NVCは、Non Violent Communication の略で、非暴力コミュニケーションと訳されています。

 

アメリカの著者 マーシャル・B・ローゼンバーグ氏が1970年代に形にしたもので、

 

日本にも訳本が出版され紹介されています。

 

 

 

 

 

 

 

また、NVCの講師によるワークショップやセミナーなども行われています。

 

非、という否定形が頭についていようと、暴力、という言葉に一瞬、驚きを感じるかもしれません。

 

私が最初そうでした。

 

「暴力」という言葉には色々な解釈やイメージがあることからか、最近出版された訳本やインターネット上での様々な発信のタイトルなどには非暴力コミュニケーションということばはあまり使われなくなってきているのかな?かわりに「共感コミュニケーション」など、言い回しを変えていることも多いような印象もあります。

 

 

 

私は、自身の子育てに苛立ちと困難を感じていたときに友人から、勧められて読んだ本でNVCのことを知りました。

 

 

NVCは、実践するもので、なにかの出来事が起こったことについて、

 

「観察」「感情」「ニーズ」「リクエスト」の4つの要素に意識を向けてみよう、ということを提案しています。

 

 

そのとき(過去のものでもOK)、何が起こっていたのか、を、判断を加えずに観察すること。

 

この、判断を加えずに、というところが、難しいけれど大事なポイントです。

 

 

たとえば1つ前までの私の、産院での残念な記憶、というひとつの題材を例にとってみると、

 

赤ちゃんを産んだ後すぐに「隣に赤ちゃんがいなかった」

 

つまり「私は一人でベッドに寝ていた」「赤ちゃんは別室で寝ていた」ことが観察です。

 

ここを、「連れて行かれた」「引き離された」と書いてしまうと、そこに少し相手への判断や怒りが入ってくるのを感じます。

 

 

そのときに感じた私の「感情」ーは・・・

 

「不安」です。

 

会いたい、抱きたい・・・それが病院のルールで叶わないので、自分ができることがなくて、

 

「寂しい」「困惑」もあったと思います。

 

私がそのとき必要としていたもの=「ニーズ」は、、、

 

「会うこと」「触れること」「確かめること(実感すること)」ではまだ手段であってニーズではありません

 

本当のニーズは「安心」「祝福すること」だったと思います。

 

 

とうぜん同じ屋根の施設内に私の産んだ赤ちゃんがいるであろう、けれども私はそれに「触れる」「抱く」「実感する」という手段をとおして

 

「安心」「祝福すること」のニーズを満たしたかったのだ、と思います。

 

 

 

・・・このように、過去のことであっても、あのとき自分は何を必要としていたんだろう?

 

という自分への問いかけを通して、いちばんしっくりとくる言葉を探して見つけ、

 

そして感じること。「ああ、わたしはもっと、安心したかったんだなぁ〜」

 

と自分を理解するだけでも、その出来事をとらえるこができて、癒されます。

 

 

ここで大事なのは、頭で理解するだけじゃなく、ちょっと静かに時間をとって、その気持ちをじっくりと「感じる」こと。

 

体感を通すだけで、ものすごく、その後の感触が変わります。

 

癒し というプロセスが本当に起こっている、ことを実感できます。

 

 

さらにNVCにはリクエスト、という最後の段階もあるのですが、それは自分のニーズと繋がった上で、

 

自分以外の他人に働きかけるときにどうやって声かけ(リクエスト)をするか、というところですが、

 

いちばん難しい(?)し、簡単には書けそうにないのでまたそのうち書いてみたいと思っています。