正しいか、正しくないか
間違っているか、間違っていないか
そういうことで、人の行いが判断されるとき、その先にはなにもいいことが待っていなさそうですよね。
前に働いていた会社の中で、ある個人とグループの対立がありました。
ある女性は、「私は会社のためにこんなにいろいろやったのに、評価されない」といつも言っていました。
そして二言目には、「この会社のやりかたは間違っている!」とも言っていました。
自分の正当性を確信するために、労働基準局やらあちこちに電話して、そのやり方は、間違っているのか、間違っていないのか、
を明確にし、社内で「このやり方は、法律違反です」と訴えていました。
とうぜん、人間関係もうまくいくことがなく、会社側からも扱いにくい人として何を言っても取り合ってもらえず、結果どんどんどんどん攻撃的になり、
最後は結局退職されてしまいました。
もし、このとき、この方が、自分の中にあるものを観察し、感情を見極め、自分のニーズをはっきりさせ、会社側にリクエストすることができていたなら、結果はいくらか違ったかもしれません。
彼女については私本人ではないので推測になってしまうのですが、
彼女の本当のニーズは、「認められること」「評価されること」だったのではないかな、と思います。
(でも、大人なのに、「認めて欲しい」「評価してもらいたい」なんて、なかなか言えませんよね・・・。)
認められる、正当な評価を得られるために、どのような形になれば、よりその会社で働く人間として満足がいくのか、
を、感情を抜きにしてリクエストする。
会社側も、彼女に対して「彼女はこう言う人だから」「また言ってる」とレッテルを貼らずにニーズを満たす。
そこまでのプロセスが、うまくいったら・・・
どんなによかっただろう、、、と思います。
私はただ共感的に人の意見を聞くことはできても、それ以上のことは何もできませんでした。
NVCのプロセスをつかって仲裁できるほどの、スキルがまだ自分には、ありません。
当然私もまだ実践中、人のことならわかるのに、自分のこととなると感情が入ってしまって難しい!
でも、ひとがそういう形で裁かれるのではない、ほんとうに必要としている心の声にお互い寄り添っていける社会になると、
世界はもっと、生きやすくなるのではないかなぁ、と思っています。
最後に、NVCの本に書かれていた、言葉を紹介します。
著者のマーシャルさんが、スーフィー(イスラム神秘主義)の詩人、ジュラルディン・ルミが記した言葉を紹介したものです。
「まちがった行いと正しい行いという思考を超えたところに、原野が広がっています。そこで逢いましょう。」