さて 

相変わらず注目している藤堂ヒロミさんですが

時々音声SNS clubhouseで朝からトークされていたりします。

今朝集まった大人100人くらいで朝から

喉に話しかけていました 笑

でもね、本当に、その時喉から出てきた記憶の体験談など聞いていますと、ぐっとくるものがあるのです✨

今日は他界されたお母様に、「大好き」だったという想いを伝えられなかった方のお声を聞いて、こちらまで嗚咽してしまいそうなほど想いをもらってしまいました💦

体感を伴わない他人の話なんて、ぜんぜんわからない(伝わってこない)ですが、体感を通しただけで、会ったこともないひとの心や気持ちって、こんなにも共感できるんだなって、思いました。



さて

お話が逸れましたが 笑


新潟へ引っ越す と題した今回の記事の本題です。


東京での劇団への入団を断られ、高校を卒業してしまった私は、とりあえずのバイトをしながらも山梨などで田中泯さんの主催するワークショップやアートキャンプのお手伝いなどをしていたのですが、(ああ、そういえば東京の中野にあったplanBという超アンダーグラウンドなスペースにもよく行っていました)

一方でまだ先に書いたものがたり文化の会もまだ続けていて、その時の表現グループを堀川さん(前述。新潟の舞踏家)が新潟へ呼んでくださいました。

そして、ホールで私たちの表現の機会を作ってくださり、堀川さんの踊りともコラボレーションして、たくさんの方々に観ていただいたのでした。

私はこの頃から、もう少しこの「踊り」を、堀川さんの近くで学んでみたい。

と思うようになり、堀川さんにそのことを申し出て、


そして、岐阜から新潟に引っ越したのです。

思えばこれが、実家から出て一人暮らしをした最初のはじまりでした。

それから堀川さんのひらくすべての「身体のためのワークショップ」に参加させてもらいながら、

もちろん生活費を稼がないといけないので、堀川さんのつてで、演劇出身の方がやっている居酒屋兼カフェで働かせてもらうことになりました。

芸術文化ホールの近くにあったこともあり、新潟の文化的な方がたくさん出入りするお店でした。
と同時に、店長の早津さんがバリアフリーなお店にしたいという考えで、障がいのある方までもう本当にいろんな背景の人びとが出会う交差点みたいなお店でした。

私が入った頃にちょうど前のカフェの店長が辞めるタイミングだったこともあり、今思えばいきなりといえばいきなり過ぎますが、天然酵母パンの焼き方やコーヒーの入れ方、そして名物の
スパイスをひくところから作るカレーのつくり方などを教えてもらい、お昼のカフェもやることになりました。

この時何度も何度も失敗して覚えたパンの焼き方は、いまでも身体が覚えていて、あったかい日などは思い立ってよく焼きます。

小麦粉と水、あとほんの少しの塩と砂糖に酵母だけのシンプルなパンで、山崎さん、という方から教わったパンで、「山ちゃんのパン」といわれていましたが、山ちゃんのパン、子どもたちも大好きで、いまでもよく焼きますよ〜😊


つづく