産むのは私だ、と気づいた瞬間

 

何回か陣痛の波が来ていて、1時間くらい経った時、これは、いったい、いつ生まれるんだろう?と思いました。

 

これがどれくらい続けば、終わるんだろう?

 

こんな痛いの、できれば早く、終わらせたい。

 

でも、これを終わらせるのは・・・私? え?ああ、そうか。他の誰でもない、いまここにいる、この私か!!

 

 

気づいてしまいました。

 

当たり前のことのようですが、それまで、10ヶ月もお腹の中に子どもを擁していたのに、

 

それを外に出すのは私だ、という本質的な覚悟みたいなものが、まだ体感としてはわかっていませんでした。

 

優しい助産師さんとか、周りにたくさん手伝ってくれる人がいるのに、みんな、この子を外に出す、っていう一番大事な仕事はできないのです。

 

手伝えても、それを遂行できるのは、この私しかいない。

 

だってこの私の体の中に入ってるんだから、当たり前だよね。

 

陣痛ってのは想像以上に痛くて、本当にのたうちまわる痛さです。

 

ものすごいエネルギーで、赤ちゃんも出てこようとしていますからね。

 

それを、終わらせられるのは、この、私しかいない、終わるまでこの人たちも私も終われないのだと、土壇場でやっと、わかりました。

 

開眼!

 

というかもう、覚悟ですね。

 

 

「よし、出すぞ!!」と腹をキメてからは、数回のいきみで順調に赤ちゃんが産道を通って出口に近づいてきました。

 

「うまいよ〜うまいよ〜!!」と助産師さんの声にも支えられ、私も赤ちゃんの出てくるタイミングと自分のいきみを合わせるタイミングがなんとなく分かってきて、とうとう頭が膣の出口まできました。

 

でもここで、最後の難関。

 

こんなおっきい頭、出たらその時、絶対切れるじゃん!!っていう、もう伸びに伸び切った私の会陰が悲鳴をあげている。

 

でも、その意味がその瞬間まであまり分かっていなかった私は、「できるだけ自然に」とすべての処置を選択していなかったので、

 

自然に任せることにしました。

 

もう、できれば「ちょっと、産むのやめていいですか」っていって一回戻したい気持ちにも一瞬なったけど、

 

絶対無理。全員その瞬間を目前にして静かにヒートアップしてる。

 

後には戻れないので、もうほんとのほんとに最後の覚悟を決めて、たぶんものすごい声をあげて、「うーーーん!!」といきんで産み切りました!!!

 

 

その瞬間に、あたたかい羊水と赤ちゃんとその他もろもろ(臍の緒とか)が一緒になってゴボッと出てきたので、もうなにがどうなっているのか一瞬、わからなくなりました。

 

すぐに赤ちゃんが「ほぎゃー!」と泣いて、その声で「ああ、うまれたんだ」という実感が湧いて、助産師さんがさっと綺麗に血などを拭いた後、

 

まだすこし胎脂のついているあかちゃんをすぐに私の胸の上に置いてくれ、臍の緒もそのままにしばらく対面の時を過ごさせてくれました。

 

 

もう、この時は、嬉しくて、信じられなくて、でも赤ちゃんはそこに確実にいて、あったかくてちいさくて・・・今思い出しても感動のひとときです。

 

赤ちゃんは生まれてすぐ、だれも教えていないのに、私の乳首にひよひよとその唇を動かし、

 

すこし「初乳」を飲みました。

 

 

この初乳、の大事さとか、

 

生まれてすぐに体をきれいに洗い流してしまわずにお母さんの胸の上におくこと、

 

それからおちついて、後陣痛で胎盤が出てくるところや、臍の緒を切るところも助産師さんが丁寧に見せながら説明をしてくれました。

 

胎盤がどういう形で重さなのか、とかも、手の上に置いて体感させてくれました。

 

それから後も胎便のことや、体重が減っても母乳を3日間は頑張って飲む・飲ませる練習をすることや、良いおっぱいを出すための食事など、

 

私がこの助産院で学んだことは本当に貴重で、その後の育児にとてもおおきな自信と安心、そしてやり遂げる覚悟をあたえてくれました。

 

次回はまたそのことについて、詳しく書いてみたいと思います。

 

 

 

 

 

今回はちょっと赤裸々に生々しい出産の様子を描いてしまい、お恥ずかしい限りです。お目汚しでしたらごめんなさい。

 

11年も前のことだし、その後、普通の産院で産んだ時に、こういうお産って特別だったんだということがわかったので、

 

これから出産を迎える方にとってもなにか参考になれば、と思って書いています。

 

もちろん私はどんな出産の形も、尊重します。

 

赤ちゃんに、無事、健康で会えることが一番なので、そこに医療の介入があろうとなかろうと、それは良いとか悪いとか行った問題ではないと思っています。

 

ひとつのお産の形、として読んでいただければ幸いです。