身体が泣いた  の続きになります。

山を降りた私は、身体の違和感を存分に感じながらも、

高校の卒業式になんとか顔だけ出して、

(この頃には大学なりそれぞれ進路が決まり勇んで出てゆく友人たちともう話がかなり合わなくなっていました)

さぁこれからどうしよう、と思っていました。

いわゆる世の中の普通の流れ、高校を卒業したら、進学するか、就職するか、みたいな流れには、面白いほど全然乗っていなかったですね😅


実はまだその時は、自分ははっきり踊りをやろう、と決めたわけでもなく、まだ演劇の道にも興味があったのでした。


東京にある、社会的な問題などをテーマに活動していた小劇場系の劇団が好きで、何度も観に行ったり、地方公演の時にお手伝いさせていただいたりしたことがあったので、(この時客演の柄本明さんのお芝居もリハーサルから身近で見させていただきました。)

卒業後に東京に行ってその劇団に乗り込み、千と千尋の神隠しの千張りに、「ここで働かせてください!」と直談判をしに行きました 笑

結果は、玉砕❗️

代表の方が、兎にも角にも、「やめておきなさい!」と言うのです。

その時は、私に実力がないから、とか、
こんな奴使えない、から断られているんだろう、と思いました。

ただ、今思うと、代表の方なりに、若い私を気遣って言ってくれてたんだと思います。(今やっとわかる)

その時たまたま入ってきた中年の役者の男性(手にはコンビニの袋、おそらくこの歳になって独身)を指差して、「見てごらんなさい、こうなんだから!」と言っていたなぁ…きっと、そこそこ有名になったところで、演劇界、しかもその中でも小劇場、有名になったとて結婚は難しいし稽古に裏方にと忙しく生活はこのような食生活になりがち…そう言うことを踏まえて、断ってくださっていたんだろうなぁ…

としみじみ、思い出します。

優しさ…とあとは、やはり心許無かったんだろう。度胸だけはあっても、田舎者がいきなり東京に出てきて小劇場のスタッフ見習いになる、そこまでのハラが決まっているようには、見えなかったのかも知れない。

しばらく粘った後に、OKとは言ってもらえないのだと悟った単純な私は、「受け入れてもらえなかった」失意でどんよりと、家に帰ったのでした。


それからしばらく、とりあえずのアルバイトをしながら、

ときどき東京のアンダーグラウンドなアートや表現の場を観に行ったり(この頃からよく東京には通っていました)

山梨の身体気象農場の夏のアートキャンプの炊事係をしたり(朝から100人分のご飯を3食作る!一日中キッチンに立って大鍋を掻き回していました)

そんなふうに一年くらいは、好きなことをやってフラフラしていました。笑