今日はNVC(Non Violent Communication=非暴力コミュニケーション)の最新刊から、
「神聖なエネルギーからの行動以外、しないようにしよう という提案について書いてみたいと思います。
「神聖なエネルギー」などど書くと、いかにも宗教のような、スピリチュアルな雰囲気が満載ですが、
そういう話ではありませんよ。
これはどういうことかというと、
ほんとうにやりたいこと だけをやろう、ということです。
シンプルですよね。
「ひとは、本当にやりたいこと以外の行動を起こす時、必ずどこかにそのツケがまわってくる。」
と、著者のマーシャルは言っています。
本の中の例で、ある女性が、
「毎日毎日、家族のご飯を作らなければならない。私は料理が大嫌いなのに!」と言っていて、
彼女は、子どもたちにも、「人生にはすべきこと、やるべきことがある、ということを教えなければならない」と思い込んでいるのですね。
べき(should)ほど破壊的な言葉はない。とマーシャルは言っています。
そして、あなたはどうしたいのか?という彼女のニーズを問いかけ、「本当は料理をしたくない」ことを確認し、
この女性は家族に「私はもうご飯を作らない」と宣言しました。
すると息子は困ったどころか、マーシャルのところに出向いて、
「やっとだ!やっと、もう母親が食事のたびに不機嫌になってぐちぐち言わなくなるぞ!と思って心底ホッとした。」と感謝の言葉を伝えてきた、という話がありました。
これには笑ってしまいました。
私と一緒だ!笑 と。
私も、昨年まで、
「毎日毎日、家族のご飯を作らなきゃいけない、大量の洗濯物を日に当てて干さなきゃ、そして畳まなきゃいけない」と思って、やっていた頃があります。
やりたいか、どうかより、「私がやらなきゃ回らない!」という半分怒りみたいなものを感じて、やっていたんですね。
とうぜんそこに、楽しさはなく、不機嫌になりやすく、
家族にとっても母親は、なにかしら僕達のために頑張ってやってくれているけど、うるさい存在、かわいそうな存在、
として映っていたと思います。
私はどうしたいのか?
に基づいて行動を始められるようになった時、
洗濯物は乾燥部屋を夫に作ってもらって、いちいち通りにくいリビングを通ってベランダまで運ぶのをやめ、
乾いたらそのままハンガーにかけて畳まない。
ご飯は、作りたい時に自分が食べたいと思えるものを作る
お腹が空いたら(空いたと言われたら)作る、それ以外は作らない。
作りたくない時は作らない。
そうすると夫が休みの日や早く帰ってきた日は作ってくれるし、何も家になければ外食に行きます。
ウーバーイーツや出前館を利用することもあります。
朝、昼、晩、1日3食決まった時間にご飯を作って出していた時は、子どもたちも「お腹すいてない」「これ嫌い」とあまり食べず
残していたのですが、今は残りがほとんどなくフードロス問題にも家計にも優しい。理にかなっています。
ネバ、べき、で動いていたツケが、なくなったからです。
スムーズ、スムーズ♪
ひとは、特に家族には、いつでも機嫌良くいてもらいたいものですよね。
ねば、べきと思って動いていると、自分だけでなく他人まで不幸にしてしまう場合もあります。
だからこそ、マーシャルはこの本のなかで、「神聖なエネルギーからくる行動以外、しないようにしよう」と提案しているのだと思います。
NVCの最新刊はこちら。
こちらの本の出版社、島根県海士町にある「海士の風」・・気になっています。
ちなみに昨日の晩御飯はヴェトナムショプで買った米粉のビーフン♪
豚肉ともやし、ニラを入れてナンプラーで味付けしました♪美味しかった!完食!
その前はドライイーストで生地から作ったピザ♪
食べたいものを、作りたい!と思って作る時は、手の込んだ料理でも楽しく美味しくできてハッピー!