18歳で新潟に引っ越してから、舞踏家の堀川さんの近くで、本当にたくさんの貴重なものを、見せてもらって、体験させてもらいました。


もちろん、アーティストなので、朝決まった時間に起きて会社に行って仕事して帰ってきて、というような決まりきった生活ではありません。


身体のトレーニングを主体にしながら、
場踊り、というものをやっていて、
街の中のいろんな、場所(路地だったり、古い民家だったり、劇場で踊ったり、ギャラリーで絵と一緒に踊ったり、など…)
新潟の中だけでなく、広島や、桜島、オランダのアムステルダムやユトレヒトのダンスアカデミーまでと、本当にたくさんいろんな場所にも
行きました。

毎回毎回、作品に込める想いも違うし、
そのための準備も違うし、
行く場所も違うし、
会う人も違う。

そんな中で、まだ社会に出て間もない、普通さえも知らないような私がいつも彼女のまわりについて動くのだけど、

なんというか、全然役に立っていなくて

立居振る舞いがほんとに、彼女からみたら足りない事ばかりで、まぁ〝けちょんけちょん〟に言われるわけです 笑
親にもほとんど怒られた事なかったのにね😅それはキツかったですよ。

それまで、ずっと小学生から高校までいわゆる〝優等生〟で、ただいい子ちゃんなだけだった私は、ゆるくて、身ひとつで踊り手として闘っている彼女の覚悟や想い、みたいなものに比べたら、ホントに何もかも「足りな」かったと思います。



いつも怒られながら、側にいました。

でもほんとにいつもまっすぐでどんどん新しい場所に切り込んで行き想いを形にしていく堀川さんを、犬のように好きでした。

ある時、演劇の方とコラボしてミュージカルの舞台を、上演する事なり、わたしも演者として出演することになりました。

アイヌの熊送りを題材とした舞台で、でも、いろんなプリミティブなものを内包していて、アフリカの太鼓〝ジャンベ〟を使って演奏する、という側面もありました。

ガーナ人の太鼓の先生が、たくさんのジャンベを持って、私たち演者への指導にあらわれました。

それが私のアフリカの太鼓、ジャンベとの出会いでした。

たしかこのとき、ちょうど舞台のリハーサルの最中に20歳になり、共演者にお祝いしてもらった記憶があります。