をしていたら、

 

(※NVC=Non Violent Communication 非暴力コミュニケーション)

 

「えっ、カオリちゃん、そんなに暴力振るっちゃってたの・・・??」

 

とびっくりされたので、

 

念の為に言っておきますが、そういうことではないです 笑

 

 

でも、非暴力コミュニケーションっていうと、たしかに。。。そう聞こえるひともいるのかぁ!と

 

こっちも驚きました!

 

暴力を振るってしまう(手を出してしまう)ひとが、なんとか暴力を振るわないように

 

NVCを勉強して実践してるっぽく聞こえるかもしれないですね。

 

 

ただ、自分の中に生まれしまう、イライラ=”暴力的な感情”をなんとかしたい、という思いがありました。

 

暴力って、何を暴力と呼ぶかは解釈がいろいろあると思いますが

 

今起きている戦争のような攻撃は、完全に誰もが認める酷い暴力ですよね。

 

では、DVや、子供に手を挙げてしまう虐待といったような暴力は?

 

これも、やはり暴力ですよね。

 

でも、実際に肉体的には手を上げていなくても、言葉の暴力、

 

というものもあると思います。

 

もっといえば、言っていなくても、

 

相手は〇〇である。(例・怠け者である とか)という決めつけや、

 

その決めつけからくる、

 

相手はもっとこうすべきだ!というべき論も、実は暴力といえると思います。

 

暴力の種、と言ってもいいかもしれません。

 

人に向けてのみならず、

 

自分自身に対しても、

 

「私はもっとできる人間であるべきなのに!」

 

「ああ、なんて私はダメな母親だろう」といった責めも、ある意味、暴力とも言えます。

 

 

そう言った意味では、この世は暴力に溢れている、とも言えます。

 

 

NVCが目指すのは、暴力=悪 と一刀両断するのではなく、

 

暴力的な気持ちの裏には何があるのかをつぶさに見て、

 

決めつけや命令ではない別の表しかたを知って身につけようというプロセスの実践です。

 

つまり、相手が自分の意見と違っている時、

 

あの人は○○だ。

 

と決めつけたり、

 

あなたはこうするべきだ。

 

と言って対立するのではなく、

 

まず自分はそのことを見てどう感じるのかを観察して、

 

そのことに対して抱いた感情を感じ、

 

それを元に自分が必要としていることを割り出して、

 

自分の必要としていることを相手に要求する。

 

(要求は、必ずしも受け入れられることを前提として要求しない=相手のニーズも尊重する)

 

 

「私は、こう感じているんだけど、、、こうしてくれるかな?」と言った感じです。

 

 

例えば子どもが宿題をやらなかった時。

 

「宿題やりなさい!」は命令ですよね。

 

「あんたはなんて怠け者なの!」などの決めつけや

 

「今すぐやらないならゲーム禁止!」といった一方的なやりとりは、

 

「NATOに入るなら今すぐ攻撃する!」と言っているプーチンと一緒です。

 

「あなたが言うことを聞かないから仕方ないのよ!」と暴力を正当化します。

 

権力的で、懲罰的な世界の出来上がりです。

 

そうではなくて、

 

自分はなぜ宿題をやってほしいのか?

 

宿題をやらずに他のことをしていると、

 

時間が遅くなって家族の夕食の時間がずれたり、

 

眠くなってから目を擦って終わらせる姿を見るのが

 

ヤキモキしちゃうから、ママは安心したいから、

 

先に終わらせてほしいな〜」と言ったりします。

 

相手に言う前に自分の中で感情を整理してから、何の感情も載せずにいいます。

 

(感情をのせると相手はすぐに察知します。)

 

あなたのために、とかもいいません。

 

完全に、「わたしは〜」という主語で始めます。

 

それでいいんです。

 

母親だから感じてはいけないなんてことは一切ないからです。

 

ひととひとは平等。

 

 

そうすると、子どもは

 

「帰ってきてからすぐには、やりたくない。けど、ちょっとふうっと一息ついて、ゆっくりしたら、

 

そしたらやるね。」

 

みたいに、意外とすんなり伝わります。

 

もし私が感情を乗せたまま要求すると、その時点で命令になってしまい、

 

子どもは拒否反応が先に出て喧嘩になります。

 

でも、いちど、しっかりこちらのニーズを感情抜きで伝えると、

 

もうあいては「本当にわかる」ので、同じことを言わなくても

 

自分でやるようになります。

 

何回も同じことを言う、ということがなくなります。

 

まぁ毎回全てがこんなにうまくいくことばかりじゃないけど!

 

 

ひとは、母親だろうが何だろうが当たり前に感情をもっていいし、ニーズを持っていいんだ、っていうところがミソかな、と思います。

 

自分のニーズも大切に。

 

相手のニーズも大切に。

 

 

年配の方は、男たるもの、ニーズなんか感じずに働け!働け!で育っただろうし

 

女たるもの、ニーズなんか感じずに捧げろ、尽くせ!で育っただろう

 

けれど、それって苦しいよね。

 

毎度書いているようですが自分が満たされていないと、どこかで皺寄せがきて人を責めるようになると思います。

 

 

 

ほんと毎回長くなってしまいますが、ゼレンスキー大統領がめちゃめちゃNVC的なことを言っていたので載せて終わりにします。

 

 

 

インドのガンジーが言っていた、

 

「非暴力は、人間に与えられた最大の武器であり、

 

人間が発明した最強の武器よりも強い力を持つ」

 

を、信じたいです。